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2025年11月07日

フィジカルAI時代の到来が2026年中頃より始まる!

「ロボットに教わる、人間の働き方」

近未来の人型ロボットの市場予測は、たったの2兆円からエヌビディアのジェンスンファン氏30億台の7500兆円迄(今の自動車産業の約10倍)ととてつもなく差がある。

気がつけば、私たちの社会では「働く」という言葉の意味が、少しずつ薄れてきた。かつては汗と油にまみれてこそ「仕事」と呼ばれたが、いまや産業用ロボットが24時間、愚直に、文句ひとつ言わずに働く時代だ。
彼らは休まず、過労死せず、給料も要求しない。なんと羨ましい“社員”であろう。

人間が「Dirty・Dangerous・Dull」の3D作業を嫌った結果、ロボットが「Detailed(精密)」という4つめのDまで背負ってくれるようになった。人類が怠けた分だけ、機械は賢くなる。そうして今日も、金属の腕が静かに人間を超えてゆく。

もっとも、日本の工場では「人を大事にする」と言いながら、その人の仕事はロボットに置き換えられていく。皮肉なことに、“人手不足”が“人の居場所不足”に変わりつつあるのだ。
しかもロボット導入の決め手が「人より安い」だという。企業倫理とは、いつから電卓の中に宿るようになったのだろう。

そして我々もまた、それを黙って受け入れている。
「効率化だから仕方ない」「少子化だから当然だ」と言い訳を並べ、結局は“楽になるなら悪でも許す”という悪慣れに沈んでいく。

もはやロボットのティーチング(動作を教える作業)すらAIが肩代わりする時代。人間がロボットに教えていたつもりが、いつの間にかロボットが人間の管理法を学んでいる。
近い将来、「上司AI」「部下ロボット」「間に挟まる中年正社員」という構図が、笑えない現実になるかもしれない。

中国では、すでに人型ロボット「K2(Bumblebee)」が量産されている。身長175センチ、体重75キロ、52カ所の関節を持ち、わずか1時間の充電で8時間働くという。日本人より働き者だ。
しかも彼は、GMや上海汽車の工場で実証済み。疲れ知らずで、クレームも出さず、30キロの荷物も軽々と持ち上げる。もしこれが「理想の社員」だとしたら、人間はどこで存在価値を証明すればよいのだろう。

この流れを「テクノロジーの進歩」と呼ぶのは簡単だ。しかしそれは、便利さに酔って自分の役割を手放すことの言い訳にもなる。
「AIがやってくれる」「ロボットが正確にこなす」──そう言って私たちは、考える力や責任感を少しずつ譲り渡していく。気づけば社会全体が「自動運転モード」のまま惰性で進み、誰もハンドルを握らない。

かつて日本は、手仕事の国だった。ひとつのネジに魂を込める職人がいて、その誇りが製品に宿った。だがいまは、魂よりもセンサー精度のほうが評価される時代である。
「精密」「正確」「効率的」──その裏で、人間の曖昧さや不器用さが、まるで欠陥のように扱われている。

だが本当は、人間の「ムダ」こそが文明を支えてきたのではないか。
恋をして失敗し、遠回りして後悔し、間違って学ぶ──そんな非効率の積み重ねが文化を生み出した。ロボットが完璧に働く社会は、確かに便利だが、どこかで“心”の居場所を失う危うさを孕んでいる。

このまま日本が「無人化」「省人化」を“国是”として突き進むなら、最後に残るのは、誰もいない完璧な社会かもしれない。
すべてが自動で動くが、誰も笑わず、誰も間違わず、誰も責任を取らない。そこでは、機械だけが生き生きと働き、人間はただ「監視」するだけ。まるで自分たちが造った檻の中で、ロボットに見守られて暮らす動物のようだ。

もしかすると、ロボットよりも先に「人間の心」がオフライン化しているのかもしれない。
働く意味を失い、考える習慣を手放し、ただ「便利だから」という理由で未来を明け渡す。──そう、悪はいつも静かに、便利の顔をしてやってくるのだ。

そして我々は、その悪に慣れすぎている。
「仕方ないよね」「時代だから」とつぶやきながら、今日もどこかの工場で、金属の腕が人間の誇りを締めつけている。
このままの“悪慣れ”が続けば、次にティーチングされるのは、きっと私たち自身の心だろう。

2025年11月06日

AI時代をキャッチアップ出来ないと・・・

ヒト型ロボットが工場で働く時代が、もうすぐそこまで来ているという。AIロボカーがガンガン走る未来が確実に実現をイメージ出来る所迄時代は来ている。AIロボカーは人を乗せて移動するAIロボットなのですね!

人型ロボットは人手不足を埋める救世主として期待され、市場は2030年代には10兆円規模に膨らむらしい。だが、思わず苦笑してしまう。ロボットが不足を埋める前に、私たち日本人の「判断力の空白」を埋めてほしいと願うのは、きっと私だけではないだろう。

かつて「モノづくり立国」と胸を張ったこの国は、今やロボットより遅く動く。人材育成は予算削減の常連項目、現場の知恵はマニュアル化で失われ、AIに学習させるデータすら整理できない。それでも「伝統」と「現場力」の言葉をお守りのように唱え、変化を先送りする。

その間に、アメリカではAGI(人工汎用知能)が2年以内に誕生すると言われ、中国では超知能を国家戦略として量産中だ。日本ではまだ「生成AIをどう活用するか会議」が永遠に続いている。

そして恐ろしい事にAGI(人工汎用知能)は人間しか持てないとされたEQ力さえ身に付け、自ら考え、自ら相手をイメージして、最適解を提案して来ると云う。事象の多くを認識し、未来を推定して、未来に起きえる事を理解して事前に準備さえ簡単に出来る様にもなる。

現在ヒト型ロボット1体の価格は現在約770万円。これが「価格が5000〜1万ドル(約77万円〜154万円)程度まで下がれば、この業界はオートメーション(自動化)からオートノミー(自律化)へとシフトする」激動となる“大転換点”だという。そして、そのフィジカルAIヒューマノイドの知能は+200万円も出せば、全てのノーベル賞学者の知能さえ上回る知能を提供してくれる。

だが、すでに私たちはもっと高価な「非効率」というロボットの形をした非効率な肉体(動物的)を既に何千万体も抱えている。省庁間のハンコの受け渡し、FAXで送られる書類、デジタル庁の紙の会議。これらを自動化するだけで、GDPは数十兆円分跳ね上がるはずなのに、なぜか「前例がない」と止まる。もはや日本社会そのものが、人間型のレガシー・ECUがサルレベルのタンパク質で出来たロボットなのかもしれない。

実現が2年後と言われているAGIの覇権争いでは、米国、中国、巨大テック企業、そしてオープンソース勢がしのぎを削る。勝者が世界のルール(社会のOS)を握る。だが日本はそのどこにもいない。議論よりも“様子見”、戦略よりも“根回し”を優先し、AI開発よりも予算執行の「消化率」を気にする。人間がAIを支配するか、AIが人間を支配するか——その二択の前に、日本は「誰も責任を取らないまま、なんとなく共存」する第三の道を選びそうだ。

工場でのヒト型ロボットは、再設計せずに既存の環境に溶け込めるという。皮肉なことに、それはまるで日本社会にぴったりだ。新しい制度や価値観を作るより、「古い構造に合わせる」ほうが安心する国民性。だからこそ、ロボットは受け入れられても、改革は受け入れられない。悪慣れした組織は、まるで“人間の形をした惰性”だ。

AIの研究者ベン・ゲーツェル博士は「超知能(ASI)は避けられない」と言う。もしそれが本当なら、ロボットが人間を超える日は遠くない。だが私たちは、それを恐れる前に、自分たちがすでに思考を停止した“半自動人間”であることを思い出すべきだ。政治家はAIの危険を語りながら、AI以下の判断力で国を運営し、国民はAIに職を奪われると嘆きながら、AIより安く働くことを誇りにしている。

人類が作る最後の発明がAIだというなら、日本人が作る最後の発明は「責任の所在不明システム」かもしれない。悪慣れとは、悪を悪と認めなくなること。問題を先送りし続けた社会は、やがて未来そのものを先送りにしてしまう。

ロボットが人間を超える日、それはきっと“効率”の問題ではなく、“誠実さ”の問題だ。世界が新しい知能を育てる間、日本は変化を嫌い現状維持の古い言い訳を育てている。もはやAIに学ぶべきは技術ではなく、変化を恐れぬ勇気そのものなのだ。

AI時代を真剣に考えずに全くと言って良い程投資をしない。そんなリーダーは取り換えないとダメなのに、日本人はそれもしない。恐ろしき思考停止の民族ですね・・ホント・・・ガックリ

民主主義が機能しなくなり、最大の負の部分が顕在化する

原理原則無視+ポピュリズム国家の危機 〜法の支配を失えば、温泉も沸かなくなる〜温泉の枯渇した温泉地日本となる。

世界は今、民主主義の期末試験を受けている。採点官は、よりによって米国第47代大統領・ドナルド・トランプ氏。アメリカはすでに「民主主義の模範」から「民主主義の破壊モンスター」に格下げされ、毎日が政治リアリティショーだ。

有名アナリストがアホトラ氏の法律無視は、毎日ウオーターゲート事件が起きて居ても、国民もマスコミも慣れてしまって善悪の感覚が麻痺して居る様だと・・言っていたのが印象的であった。

注:ウォーターゲート事件は、1972年にリチャード・ニクソン大統領の再選運動中に発覚したアメリカの政治スキャンダルです。この事件は、民主党全国委員会本部への不法侵入と盗聴器設置に始まり、ニクソン政権による隠蔽工作が明らかになり、最終的にニクソン大統領が辞任した。

今のアホトラ氏は明確に法律違反、憲法違反、脱法行為が状態化している。悲しいかな日本もアホノミクス以来、この状態が続いている。

欧州でも、フランスやドイツの政治は極右の突風に揺れ、政権はジェンガのように積み上がっては崩れている。しかもこの揺らぎは、遠い海の向こうの話ではない。民主主義の優等生だった国々が次々と落第していくのを、日本も極右や無責任のポピュリズム政党が大人気である。

確かに政治への不満が新しい勢力を呼び込むのは自然だ。1968年の学生運動だって、当時は「世の中を壊す若造」と叩かれたが、環境や人権の意識を高めた。しかし、今の急進勢力の一部は、家をリフォームするどころか地盤ごと掘り返そうとしている。SNSで「我々こそ真の国民」と叫び、法の支配を力づくで塗り替える。まるで暴走列車の車掌が「次は終着駅・無法地帯です」と笑顔でアナウンスしているようなものだ。

歴史は何度も警告をくれる。第一次世界大戦後の混乱と世界恐慌が、過激主義を議会に呼び込み、ナチスが登場。破壊と敗北を経て、ようやく自由民主主義が築かれた。日本の戦後憲法もその流れの産物だ。しかし2025年の今、その基盤は軋み、司法の独立は政権の便利ツール扱い。

選挙結果すら認めない空気がじわりと広がる。ドイツは2024年末、憲法改正で連邦憲法裁判所を守ったが、日本では「そもそも裁判所って何するところだっけ?」と本気で言う政治家がいても驚かない雰囲気だ。

日本では三権分立は当の昔に破壊され、最近では裁判所迄憲法違反の判決を下す事が状態化している。

そして、この国特有の毒は「先送り文化」である。政治改革も財政問題も少子化も、「未来の日本人」がやってくれると信じて、現役世代は温泉気分で湯船に浸かる。気づけばお湯の色はにごり湯を通り越して泥水を超え腐敗臭が漂う。借金は世界最大級、人口は急減、インフラは老化。にもかかわらず選挙では「見慣れた顔」に投票し、変化を拒む。「悪慣れ」もここまでくると文化遺産だ。

経済格差も地方衰退も、SNS上の憎悪拡散も、世界が同じ病を抱えているのは事実だ。ただ、日本の場合は治療より鎮痛剤、しかも効き目が切れかけたものを延々リピート。メディアは危機を特番で煽るが、翌週には新作スイーツ特集。国民は「まあ、何とかなる」で深呼吸。火事場でお茶をすすり、「火の粉がこっちに来なければOK」という精神が、民主主義の芯をじわじわ腐らせる。

本来、民主主義はスポーツマンシップで成り立つ。多数派に負けたら結果を受け入れる、異論はルール内で戦わせる。しかし今は、分断を煽る側と、それを「どうせ変わらない」と冷笑する側が共犯関係にある。SNSは炎上商法の大繁盛市場、理性より怒りがバズを呼ぶ。こうして「法の支配」は、政治家の手元で都合よく形を変える粘土細工になる。

日本はまだ外見は崩壊して居ない様に見えるが中身(精神)はもう腐りきっている。だが戦後体制の土台にはヒビが入り、他国の失敗例は目の前に山積み。にもかかわらず、「自分たちは特別だから大丈夫」という自己催眠を続けている。これは茹でガエルというより、カエルが自ら温泉地の詐欺の観光大使を務めているような状態だ。

だからこそ、今こそ冷水を浴びる必要がある。分断を煽るより、共通の基盤を修復し、連帯を再生させる。政党もメディアも、SNS時代の信頼を作り直し、法制度も昭和仕様からアップデートしなければならない。そして何より、国民一人ひとりが「先送り」という麻薬から足を洗わなければならない。とてつもない苦痛を伴う禁断症状が出る事を覚悟する必要がある。

民主主義と法の支配は自動運転では走らない。それは、毎日手入れが必要な盆栽のようなものだ。水やりもせず、形も整えず、「まだ緑だから大丈夫」と放置すれば、気づいた時には根が枯れ。最悪、盆栽も窓も家も、まとめて粗大ごみと化す。ゴミ処分会社の名札に「第47代米国大統領」「中国共産党習近平」と書かれていたとしても、もう文句は言えないだろう。

とにかく、人類の歴史上最大の負の大転換が始まる今後の5〜10年となるのだろう。恐ろし過ぎる近未来に今から準備をしましょう。

2025年11月05日

自動車に人生を搾取される日本人と云う生き物の不思議

日本人の「クルマ信仰」は、もはや宗教の域にある。人生のうちで自動車に費やす総コストは約6000万円──ガソリン代、税金、保険、車検、駐車場代、そして買い替え費用。しかもその多くが「所有する安心感」という、実体のない価値に支払われている。

対して、世界は“移動そのもの”を所有からサービスへと切り替えつつある。ロボタクシーが普及すれば、個人が車を持つ意味はほぼ消える。テスラの試算では、自動運転EVによる移動コストは1kmあたり20円以下。1人あたり年間1万km走るとしても、年間20万円、40年間で800万円だ。つまり、日本人がクルマに捧げる6000万円の人生コストのわずか1/7で、同じ移動をまかなえる計算になる。しかも燃料代も整備費も不要、事故率も大幅減。AIが運転する時代には、「運転免許」そのものが化石になる。

日本の自動車税は世界的に見てもとても重い!日本では、自動車にかかる税金がとても多く、現在9種類もあります。自動車税(環境性能割)、自動車税(種別割)、自動車重量税、揮発油税・地方揮発油税、軽油引取税、石油ガス税、さらに消費税(車体分・燃料分)などです。税金に税金が上乗せ課税される不思議な状態が今の日本の自動車関連税です。

英国の・・約1.4倍
ドイツの・約3.4倍
フランスの約9.5倍
米国の・ 約23.4倍にもなっています!

点検から車検から高速代まで・・クルマの維持費は世界最高の費用が掛かるのが日本です。

それでも多くの日本人は「クルマは自分で持たなきゃ」と言い張る。月々のローン、ガソリン、駐車場代にため息をつきながら、週末には「ガソリン高いな」とぼやく。そう、これはもはや経済ではなく“悪慣れの文化”だ。便利であることより、変わらないことに安心を覚える。技術の進化より、「いつもの販売店」で買う安心感を選ぶ。

一方、アメリカや中国ではロボタクシーの実証運行が進み、2026年には都市インフラ化の見通しだ。BYDやテスラ、百度(Baidu)は自動運転AIを実装済みで、車両単価は200万円台にまで下がり始めている。ロボタクシー1台が10年間稼働すれば、1台あたり生涯コストは200万円+電力代数40年+AIシステム利用料200万円・生涯移動コスト800万円。これは1人の日本人が支払う今現在の生涯自家用車コスト6000万円のわずか13%。にもかかわらず、日本では「法整備を慎重に検討中」という呪文が繰り返されている。

生涯を通してロボタクシーを使っても800万円程度、自分で車両を保有しても800万円、同じ1/7の激安となる。さらに自家用ロボタクシー車なら・・空き時間にお金を稼いできてくれて利益が出て実質無料となる。

こんな簡単な事を理解しようとしない、この慎重さ(愚鈍)こそが、日本最大の浪費である。変化を遅らせるために、国家と国民が膨大なコストを払っている。地球は沸騰し、都市はヒートアイランド化し、渋滞と排出が日常の風景となった。それでも「まだ早い」と言う。実際は、“遅すぎる”のだ。

欧州では2040年までに個人所有車が大幅に減ると予測され、米国の都市部では、すでに始まって居るロボタクシーが2026年中ごろには爆増して、公共交通の一部として定着する見込みだ。将来的には移動コストは20円/kmを切り、広告やサブスクリプション収益で“無料移動”も可能になる。日本人がクルマに費やす6000万円は、すでに「未来への支出」ではなく「過去への供養」である。

車を所有する自由はもちろん否定しない。しかし、所有することが「前提」であり続ける社会は、効率も倫理も時代に取り残される。AIが安全運転をし、走行中に発電し、クラウドで最適経路を共有する時代に、私たちはまだオイル交換の心配をしている。

地球の温度は上がっても、日本人の価値観は凍ったままだ。ロボタクシーが普及すれば、6000万円の移動コストは800万円になる─そして無料にもなる─それでも動かない社会。

つまり、燃費が悪いのは車ではなく、この国の意思決定そのものなのだ。簡単に言えば”頭が悪い”と云うダケの事である。

日本の法律が日本人を虐待する時代が到来しそう!

■AI時代のAI化主要国最遅の国家ニッポン ― とうなる2030〜2035年“AI時代”を見送る島国の末路

昨日、ユーチューブで中国のニューエコノミーBEV企業の今の工場の映像と日本の大企業の今の工場の映像を見比べてガクゼンとした。中国企業の工場には人が殆ど居ない!日本企業は30年前と同じ人だらけ!ちなみに日本の大企業の方が企業規模は数倍も大きい!

みなさん、時代はもう確実にAI時代です。そして生き残る唯一の方法は、「AIをうまく使うこと」ではありません。“AIと共にまったく新しい価値を生み出せる力”を持つことです。

日本の時代無視の教育の大学入試も典型だ。全員が同じ問題を解く「一斉テストの平等」は、もはや“創造の敵”である。AI時代に必要なのは「正解を出す力」ではなく「正解をつくる力」なのに、日本では「間違えること=恥」の文化がいまだに支配的だ。子どもが失敗すれば「将来が心配ね」と眉をひそめ、大人が挑戦すれば「出る杭」として打たれる。結果、社会全体が「出ない杭」で安定する。

今までの労働価値はソリューション!問題解決、カイゼンが価値を持った!しかしAIがそれを全部引き受ける。そしてこれからの労働の価値・人間価値は・・”新しい価値創造”である。

生成AI(人工知能)、知能ロボット、自動運転、インターネットなどが生まれた時には目の前に解くべき課題があったのではない。自ら全く新たな価値(こんなの良いじゃん)を構想し、実際に機能するシステムを組み上げ、そのシステムが社会に受け入れられたことで新たな真の価値が生まれた。

AIは、現在でも世界の研究者が10年かけて積み上げた成果を、わずか2日で再現する。つまり、努力と根性の物語は、もう終章を迎えました。人間が汗を流して試行錯誤している間に、AIは静かに「結果」だけを積み上げていくのです。さらにこのAIのスピードはAI進化と共に指数関数的に上がります。人間の研究の努力の10年がAGI時代には10分になる可能性も有り得る!

もうAIが進化し始めて、プログラムコードをAIが書き始めました、これからたった2年でプログラムコードなど人間がする仕事では無くなります。あらゆる職業の”普通の人”の仕事をAIで代替え出来る時代になるのです。普通の医者も普通の教授も普通の弁護士も普通の不動産屋も、普通と名が付けばすべてが不要になる時代が到来します。

日本でも今年ノーベル賞受賞の学者が2名出ましたが・・昭和の根性論⇒諦めない力⇒継続力・・を強調して居ましたがAI時代には、その価値は霧散する可能性が高そうです。発想する力のみになりそうですね!

では日本は、どこを向いて歩いているのでしょう。教育は昭和の黒板のまま、企業は年功序列のまま、政治は「とりあえず検討中」。AI時代を迎えるにあたって、私たちは“準備中のまま本番”に突入しようとしています。

昭和の古すぎる受験戦争を勝ち抜いた人々が、令和のAI戦争を指揮している――この構図自体が、すでにコメディです。「文理分け」などという概念をいまだに信じ、科学を知らないリーダーが技術を語り、AIを使ったことのない政治家がAI規制を論じる。まるで、彼らの議論は、さながら「箸の持ち方を知らない人が料理法を語る」ようなものだ。

しかし、この滑稽さを笑っていられるのは今のうちです。AIヒューマノイドが量産されれば、彼らの“時給”はわずか57円。10年もすれば、量産モデルは20円台で24時間働く。休まず、文句も言わず、労働基準法にも引っかからない。――日本の理想の社員像、ついに完成、です。

AIヒューマノイドが社会に実装されれば・・時給57円〜200円程度の労働者となります。早ければ5年後、遅くとも10年後には確実視されています。

想定される“時給換算”

仮に以下の条件で計算してみましょう。

AIヒューマノイド購入価格:200万円(中国系)・・現在でもまだ、幼稚だがこの程度前後の価格

耐用年数:5年(=約43,800時間:24時間×365日×5年)

電気代・整備費など:年間10万円(5年で50万円)

すると、総コストは 250万円 ÷ 43,800時間 ≒ 時給57円 になります。

つまり、ヒューマノイドの時給は約50〜60円相当。今後、量産によって本体価格が100万円台、耐用年数が10年に伸びれば、時給20円台まで下がる可能性があります。

日本の法律では日本人の最低賃金を1,121円に決め、1500円程度にするとの事です!貴方が経営者なら同じ仕事、むしろAIヒューマノイドの方がミスなく確実な仕事をする!自給20〜25倍の人間使いますかねぇ〜

AIヒューマノイドの頭脳とAIロボタクシーのECUは、ほぼ同じモノが使用可能です。テスラのECUは2025年末頃に 現在のHW4.0(ハードウェア 4.0)から約40倍の性能のHW5.0となり、それからほぼ1年毎程度にHW6.0⇒HW7.0⇒HW8.0(宇宙船に使えるレベル)に進化するとテスラ社はすでに設計を開始したと発表しています。

人間がAGI又はASIに代わられる時代の、2030年前後とは、実のところ「時給50円時代の幕開け」でもあります。AIが安すぎるのではなく、人間が高すぎるのです。しかもその人間時給の“高さ”は、知恵でも技でもなく、非効率さと会議時間の長さ(壮大な無駄)に支えられている。ここに、私たちの悪慣れが凝縮されています。

問題を先送りにしても、AIは待ってくれません。「10年ひと昔」は昭和の話であり、日本以外ではもう遠の昔に終わっています。10年ひと昔(1990年頃・昭和の話)⇒5年ひと昔(2000年頃)⇒3年ひと昔(2010年頃)⇒1年ひと昔(2020年頃)⇒今2025年10月時点では”3カ月ひと昔”の時代に恐ろしい時間ロスですね!このスピードに、社に持ち帰り「検討します」の連続(数カ月)で応えようとする国がほかにあるでしょうか。

世界の最先端国では、すでに決定権の無い人間が商談に参加するなんて事は有り得ない事なのですね!社員は自分が決断し1つの失敗でクビをかけて皆々は働いています。日本人は「一度社に持ち帰り検討してお返事します」が常套句となり、こんな事を何度も何度もする事が商談(仕事)だと錯覚しています。

現状、アメリカでは、IT人材の65%が一般企業に所属しています。一方、日本ではその逆。IT企業の中にIT人材が74%閉じ込められ、ユーザー企業には26%しかいない。つまり「ITを使う側」が技術を知らず、「技術を作る側」は現場を知らない。結果、日本のDXは“見た目だけデジタル”という、哀しいコスプレ状態です。

教育も同じです。日本の入試は、全員に同じ問題を出し、同じ答えを出した人を褒める。「正解を出せる子」は育つが、「正解を創る子」は育たない。つまり日本では「未来を創る人間」は育たないと云う事です。AI時代に必要なのは後者なのに、教育制度は前者を磨き続けている。この国では、創造力より“空気を読む力”が評価されるのです。

でも、時代はもう待ってくれません。AIが社会に完全実装された時、人間に残る仕事は「価値を構想し新たな価値を生み出す力」だけです。誰も見たことがない未来を想像し、そこへ一歩を踏み出す勇気。それがないなら、私たちはAIの監視下で、“人間らしく見えるだけの存在”として暮らすことになるでしょう。

この国の最大の病は「悪意」ではなく「悪慣れ」です。問題を知っても声を上げず、改革を望んでも動かず、「誰かがやってくれるだろう」と微笑むうちに、未来は静かに遠ざかっていく。

みなさん。この国の未来を守るのは、テクノロジーではありません。**“考えようとする意志”**です。
AIがどれほど賢くても、考える責任だけは、まだ私たちの手の中にあります。それを放棄した瞬間、自ら思考しない日本人の様な人間の時給は――20円です。

資源らしい資源の全く無い日本は・・今始まって居るAI時代は一番の被害を受ける事になりそうですね!

2025年11月04日

いくら超高性能な歯車でも、それ1個では全く無価値

日経平均が5万2千円だって? すごい数字だよなあぁ〜〜〜。だけどコンビニの弁当は高くなる一方で、給料は上がらない。正直、株価のグラフより冷蔵庫の中身の方がリアルだ。テレビが「日本経済は力強く回復」なんて言ってても、どこの日本の話なんだって思う。庶民の体感温度は、まだ真冬だよ。

A. 株高は“選ばれた人たち”だけの運動会
政府がAIと半導体を「国家戦略産業」だって持ち上げてる。2030年までに10兆円の支援、官民で50兆円投資、経済効果160兆円? まるで数字の打ち上げ花火だ。でも現場の企業のAI力は先進国で最下位クラス。結局、ラピダスに1兆円、TSMCに4760億円と、札束は一部のエリート企業にだけ降る。地方の中小企業? 補習もなしの置き去り状態だよね。

今後Ai化の進展と共に日本の企業は息の根がドンドン止まる事も確実な未来だよねぇ〜、AI時代には日本の企業の殆どの”多重下請けビジネスモデル”なんて全く通用しなくなるなんて事は、中学生でも簡単に判る事だよね!

まさに勝ち組ニューエコノミー企業の殆どは内製率の高い垂直統合型のビジネスモデル企業ダケである。テスラやファーウェーやシャオミ等などは半導体設計からAi開発まで全部自社で巨大な投資(年間売上総額の数倍)をして行って居る。普通の開発社員でも年俸1億円〜数億円なんて社員がゴロゴロ居る。

高市首相はアベノミクスを継承、円安と金融緩和を続けて大企業は最高益。でもその儲けの湯気は、庶民の食卓までは届かない。株価が上がっても、味噌汁の具は少なくぬるいまま。

B. 他の産業は“冷凍庫の中”
半導体支援は立派だけど、2023年の対内直接投資(FDI)は3.0兆円で33%減。世界196位って、北朝鮮より下なんだぜ? 笑うしかない。

サービスや運輸、通信なんかの非製造業は投資が前年比50.4%減。完全に冷凍保存。企業の内部留保は637兆円と過去最高、13年連続更新。金はあるけど動かない。まるで種もみ田んぼに植えない農家の様だね!経済ってより、もう「貯金通帳国家」だよ。

C. 実感なき“AI景気”
実質賃金は6カ月連続マイナス(−0.8%)。AI導入が雇用を生むどころか、「効率化」という名のリストラを進める口実になってる。株高なんて、富裕層にジャブジャブにあまりに余ったお金をAIのアルゴリズムが人間より速く利益を吸い上げた結果だ。

その一方で、商店街の灯りは次々消えていく。「経済成長」という言葉だけが、ネオンみたいに空しく光ってる。現実は節電モードのままだ。

D. FDI「Foreign Direct Investment」「海外(外国の日本への)直接投資」196位って、もうギャグだろ
日本のFDI比率は5.89%、OECDでも最下層。北朝鮮より下って聞いても、もう驚かない。政府は「2030年までに120兆円に増やす」と息巻くけど、それでも世界175位クラス。つまり、“底辺の中の底辺+”を目指す宣言だよ。いくらスローガン上げても中身が無く魅力が無い日本では誰も投資なんかしないと思うよ!

外資が入らない国って、血流が止まった体と同じ。新しい血が回らないから、古い細胞――つまり既得権層――がゾンビみたいに生き続けるんだ。外資だって100%日本に企業進出の投資しても儲からない!意味が無いと思って居るからジャブジャブマネーでも日本に投資するのは・・速攻直ぐに逃げられる日本株ダケだよね!

何時破綻してもおかしくない、何時バブルが崩壊してもおかしくない日本に、普通の神経では投資など出来ないよね!日本人の知識人だって滅茶滅茶”先が無い危険すぎる日本”になど殆ど投資などしていないのだから・・・日本人が大好きな大トヨトミ様でも、外国にしか新設工場は建てないからね!等々アメリカや中国で生産して日本に逆輸入なんて話まで出てきましたよ!

経営者なら当たり前である、中国製造原価最低(日本製造の1/2以下)が可能!日本販売利益世界最大!世界販売の利益率平均の5〜10倍が可能!

原理原則⇒企業の目的⇒利潤を上げる事!・・・仕掛ける人間は仕掛ける相手がバカであればある程簡単に儲けられると云う事ですよね!日本企業が大得意な”カイゼン”の最終系です!・超簡単な話です。参考サイト

https://global.toyota/pages/global_toyota/ir/financial-results/2025_4q_presentation_jp.pdf

権威国の独裁国家中国の富裕層は共産党政権が台湾進攻など起こして徴兵制が敷かれたり、財産没収なんて事を心配して、日本に、逃避する事も考えて、日本のマンションや不動産を・我が身と富を守る保険として買いあさって居るダケだよね!、今の所、激安日本で世界中からのインバウンドで民泊業者に丸投げすれば・・年率20%前後で運用(5〜6年我慢すればタダ)できるから損も無い!だから東京マンション投資だよね!

E. バブル? ああ、またそれかぁ〜
100でも割高と言われるバフェット指数は200超え。米国より高い。完全にバブル。でも国民は「またか」でスルー。もはや反応も薄い。バブルも崩壊も、ニュースじゃなく“季節行事”みたいなものだ。問題は、麻痺してるどころか壊死していることに気づかないことだよ。「悪慣れ」ってやつ。改革が遅いのは伝統芸、問題の先送りは国技。日本社会はもう「問題の冷凍保存装置」になってる。

――結局さ、危機は「慣れる」ことで消えた気になってるだけ。
でも本当に消えてるのは、危機じゃなくて感覚なんだよな。5万円の株価を見て莫大な実利を得て「すごい!」って言ってるのは1万人に1人だけで、その間に、俺たちの生活はどんどん痩せ細ってる。金融リテラシーの高い、なおかつ最先端のAI使いの1万人に1人は、バブルが崩壊しても殆ど、その先に逃げ切って居る!

私も日本の先のバブル1988〜1989年末迄の不動産バブル崩壊は頂上で売り抜けて2カ月前に損失ゼロで逃げ切った実績が有りますよ!(私の仕事は不動産会社経営だから不動産を仕入れ無い事には仕事にならないからね!バブルで儲けようと金に群がった訳では無いので・・その点よろしくね!)

株価が上がるたびに、希望より違和感が募る。「これでいいのか」と思っても、笑ってごまかす。その“悪慣れ”こそが、いまの日本の一番高いコストだよ。AIが笑う前に、自分たちの感覚を取り戻さなきゃ、本当に人間まで“自動運転化”されちまう。だよね!・・

「衰退すると云う事=痛みが生まれると云う事」衰退を止めるには痛みを受け入れ、傷んだ原因を除去し、さらに痛みを伴う努力をする事以外に立ち直る事など不可能!借金をして痛みをごまかし、先送りすればするほど、痛みも何倍にしても先送りを意味する⇒未来世代が全く責任が無いのに強烈な痛みを受ける事を意味する。

こんなドシンプルな原理原則さえ日本の山ほど居る東大卒は理解出来て居ない!否!当然理解しているが「金ダケ、今だけ、自分ダケ」で97%の思考停止の民や、その子や孫に押し付ける事を決断したのだろう。

昭和の人間として感じる事は、戦後昭和の若者は猛烈な正義感と使命感(真の愛国心)を持っていて、いい加減な政府に膨大な学生運動党で”否”を強烈にアピールした!一部左翼の行き過ぎで自滅したが・・私も含めて多くの若者は”公憤”をストレートに現わしていた!だから昭和の日本は運も良かったが、色々な世界的創業者が生まれ、それを支える若者が多く輩出された!だから昭和の発展は日本の歴史にただの1度も無かった大発展を可能にした。・・

しかし、殆どの正義感溢れる”昭和の公憤若人”は年老いてしまった!守りに入ってしまった!しかも過半は、その日暮らしの生活苦で有り貧困老人化している。今夏の令和の米騒動の2000円の古古古米に群がる老人の大行列を見れば明らかな事ですね!

「金ダケ、今だけ、自分ダケ」で生きた人間の成れの果てですね・・この生き方で生きた人の97%は金も無くなる運命を理解して下さいよ!

悲しいかな平成の若者に”公憤”なんて全く感じられない!ちゃらい「今だけ、金ダケ、自分ダケ」が人間の”根っこ”になりさがった動物的な生き物化をした様だ!そんな生き物に貶めたのは日本のマスゴミや教育者や仕掛ける大企業経営層なのだろう。むかしから言い伝えられている事が日本でそのまま起きて居る。

夢を持ち起業した初代から2代目に承継できた企業は全体の約30%、3代目にまで承継できた企業はわずか約13%、そして4代目以降まで至る企業は約3%に過ぎない!

国税庁の数字によると、会社が10年続く確率は6.3%程度、つまり16社のうち1社しか生き残れません。 20年続く確率は0.4%しかなく、さらに生き残るのはそのうちの6%しかありません。 30年続く確率は0.021%で、さらにそのうちの5%しか生き残れない計算との事です。

つまり、日本では代々続く地域のお殿様企業や日本国の有名企業しか30年以上は生き残れない事を意味しています。新芽が踏み潰される文化を持つ国!・・・それが日本の実態です。溺れる犬を上からよってたかって棒で叩きまくる文化の国とも言えます。日本人は今も昔も、ほんの一握りの代々の権力者に支配され続けて居る事を日本人は自ら選択しているのですね!

「初代が企業を起こし成長させ、2代目が現状維持で、3代目が会社をつぶす」・・戦後昭和が初代企業家、2代目がバブル崩壊から平成、3代目が令和の日本・・となるのだろうね!

貴方に正義感や利他心や公憤は有りますか?さて、自問自答してくださいね!

今後のAI⇒AGI⇒ASI時代の急速な進捗では確実にAIエージェントによりホワイトカラーからリストラが始まり、時給50円相当のヒューマノイドの普及と共にブルーカラーもリストラが始まる事は確実な事です!人間は時給50円では生きては生きては行けませんよね!10年後には推定50%の人はリストラ不可避です。AI化は今までの革新での様な新しい仕事が生まれてもAIが即そのまましてしまいます。新しい仕事の新雇用は生まれないのですね!

その時・・・日本の大組織、大企業の歯車で働いていた人ほど、世の中の役には立ちません!自活力は最低の人々です。零細企業や自営業の人程、人間としての自ら生き抜く力を持っています。

簡単な事です、ド古い自転車なら何時でも走れますが・・Ai-BEV化に乗り遅れた型古の自動車の中古の廃棄エンジンダケ有っても何の役にも立ちません。ましてや歯車1個だけなんて・・・資源ごみで有料で無ければドコも引き取ってはもらえませんね。

それと同じ事が今後5年〜10年〜15年かけて日本人の過半以上に確実に起きる事です。

私たちの選択肢はなるべく良好な人間関係をEQ力や利他心を高めて構築して自給率、自由率を上げる事しか出来ません!貴方と私!その親友共々お互いに未来が感じられる者同士、利他心を発揮して助け合ってAI時代を生き抜きましょう!

84年前の軽いノリと同じ・空気感・が日本を支配している

日本は今、「異次元緩和」という名の夢から、まだ覚められずにいる。2013年、アベノミクスが放った「三本の矢」は、いまや「借金・円安・物価高」というブーメランになって我々の生活に突き刺さっている。それでも、痛み止めのモルヒネを大量に打たれた、この国の多くの人々は“あの時は良かった”と懐かしむ。

あの時代がまだ続くと信じたい。そんな郷愁が、国全体を麻酔のように包み込んでいる。結果、またしても「積極財政」の掛け声が響き渡り、82%もの国民がアベノミクス信奉者の弾けたperformanceの軽いノリの右翼おばさん高市政権を、“なんとなく支持”している。だが、その「なんとなく」が、最も恐ろしい。

そして、いまや与党政治屋の過半ですら「もう借金は限界」とつぶやく。だが、減税と見せかけて、その舌の根も乾かぬうちに、内緒で「増税ラッシュ」の号砲が鳴る。国民には“減税します”と笑顔を見せながら、裏では“別の名目で増税します”と計算機を叩く。これが令和の政治である。高市政権の「口だけ減税」は、まるで「カロリーゼロのラーメン」のようなものだ。見た目は軽くても、結局は太る。金融所得課税の強化や社会保険料の引き上げが進み、財布の中身は減る一方。これを“減税のようで増税”という、日本政治のブラックジョークと呼ばずして何と呼ぼう。

Q1ランクの政治経済学論文の殆どでは、国民の「政策無関心」が国家の財政破綻リスクを高めると警告している。日本はその典型だ。異次元緩和で借金を増やしても、誰も責任を取らない。マイナス金利で市場を歪めても、誰も「やめよう」と言わない。アルゼンチンの様な破綻国で状態化しているポピュリズムの極致と同じ事である。

まるで壊れた蛇口から永遠に水が出ているのに、誰も止水栓を探そうとしない国。それが、我々の愛すべき「先進国・ニッポン」である。

高市政権は「減税」を口にしながら、同時に「増税の必要性」も語る。政治とは便利なもので、両方言えばどちらの票も逃さない。だが、その結果は「どちらも裏切る」ことである。減税を期待した国民は増税で裏切られ、減税を恐れた財務官僚は結局借金爆増で裏切られる。誰も得をしない政治が、堂々と“安定政権”と呼ばれる。日本的アイロニー(皮肉)の極致だ。

そして、それを支えているのが、82%の“悪慣れな無関心”である。「よくわからないけど、金ダケ、今だけ、自分ダケ、景気が良くなりそう」という曖昧な期待が、最も危険な通貨となって日本を循環している。反知性主義の本質とは、知識を否定することではなく、「考えようとしないこと」である。

仕掛ける企業の為に購買力を煽るテレビのコメンテーターが笑顔で「景気は回復基調です」と言えば、それが真実になる。だが、現実の賃金は25年前より低く、家計は光熱費と社会保険料で火の車。Q2論文が示す「名目成長と実質生活水準の乖離」は、まさに日本の今を言い当てている。

我欲政治屋しか居ない日本政府は“国民のため”と称して補助金を乱発する。EV補助金、婚活支援、地方創生、はては半導体誘致まで。だがそのほとんどが短期的な人気取りであり、持続的な成長を生まない。補助金を受け取った企業が数年後に撤退し、また別の補助金が新設される――この「経済のモグラ叩き」は、もはや政策ではなく娯楽の域に達している。税金というハンマーを振るうたび、財政赤字というモグラが増える。

そして国民は、そのゲームを「自分の番が来るかも」と眺めている。給付金がもらえた、補助金に通った、減税の話が出た――小さな得で“大きな損”を見失う。反知性国家とは、損得の計算を個人単位でしかできなくなった社会のことである。国家全体の帳簿は赤字でも、個々人が“ちょっと得した気分”になれば、それで政治は続く。

では、このまま日本はどうなるのか。学術的には「債務残高GDP比が300%を超える国は貨幣信頼を喪失する」とされる。日本はすでに1415兆円、実質GDP比、250%を突破した。以下データ元参考サイト

https://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/menu.html

https://www.mof.go.jp/kids/2018/qanda/q13.html

https://www.boj.or.jp/statistics/sj/sjexp.pdf

限界はすぐそこだ。南海トラフ4連動地震や首都直下地震が(合計3000兆円の被害額)到来すれば、即ヤバイ!!!それでも、政治家も国民も、「日本は特別だから大丈夫」と言い続ける。そう、我々は世界で最も“自信過剰な債務国”なのだ。

 反知性の温床は、無知ではなく「慣れ」である。増税にも物価高にも、我々は慣れてしまった。苦しみが日常になれば、人はそれを「仕方ない」と呼ぶ。痛みに鈍くなる社会、それが悪慣れ国家の正体だ。

 もはや必要なのは「新しい政策」ではなく、「目を覚ます勇気」である。減税を恐れるな。補助金を疑え。そして、数字の裏にある構造を見抜け。

 この国がまだ立ち直れるとすれば、それは知性を取り戻したときだけだだが84年前の日本人と同じく洗脳されたカルト教団の信者の様な今の日本人には、それは無理筋でろう。
 82%の“悪慣れ支持”を、“なんで支持してるんだろう”に変えられた極少の人間ダケがその瞬間――極少の日本人だけは、はようやく、再生の入り口に立つのだろう。

それまでは、悪慣れと反知性の祝宴が、静かに続く。今日もテレビの中では、「経済は回復基調です」と笑顔が流れている。

2025年11月03日

安く、速く、賢い車が世界を走る時代に、私たちはまだ「次の会議で検討する」と言っている

かつて「ものづくり大国」と呼ばれた日本。その名残は今も口癖のように残るが、現実は“悪慣れ”の沼に沈みつつある。2026年、ついに中国のBYDとGeelyが日本の軽自動車やミニバン市場に乗り込んでくる。ガラパゴス化した日本市場に、世界最強のコスパ軍団が上陸するのだ。

BYDの新型軽BEV「ラッコ」は、2026年夏ごろの発売予定だそうだ!航続距離200〜250km台、価格は補助金込みで200万円を切る見通し。総務省の統計では軽乗用車の平均価格が163万円だから、ガソリン車とほぼ横並びだ。これを“脅威”と感じない国があれば見てみたい。

なにしろ、BYDは電池から車体までを自社一貫で生産し、無駄のないサプライチェーンを構築している。日本のように部品メーカーを何層にも挟み「系列」で固めた構造では、同じ土俵に立つことすら難しい。

一方、日本勢はどうか。スズキは「Vision e-Sky」という試作軽EVを公開し、「他社を見ながら価格を検討する」と控えめに語る。要するに、様子見だ。トヨタは「カローラEV」構想を示したものの、動力源すら明かさない。まるで時代を観測するだけの“観客国家”になってしまったようだ。

蓄電池性能では中国のBYDやCATLは圧倒手に優位でありICE車と比較しても蓄電池のデメリットは全てクリアしているので・・EV性能では日本メーカー製の蓄電池では太刀打ちできない。AI自動運転のADAS性能に付いても日本メーカーは他国よりこのシステムを買うしか他に方法が無い。当然原価はさらに高くなる。

EV普及率を見ても、すでに世界平均で22%に達している。日本は先進国で最下位。新車販売に占めるEV比率はわずか1〜2%。欧州ではすでに30%前後、中国では57.2%を超える。充電インフラの整備も遅れ、しかも超低性能のチャデモと云うガラパゴス規格は日本ダケ!補助金政策も場当たり的。なのに、街角では「EVはまだ早い」「災害時に不安」といった声が根強い。まるで“変わらないこと”に安心する国民性が、技術革新そのものを拒んでいるかのようだ。

興味深いのは、すでに中国ではBEVの価格がガソリン車(ICE車)と同等か、それ以下になっていることだ。BEVの電費や修理代等々の維持費はICE車より遥かに安い(1/3以下)ので・・同じ値段なら遥かにBEVの方が経済的である。

2025年中国でのBEV価格1〜9月期の平均価格は約14万2000元(約284万円)で、わずか1年で1割以上も下落。装備はフルオプションが標準価格、OTA(無線アップデート)で常に最新機能に自動的に更新される。対して日本のICE車の平均価格は軽四を入れても300万〜350万円台+オプション費20〜50万円。しかもソフトウェアは更新できず、購入した瞬間から“時代遅れ”が始まる。

皮肉なことに、こうした遅れを「安全性」や「信頼性」の美名で正当化するのが日本の得意技だ。しかし、世界の競争軸がハードからソフトへ移った今、昔ながらの職人魂では勝てない。EVとは「動くスマートフォン」であり、AIとソフトウェアが中枢なのだ。

では、なぜ日本はここまで“悪慣れ”してしまったのか。
@ 問題を先送りし、「様子を見よう」が口癖の政治と産業。昭和の価値観で昭和のジジイが日本を支配
A 「前例」と「安全策」に埋もれて、新しい挑戦が罪悪視される社会風土。
B そして、企業も国民も「今だけ、金だけ、自分だけ」の短期思考に慣れ切ってしまったこと。

こうした悪慣れが、世界との距離を静かに広げている。かつての技術立国・日本は、いまやEV後進国として“技術の孤島”に取り残されようとしているのだ。Japan Mobility Show2025に出展している大企業の出展内容やプレゼンを見ても・・昭和・・のママで目新しい技術プレゼンは無しである。創業者の美化や過去の栄光ばかりを宣伝して未来感が有るプレゼンは皆無の状態。しかも映像や写真を見ると見学者がとても少ない様にも感じる。

BYDの登場は、日本社会への“現実通知”である。安く、速く、賢い車が世界を走る時代に、私たちはまだ「次の会議で検討する」と言っている。だが、その会議が終わるころ、世界はもう次の時代を走り去っているだろう。

イーロンマスクなどは”自動車の時代を終わらせる”と宣言をしている。AI時代(今)2026年末のエマージェントアビリティー越えの爆発進化⇒AGI(2027〜2028年)⇒ASI(2029〜2035年)時代を考えれば、自動車の時代は5〜10年以内に終わる事が容易に推定可能である。このAGI以上のプラットフォームは全ての産業、AGI以上の恐ろしさは、”AGIが自ら思考する”と云う天と地ほどの差である。全ての人間生活のプラットフォームになる恐ろしさを日本人ダケが知らない。

世界の勝ち組中の勝ち組企業が社運をかけてのAI開発支出が主要10〜20社程度で2024年で約1兆ドル(約155兆円)、2025年には約1.5兆ドル(約232兆円)へと急拡大し、2026年には推定300兆円を軽く超える事が色濃く予測される。方や日本企業は日本全体でも2025年のAI投資額は1兆円にも届いていないと予測される。

エビデンスを重要視する私としてはAIに検証させたが、AIも日本国全体での2025年のAI投資額はアメリカの1/120程度であり、日本国全体で合計、数千億円(5千億円前後)から最大でも 1兆円程度と答えて来た!

日本人だけは10年後もガラパゴス化して世界に置いてきぼりのド中古車だらけの老人の暴走突っ込み事故や逆走事故多発の自動車社会を続けているのかも知れないね!

問題を先送りする癖が国家の体質となったとき、競争は終わる。悪慣れした社会とは、変化を恐れ、衰退を受け入れる社会である。軽自動車に未来を託す――それ自体は悪くない。だが、軽いのは車だけにしてほしい。意思まで軽く幼稚になれば、未来は本当に“軽く”消えてしまう。

国民の命を軽んじる日本のリーダー、日本人は上に行けば行くほど劣化人間となる歴史も厳然と存在する様だ!例外的に少数の創業者のみが昭和の日本を発展させたが・・世代を次ぐ内に、劣化度が激しくなってしまった!

チャレンジの失敗を許さず!運悪く溺れてしまえば、上から寄ってたかって日本人全体に棒でたたかれる。不思議すぎる世界でも冷酷な国になってしまった。(私も上から棒でたたかれまくった経験者の1人である)

冷酷は、わが身に返る、天のツバ・冷酷自覚、出来ず悲しき  ミサゴの眼の無い日本人! 

地雷原を自ら選び好んで歩く日本人の不思議!

ニュースが「右翼おばさんの支持率82%!小泉政権88%に次ぐ過去2位」と発足直後より10%上昇したと浮かれている。国の借金は1,415兆円(約9.4兆ドル)を超え、国民の預金より多いというのに、なぜか「おめでたい話」として報じられる。祝杯の裏で流れているのは、どう考えても“葬送曲”だ。だが私たちは、もはや耳が慣れてしまった。

A 「バラマキと減税」という甘い毒

減税や給付金と聞けば、財布が少し軽くなる気がして笑顔になる。しかしそれは、英国を混乱に陥れた“トラスショック”と同じ構図だ。財源なきバラマキは国債暴落と円の信頼失墜を招き、やがて紙幣は紙切れとなる。給付金を受け取り「ありがたい」とSNSに上げる私たちは、その裏でお金の価値が静かに溶けていくことに気づかない。これが「悪慣れ」の始まりである。

河野氏が「フェラーリやポルシェに入れるガソリンを下げる必要はない」と語ったのは正論だ。温暖化が進む中で化石燃料に補助金を出すのは、石油が安くなれば需要を喚起してガソリンの値段は上がる。下げても元に戻るダケの無駄となる。燃油減税は財政が痛み沈む船の穴をさらに広げるようなものだ。物価高の根本原因は円安と金融緩和にあるのに、それを直視せず一時ダケの“気休めの減税”に拍手する。まるで熱を出した患者にアイスクリームを渡すようなものだ。

1,減税⇒どこかの予算を削る、又は声の小さい誰かに増税する。
2,減税⇒増税しない⇒赤字国債発行で日本の借金が増える⇒日本国債の評価が下がる⇒金利上昇⇒円安⇒物価高(物価高と云うインフレ税を減税金額より遥かに多くを支払う事が確実となる)

B 日銀という「時限爆弾」

世界で唯一、株式ETFを買い漁る中央銀行。それが日銀である。現在超バブル状態の株価や債券価格が下がり金利高騰すれば評価損で日銀債務超過、1415兆円以上の国債を抱える日本国財政は金利負担増加となりさらなる赤字国債を発行する羽目になる。つまり“国の心臓”が自家中毒を起こしているような状態だ。利上げをすれば日銀が倒れ、しなければ円が倒れ物価高となる。もう、どちらのボタンを押しても「爆発音」は避けられない。

C 資産インフレという毒薬

バラマキと緩和の結果、株価も不動産も高騰した。だがそれは、実体を伴わない“幻想バブル”だ。バフェット指数は200を軽く超え。かつてのバブル期のような余裕は、今の日本にはない。卵とパンが高くなるだけで給料が上がらない生活を「景気がいい」と言う政治家――その言葉こそスタグフレーションの予告状だ。

D 世界が見限る「Xデー」

ポピュリズム政治が赤字国債を乱発すれば、海外の投資家は一斉に日本国債を売る。彼らにとって日本の崩壊は“投資機会”に過ぎない。円安と国債暴落が同時進行する日、それは「トラスショック」ならぬ「高市ショック」になる。笑って見ていた他人事のドラマの脚本が、気づけば日本語で進行している。

E 通貨の死がもたらす現実

1923年のドイツでは、預金100万円が翌日にはパン一斤になった。戦後の日本でも預金封鎖を経験し1万円が100円になった。だが私たちはその記憶を忘れた。歴史は繰り返す。悪政と通貨の死は、いつもペアでやってくる。

F “悪に慣れた”国民

20年以上のアホノミクスの大失敗に反省する事も無くデフレと低金利が限界に来て円安インフレが爆速で進む、それでもその同じ事をすると宣言したサナエノミクス支持が82%「まあ何とかなる病」だ。政治家は責任を先送りし、官僚は忖度し、国民は「仕方ない」で済ませる。これが「悪慣れ」であり、日本の最大の病だ。借金も災害も不正も、“慣れ”という鎮静剤で痛みを感じなくなっている。心が痛まない社会ほど危険なものはない。

G それでもまだ間に合う(知者+賢者のみ)

円だけに頼らず、外貨・金・実物資産を少しずつでも持つこと。政治家の「甘い言葉」にすぐ拍手しないこと。経済の問題よりも深刻なのは、思考停止という病である。

この国の未来を蝕むのは、「金だけ・今だけ・自分だけ」という価値観だ。感染はすでに末期だが、日本全体を救う事はすでに不可能だ!!!わずかな理性と勇気があれば、まだ救いの余地はある。泡立つ株価の下で、私たちの暮らしが静かに沈んでいる。その現実に気づく力――それこそが最後に残された賢者限定の「希望」という名の価値行動なのかもしれない。

2025年11月02日

ド古い工場と人ダラケの工場をユーチューブに恥も無く流すCEO

「知らねえってことはな、怖えことなんだよ。物事知らねえとな、知ってるやつにいいようにされちまうんだ。」某人気ドラマのセリフです!

私が日々言って居る世の中には2通りの人間しか居ない。@仕掛ける人間、A仕掛けられる(搾取される)人間・・これを解りやすいセリフで表現していますよね!

トヨトミ2025年度上半期の世界販売台数が”過去最高” 北米・中国でハイブリッド車の販売が好調

しかし、その下請けで働くティア2以下の圧倒的に多くの人間の幸せは”過去最高”になっているのでしょうかね!そこをマスゴミは完全スルー!

「過酷下請けニッポン製造業」──笑えないジョークの国で 沈みゆく“金型立国”

かつて「日本のモノづくりを支える縁の下の力持ち」と呼ばれた金型産業。金型は、金属や樹脂、ゴムを成形する「型枠」であり、・自動車・家電・建設・電子部品などあらゆる産業の母体をなす。金型の精度が製品の品質を決める

金属や樹脂を成形する“型の王様”であり、自動車も家電もスマホも、金型がなければ生まれなかった。だがその王国(日本)はいま、音もなく沈んでいる。メーカーやティア1企業が金型の製造企業ティア2〜3の企業に使われなくなった金型の無料保管を強制していると、何度も何度も摘発され続けて居ます。2025.11.01の日本経済新聞7面左上参照

かつて日本に約1万3,000社あった金型企業は、2025年には約4,000社前後にまで減少。帝国データバンクによると、今年(2025年)1〜9月だけで倒産36件、休廃業・解散90件、合計126社が市場から姿を消した。その一つひとつに「熟練の技」と「家族経営の誇り」があったはずだが、帳簿の上ではただの数字である。

原因は明快だ。上には吸血鬼のごとく吸われ、下が削られる「多重下請け構造」という日本的ピラミッド。上層のメーカーが“神”なら、下請けは“供物”又は銀行と大企業が結託して借金漬けで言う事を効かせる”奴隷”だ。原価を提示すれば「コスト削減努力が足りない」根拠無き毎年繰り返されるコストカットの強制!、価格転嫁を求めれば「空気が読めない」。まるで“服従契約”が慣習法のようにまかり通る国である。・・日本の大企業は平社員迄”勘違い”している人が多い!

何時も私は過大な住宅ローンを平気で借りる人に向けて何時も正直に語るので嫌われる。「貴方の勤務する大企業なら銀行はこんな過大なローンも許可が出る、しかし、貴方の実力では無い!その大企業でどんな仕事をしているか!!!がとても大事すよ」・・と申し上げる。大企業にも”部品社員”は山ほど居る。部品など不要に成ったり劣化したり、もっと良い部品が後から来たら・・”ポイ”・・とゴミ箱へ・・それが大企業の本質ですよ!

まだ”ポイ”なら救われる!日本にはやっかいな労働基準法と云う法律故に・・意図的に人間破壊(うつ病化)が行われている現実もある。

老いとともに消える技術

金型職人の平均年齢は50代後半。若者は来ない。「手取り足取り教えられる余裕がない」と現場の声。技能は暗黙知のまま消え、機械は老朽化。政府の補助金制度も“生きてる間に届かない助け舟”だ。審査に半年、入金に数カ月。その間に会社が倒れても、国の帳簿は痛まない。助成金とは、皮肉にも“死後に届く手紙”のようなものである。

デジタル化や自動化の波も遠い話。CADソフトもCNC機も高すぎて手が出ない。「勘と経験」が武器のまま、時代はAIとロボットで戦っている。勝てるはずがない。だが、誰も戦線離脱を許してはくれない。

オギハラとBYD──“吸われた技術”

2010年、中国のBYDが日本の老舗金型メーカーオギハラの館林工場を買収した。80人の従業員とともに、土地も技術も引き継がれた。BYDは「日本のものづくりを学びたい」と語ったが、実際には“学ぶ”ではなく“吸う”に近かった。彼らは日本の金型技術を吸収し、電気自動車という新時代の“武器”に変えた。

つまり、「日本人が汗水垂らして磨いた技術が、今や中国製EVのボディを形づくっている」という、笑うしかないブラックジョーク。オギハラは象徴だった。彼らの悲劇は、“下請け根性”が国全体の習性になっていることの証でもある。それでも日本人は怒らない。「外資が入るのはチャンスだ」などと笑う。いや、それは“輸血”ではなく“抜血”である。

悪慣れという国民病

日本人は不条理に慣れすぎた。価格は上がらない、賃金も上がらない、でも責任だけは上がる。この構造を変えようとする政治も企業も少ない。むしろ「悪慣れ」こそが日本の国民的スキルになった。

悪慣れの代表例としてはJapan Mobility Show2025に出展している大企業のCEOが情熱も哲学も無く小デブの醜い体をさらしながら自らプレゼンしている動画や製造工場の映像などを見ても・・30年前の工場か?と思える程に変化していない、よくも恥ずかしくも無くこのようなプレゼンが出来るのか!と・・お口あんぐりである。

かつて“匠”と呼ばれた人々が、今や「価格交渉力ゼロの職人」として淘汰される。「モノづくり大国」と誇ってきたが、実際には“モノづくらされ大国”だった。金型がなくなれば車も作れない。それでも国は「補助金を配った」と胸を張る。火事場でバケツリレーのバケツを点検しているような話だ。

金型産業の崩壊は、製造業全体の縮図であり、日本社会そのものの鏡である。この国は、下へ行くほど冷たく、理不尽で、搾取的だ。それでも「我慢は美徳」と教えられた私たちは、今日も黙って働く。

けれど――黙っていれば、国も産業も、音もなく消えていく。「悪に慣れる国」に未来はない。金型のように精密に削られ、磨かれた技術を継ぐために必要なのは、もう“根性”ではない。構造を変える勇気である。

この国では、下請けがいつも「悪役」で、上請けが「常識人」。でも、よく見れば、悪慣れしたのは国全体だ。そして今、笑い話のような現実が、冗談抜きで未来を削っている。

今の今!中国車が世界ダントツ1位になった。日本の大企業経営者への疑問や搾取に気付き、社内で排除された日本人が、中国車の開発メンバーとなり開発しているからである。中国は世界中から好待遇で有能な技術者を集めまくって、自由に車両開発を、ここ10年して来た、技術者は嬉々として自分の思う通りに開発をして来た。そして時代スピードは3カ月ひと昔の日本の20倍のスピード感で動いている。

日本企業でダメ経営層のダメ、ダメ、ダメ、それじゃダメ・・の訳の分からないダメ出し、時間が最も大切と時間飢餓状態の開発者を無駄な、会議、会議、会議、懐疑で時間搾取をされていれば誰だってモチベーション最低となる(私もサラリーマン時代に経験済み)。

日本人は@仕掛ける人間、A仕掛けられる(搾取される)人間・・仕掛ける人間の大悪党の@の大企業が大好きである。自分が強烈に搾取されている事さえ理解出来て居ないと云う、とてつもない洗脳から醒めてはいません。日本の大企業の生産性が高い!それはそうだ、下請けや社員や顧客から搾取しているダケだからである。

まぁ〜今の日本の実態を正しく見ようとする為には、江戸時代末期を考察すると今と瓜二つと云う事が判りますよ!今も江戸も五公五民、7%程度の侍が支配、侍の組織、各藩が大企業・・全く同じですね!

黒船が・・テスラや中国ニューエコノミー企業やGAFAM党のAI最先端企業・・全く瓜二つですね!

すでにテスラは”自動車産業を終わらせる”と宣言をしています。現在のテスラの時価総額233.7兆円の内、バンクオブアメリカの分析によると自動車製造販売分は、たったの12%(28兆円)分の評価しかないのですね!ロボタクシー45%、ヒューマノイドオプティマス19%、エネルギー部門6%の企業価値と移行していて、自動車製造部門は今後ドンドン減少してい行くのです。

今の今!自動車ショーでどこやらの大企業の経営者が、我が社は今後も(昭和の時代の様な)社会に役立つ製品を作り貢献して行くと宣言をして居た!この御人”痛い”正直”痛すぎる”。数千万円の新型車のモデルの前で・・超高級車の生産をして社会に貢献?と・・・こんなの誰が買えるの?・・・テスラの言う様に排気ガスゼロの激安移動インフラ化以上の社会貢献は無いと思うけどね・・

そのテスラでさえ自動車製造は中国のニューエコノミー企業には全く勝てない!と判断しているのですね!等々中国のEV比率は57.2%に達した。欧州やアメリカや日本の自動車価格の1/3〜1/5価格で高性能品が製造出来て居て、AI化もドンドン進む中国ニューエコノミー企業。さらにこの差は開く事は確実な情勢です。古すぎる「クルマ屋しか出来ないクルマを作る」なんて昭和の企業哲学の日本企業が勝てる事は99.99%無い。自動車産業で働く日本人558万人の受難の時代はすでに始まって居ます。

「知らねえってことはな、怖えことなんだよ。物事知らねえとな、知ってるやつにいいようにされちまうんだ。」

生きる意味

アメリカ大リーグ・・ドジャーズが勝った!!!凄いエンターテイメントであった。野球など全く興味の無い私でも・・躍動感が有る毎回ドキドキする手に汗を握る程の見ごたえが有った。

それに引き換え思考停止国家・ニッポン〜永遠に繰り返される消化試合の様な“忙しいだけの人生”〜

本当に日本で極少の各部門で超優秀な人は大谷翔平氏や山本義信氏の様に日本を後にしてしまうだろう。

気づけば、今日もまた昨日の再放送だ。・・日本のテレビの再放送だらけと日本人の人生は被る!

「地方都市も含む“都市的地域”に住む人」は日本人の約4人に3人約9,400万人(全国の74.5%)。74.5%の都会では、朝、目覚ましに叩き起こされ、満員電車に押し込まれ、気がつけば定時を超えていた。残った仕事を片づけて帰路につくころには、もうヘトヘト。晩ご飯? 適当でいい。趣味? そんなの、時間があったらやりたいよね……。そんな日本人の姿に、ドイツ人はきっとこう思うだろう。「それ、人生って呼べるの?」と。

思考停止し、仕掛ける側が金で醸成した空気感に縛られ問題先送りが状態化した日本人の今の現実である。

ドイツ人の平均年間労働時間は1349時間。それに対して日本人は1598時間。実に年間249時間=約31日も多く働いている(現実は日本人は最低でも1800時間、中小零細なら2000時間は働いている)のに、時間あたりの賃金はドイツの約半分。残酷すぎる“努力の無駄遣い”である。

生産性もドイツは日本の1.4倍。要は、日本人は「がんばりすぎて、報われてない」のである。

だが、問題は数字だけではない。この国には「忙しいのが当たり前」という謎の空気が蔓延し、その空気が思考停止を促進している。そして、その空気を生み出しているのが、組織でも制度でもなく、私たち自身だという不都合な真実。

私たちは、「何となく皆がそうしているから」という理由だけで、時間も心も人生もすり減らす働き方を続けている。空気に支配され、変えるべきことを変えず、「そのうち良くなる」と思考を先延ばしにする。だが、その“そのうち”は永遠に来ない。

哲学者ニーチェは、「今この瞬間が永遠に繰り返されるとしたら、それを受け入れられるか?」と問うた。あなたは、今日のこの1日を、死ぬまで何度でも繰り返したいと思えるだろうか?

つき合い残業、意味のない会議、心を殺すようなルーティン。果たして、それを“永劫回帰”したいと思えるだろうか?もし「ノー」なら、それはあなたが“生きていない”ことを意味する。

一方、ドイツでは「人生を楽しむ」という視点が、教育・社会制度・文化に根を張っている。彼らは休暇を義務のように楽しむ。2〜3週間のバカンスは当たり前。旅行先のプールサイドで何もしない1週間を過ごすのも「贅沢な時間」として大切にする。遊びや趣味は「息抜き」ではなく、「人生の本番」なのだ。

対して日本では、「休暇=体力回復」。旅行すらも「効率良く動く旅の工程表」で消耗戦になる。人生の主役は仕事であり、休日はそのための“補修時間”。まるで壊れかけたロボットのメンテナンスだ。

しかも日本人は、「自由な時間がない」と言いながら、いざ定年後に時間ができると「何をしたらいいか分からない」と立ち尽くす。

──それは、考えることをやめて、命令されたことだけをこなす“仕事ロボット”として生きてきた証かもしれない。皮肉なことに、「自由がないことに慣れてしまった」人間は、自由を与えられると不安になる。

そしてまた、「仕事がある方が落ち着く」と言い出し、シルバー人材として再び“労働”に戻る。まるで、檻を出た猿が自分から檻に戻るような話だ。これは単なる文化の違いではない。哲学や教育の違い、そして「今をどう生きるか」という問いに対する姿勢の差だ。

日本では、「老後にゆっくり」と言うが、その“老後”には体力も気力も残っていない。現に、60代で病気に苦しむ人も少なくない。そして、そうなってから初めて「あのとき、やっておけばよかった」と後悔する。

だが、日本社会はその“後悔”すらも「美談」にしてしまう。涙の退職祝いや、病床からの手紙がメディアで感動的に紹介され、「いい人生だった」と締めくくられる。

……本当にそうだろうか?

ドイツの街角では、手をつないで歩く老夫婦がよく見られる。若い頃から一緒に時間を過ごしてきたから、今でも自然にそうしている。人生を「今」楽しんできた証だ。その姿に、私たちはちょっとした憧れを覚える。だが、すぐに現実に戻る。「うちはそんな余裕ないからね」と。

そうしてまた、今日も満員電車に乗る。

国内の日本人の多くの人々の繰り返される、哲学も意思も希望も情熱も無い、生きる意味が感じられない、ただ、ただ、忙しいだけの人生。

それでも、あなたは明日もまた「そのうちやろう」と言うのだろうか。

アホは賢者には100%勝てない!

多くの世界的歴史学者や民族学者や経済学者が・・今後ア保リカは確実に衰退に向かうと断言している。

自国第一――その旗は一見、誇りの象徴に見える。しかし実のところ、それは過去から届いた赤信号だ。噓の上に築かれた国家は、例外なく崩壊してきた。歴史が何度もそう教えているのに、人類はなぜか毎回「今回は違う」と思いたがる。

ア保リカはいま、再びその道を歩み始めた。反知性主義の強欲トラトラが叫ぶ「自国第一」は、1920〜1940
年代の亡霊を呼び戻す呪文のようだ。高関税、移民排斥、排外主義――。この三拍子は、1930年代の世界を暗闇に突き落としたレシピとまったく同じ。習近平がそれを冷笑しつつ、静かに「長期戦」でアメリカのアキレス腱を突く構図は、まさに時代の逆転劇である。

反知性主義の英知を攻撃する強欲トラトラ再登場のア保リカは、もはや自由の国というより「自己陶酔の国」だ。石油を掘り、石炭に人工呼吸器をつけ、AIと再エネの時代に背を向けている。科学の声ではなく、自分の権力を維持する為にポピュリズムの炎を焚付、バカを大増産し拍手の大きい群衆の声を創り上げた。まるで「地球沸騰化」という現実を前に、サウナの温度を上げて勝利宣言するような滑稽さである。

そして日本は、そのア保リカの後ろを言われるがままにそっと歩く。いや、もはや“追従”というより“依存”だろう。原発再稼働、EV後回し、石油への執着。AIも再エネも「前例がない」で立ち止まり、沈みゆく船の上で「今日も安全航海中」とアナウンスを流す。これほど見た目だけの平和的な集団自殺が他にあるだろうか。

世界では、中国が風力と太陽光で未来を“充電”し、欧州がAIと脱炭素で新産業を生んでいる。2024年のデータでは、リチウム電池の約75%が中国製。バッテリーの心臓部である精錬・製造・特許までもが中国の手の中だ。ア保リカが「掘れ掘れ」と叫ぶ間に、中国は「チャージ・ベイビー・チャージ」と笑って市場を制した。

それでも日本は、「電池は中国が…」「風力は景観が…」と文句を言いながら、補助金で旧時代を延命する。まるで呼吸困難の経済を点滴で繋ぐように。改革ではなく、保存療法が国是。悪に慣れ、無駄に慣れ、矛盾に慣れ――“悪慣れ”国家の末路は、静かな沈没である。

ア保リカの反知性主義は圧倒的多くの反知性主義国民から拍手を集めるだろう。しかし、その拍手は孤立の序曲だ。壁の向こうで取引も信頼も途絶えれば、残るのは怒りと疑念だけ。そしてそれが、最も高くつく「武力」という手段を呼び寄せる。1920〜1940年代がそうだったように。

私たちはいま、歴史のリピートボタンの上に立っている。再生か、破壊か。選ぶのは私たち自身だ。AIと再エネが未来を拓く時代に、「掘る」ことを選べば、掘り当てるのは石油ではなく、滅びの化石かもしれない。

それでも日本は、ア保リカという「親分」の背中を見つめ、安心して思考停止を続けている。だが依存は安全ではなく、むしろ自立を奪う毒だ。今後親分アメリカが衰退すれば王様は自分を守る為に子分を搾取する。外交も産業も、判断の軸が他国にある国は、もはや国家とは呼べない。

悪に慣れ、先送りを常とする社会は、いずれ真実にも鈍感になる。「まあ仕方ない」「誰も変えられない」と言いながら、未来を他人に委ねてしまう。だが、未来は配給制ではない。

掘るか、変わるか。ア保リカは衰退し、日本もその影で老いていく。だが、まだ遅くはない。1920〜1950年の30年を学び直すことだ。戦争も大恐慌も、原因はいつも同じ――人間の“悪慣れ”である。

壁では国を守れない。守るのは、橋をかけようとする意志だ。信頼という名の橋を。今こそ、私たちがその橋脚の一本にならねばならない。さもなくば、次に韻を踏むのは、確実に悲劇のほうだろう。

今のような衰退に次ぐ衰退の痛みを未来に押し付けて、余力が全く無い、ア保リカの数倍のスピードで衰退して行く日本の現実、親分ア保リカが衰退したら、さらに日本は無理難題を押し付けられる事も確実視されている。その時・・・

貴方はどんな環境でどんな生活が待っていると思いますか?・・価値無き国、誰も見向きもしない国、「金ダケ、今だけ、自分ダケ」の・・価値観しかない国は確実に衰退しますよ!

2025年11月01日

3度は読まないと真意は伝わらない事を理解している日本人は皆無

私が良く読む作家さんの1人が「橘玲(たちばなあきら)氏」である。以下の書籍もとても面白いし、今の日本人のリアルであり、ファクトを端的に表現しているので、貴方にも是非読み込んで欲しい、3度は読まないと真意は伝わらない書籍と感じている。

【バカと無知―人間、この不都合な生きもの―(新潮新書)】橘玲 (著) ⇒日本人の為の書籍!

まさに原理原則⇒「敵を知り己を知らば百戦危うからず」のAI大戦争時代を生き抜く知恵となるでしょう。

大前提の原理原則!この世には2種類の人間しか居ない。@、仕掛ける人間 A、仕掛けられる人間

悪慣れした日本と、ネットの泥沼―ゴミ情報を泳ぐ私たちの「情報鎖国」―

私はいわゆる活字中毒者である。朝のコーヒーよりも先に大量の文字を読み、夜の睡眠時間迄の殆どを活字を読み込み、考え、読み、考えて、読み、考え抜いて行動している。そんな活字人生を26歳より数十年余送ってきた結果、日々痛感するのは──「なんとネットにはゴミ情報の多いことか!」という現実だ。もちろん、これは今時代に大量に発売される書籍にも共通する事でもある。

ゴミ情報は、確実に脳疲労を起こす!ノイズがストレスを過大にする!考える脳力がトレーニングされていな多くの日本人は、考える苦痛に耐えられない!、ネガティブケイパビリティ―の耐力が全く無い!間違って居ても常識と云うオブラートさえかければ安心する。正しい思考に不可欠なファクトを調べる為にQuartile(四分位)の高いQ1〜Q2論文読破が重要!

Q1:トップ25%、最高評価の国際誌⇒「論文としての価値が高い」=Q1ランクのジャーナル
Q2:上位クラス、十分に評価される
Q3:平均的
Q4:下位、あるいは新興誌

Q1論文の被引用件数の多い高度論文読破の苦痛をさけて、「確証バイアスの罠」や搾取者の意図に嵌り「フィルターバブル罠」に落ち込み出られなくなる。

いまや情報は無限にある。情報学の研究によれば、ネット上に流れる情報のうち、信頼に足るものは全体の3〜5%程度だという(※Q1ランクのJournal of Information Science等の分析)。つまり、95%は「ノイズ」か「利益誘導」。だが、そのゴミ“95%”が社会の空気(常識)を作っているのが現実である。実は日本人の思考はリーダー層から末端層迄総じてどんどん薄っぺらくなっている気がする。

なぜ、こんなにも「ゴミ情報」が蔓延するのか。理由は簡単であり以下の4つである。

@まず、情報の多くは“発信者の利益”のために流されている。
広告、ステマ、誘導、そして政治的プロパガンダ。読者のためではなく、「読者をどう利用するか」で作られている。つまり「ゴミ情報」は、ゴミのように扱われる読者をターゲットにしているのだ。
エンタメニュース、芸能スキャンダル、スポーツ論争──それらは多くの人の脳を“思考停止モード”に保つための見事な装置である。

A次に、発信者自身の“自己顕示欲”だ。
「自分がいかに正しいか」「どれほど知っているか」を誇示するための投稿ほど虚しいものはない。SNSはこの“虚栄心製造工場”として、今日も絶賛稼働中である。

Bさらに、受け手の側にも問題がある。
自分にとって価値を感じない情報はすべて“ゴミ”に見える。つまり、ゴミかどうかは主観で決まる。それがゴミなのかを正確に判断する為には読者自身が大量の高品質ファクト知識を持たななれば正しく判断は不可能である。AI活用にも同様の莫大な正しい知識とディープな思考力が不可欠である。だが主観で決まる以上、誰も責任を取らない。

Cそして最後に、もっと厄介な“意図的洗脳”がある。
政治的な誘導、経済的な印象操作──「トヨトミは永遠に強い」「改革者コイズミ」のような幻想が、どれほど巧妙に作られてきたことか。気づけば、多くの人が“誰かの都合の良い物語”の登場人物になっている。明らかに日本のマスゴミが金の為に間違って居ても平気で国民を洗脳している。

こうして冷静に見渡せば、ネット上で本当に価値ある情報など、せいぜい5%ほどだろう。だが、その5%を探し当てるには、膨大な時間と精神力が必要になる。検索しても広告だらけ、引用を辿っても根拠は薄い。まるで情報の砂漠で砂金1粒を探すようなものだ。

そして、日本社会はこの「情報の無秩序」を放置してきた。フェイクニュースの拡散も、悪質なサイトの乱立も、「自己責任」で済まされる。放置、先送り、慣れ──この国の得意技である。行政の不祥事も企業の談合も、誰かが“そのうち何とかしてくれる”と信じて動かない。それが積み重なり、ネットの世界にも「悪慣れ」が深く根を下ろした。

私たちはいま、AI時代のど真ん中にいる。AIが文章を書き、AIが記事を選び、AIが世論をつくる。だが、そのAIの“材料”は、この汚れきったネット情報なのだ。つまり、ゴミ情報を学んだAIは、より洗練された“高品質なゴミ”を生み出す。まさに再利用の極致である。

だからこそ、私は夢想する。AIが個人ごとに最適化された「自動的95%のゴミ情報削除型の検索エンジン」を作ってくれないかと。情報のA・種類、B・カテゴリー、C・信頼度、D・発信日、E・発信者の専門性、F・Q1〜Q2論文等を設定して、自分に本当に必要な情報だけを拾えるようにしてほしい。

ついでに「フィルターバブル警報」も欲しい。自分が特定の思想に偏り始めたら「ピンポンパンポン、あなたは洗脳されかけています」と優しく警告してくれる。そんなAIなら、きっと社会の救いになるだろう。

だが現実の日本では、おそらく“利害関係”という名の壁に阻まれ、誰も動かない。「面倒なことは誰かがやってくれる」──その甘い幻想のまま、私たちは情報の泥沼で今日もスクロールを続けている。

ネットの無秩序は、社会の無秩序の鏡である。放置、忖度、慣れ、そして思考停止。反知性主義者を爆増させる、反知性主義者は陰謀論が大好きだ!もしかすると、一番危険なのは“悪”そのものではなく、“悪に慣れきった私たち自身”なのかもしれない。

さらに恐ろしいのは、特に日本人は強烈な「未来への不安」を内在していて日本人の圧倒的多くは「金ダケ!今だけ!自分ダケ!」で、自己保身中心の利他心皆無で生きている事である。日本は悪慣れした、大悪党、中悪党、小悪党しかいないゴミだらけの国となるのだろう。

私の言説を次なるファクトが証明している。裏金議員大量登用の右翼おばさん政権の現役世代支持率80%以上が証明している。日本を破壊したアホノミクスの首謀者の秘書官(アホのマスクの提案者)まで超側近に採用したとの事である。

アホノミクスの日本破壊と同じ様な政策を実行しようとする恐ろしさ!日本に大企業ジャブジャブマネーで経済活性化!⇒トリクルダウンで日本中の景気回復⇒税収増⇒日本の財政問題解決・・・これは借金が爆増し大企業の内部留保が増え、日本は現在国民の6割が生活苦!⇒貧困老人の大爆増!⇒貧困割合は7割、8割、9割と確実に増大する!

そして1割程度の富裕層にさえ、増税と云う負担がドンドン増していく⇒日本総ストレス過大社会へ向かう。

日本企業に成長する為のキーテクノロジーも有望企業も人財も全く無い状態が今の今である。日本は99.99%成長など出来なかった過去30年、今後の30年余しかない。原理原則⇒原因が同じなら結果も同じ!

もう一度申し上げます。日本人の圧倒的多くは「金ダケ!今だけ!自分ダケ!」で、自己保身中心の利他心皆無で生きている!だからガソリン減税大賛成!金バラマキ逆噴射政策大賛成!・・こんな民族が成長など99%無理!

貧すれば、鈍すのごとく、当たり前・・・ゴミクズだらけ、未来無しかな!

ズレまくって、遅れまくって、痛すぎる!

以下に、最近の日本の大企業御用達のモーターチャーナリストのレクサスLS 改良モデルのリポート要約一覧である。

A.レクサスLS 改良モデルの概要

@ 2025年9月25日、レクサスはフラッグシップセダン「LS」の一部改良モデルを発売。
A F SPORT専用だったカラーが全車で選べるようになり、細部まで丁寧に進化。小規模ながら完成度がすごい!

B.最上級モデル「LS500h EXECUTIVE 4WD」の特徴

@ ボディサイズは全長5235mm×全幅1900mm×全高1460mm、堂々たる存在感!がすごい!
A 3.5リッターV6+2基のモーターで299PS・356Nmを発揮、燃費は12.5km/L。がすごい!
B 価格は1773万円で最廉価モデル(1111万円)より662万円高いが、その内容を見れば納得のすごさ。

C.快適装備と内装

@ 前後席ヒーターが全車標準がすごい!。
A 後席には22ウェイ電動シート+温感リラクゼーション+電動オットマン!これはまさに移動する応接室がすごい!。
B 23スピーカーのマークレビンソン3Dサウンドと、後席11.6インチモニター装備。音も映像もすごく、臨場感がすごい!。
C シート素材はセミアニリン本革、最上級「L-ANILINE」も選べて高級感が圧倒的ですごい!。

D.安全・静粛性能

@ 「Lexus Safety System+」全車標準がすごい!。
A 「アドバンストドライブ」「アドバンストパーク」など最先端の支援機能が満載ですごい!。
B ノイズリダクションアルミ採用で走行中の静けさもすごいレベル。

★注:不思議な疑問・・こんなに”凄いクルマ”とマスゴミが大騒ぎするクルマが何故に全く売れなくてブランド中止になるのかしらね?

世界でレクサス車が最も売れているアメリカ(レクサス約38万台)でさえ米国市場:2024年にはレクサスLSが 2,163台しか売れて居ない。

英国では2020年以降の5年間の総販売台数は39台にとどまり、そのうち昨年はわずか3台だった。撤退により、英国で新車として販売されているレクサスのセダンはESのみとなる。

日本人的にはレクサスは高級ブランドの意識が高いがクルマの本場の欧州では高いレクサスの高級モデルは全く売れない状態なのである。

トヨタ大好きの日本人でも日本国内のレクサスLSの販売台数は2022年合計1,687台・2023年合計2,087台・2024年合計は2000台以下と推定される。月販130台前後程度!

トヨタ関連で働く推定約250万人の内、富裕層は最低でも取引先の社長などを勘案すればトヨタは国内の部品取引のTier1だけで約400社、サプライチェーン全体ともなると延べ約6万社と取引、販売店も5000店舗・・トヨタ愛の深い富裕層は5万人程度は居ると推定される。その5万人が全くレクサスLSに見向きもしない。

日本には東証一部上場企業の優良大企業数は2,183社、日本の全大企業の数1.2万社有ります、これらの社長も全くレクサスLSに見向きもしない。

純金融資産保有額が1億円以上5億円未満の「富裕層」、および同5億円以上の「超富裕層」を合わせると165.3万世帯の人々も全くレクサスLSに見向きもしない。

そんな誰も見向きもしないフラッグシップモデルのレクサスLS・・そんな高級車と云う価値判断で日本車大好きの日本人にさえ全く見向きもされない。そんな誰からも無視されるフラッグシップモデル、レクサスLSを7年間もテコ入れしても全く売れないクルマを売り続けて来た企業マインドを私は理解不能である。

クルマは1モデルで約10万台/年以上を売って元が取れると言われているので、大失敗作と云う事になる。

大失敗作に”凄い”の連呼「静かに沈む国」——悪慣れという名の幸福・・今では普通の装備、普通以下の装備でさえ”凄い”の連発・・日本人のナルシズム中毒症は重篤である。

気づかぬうちに、日本から“高級”という言葉が抜け落ちていた。いや、正確には、まだその言葉は残っている。ただ、そこに魂が入っていない。デパートのショーウィンドウの中で、過去の栄光が静かにホコリをかぶっている。

レクサスの最上級セダン「LS」が36年の歴史を閉じた。それを知っても、多くの日本人は何も感じない。
もはやブランドの死にも慣れてしまった。“慣れる”という言葉は、本来、人間の知恵のはずだった。
けれど、この国ではいつの間にか「悪慣れ」に変わっていた。誤魔化しに慣れ、劣化に慣れ、終わりにさえ慣れてしまったのだ。

かつて「メイド・イン・ジャパン」は世界を輝かせた。その輝きは、汗と情熱と、ある種の不器用さで出来ていた。だが今、その不器用さが「非効率」と呼ばれ、情熱は「コスト」に置き換えられた。気づけば、“美意識”という見えない部分が、真っ先に削られていった。

そして、この高級車で大失敗をしたトヨタは、さらなる高級車ブランドセンチュリーを立ち上げた。以下のセンチュリーに拘るリーダーのプレゼン動画を見て欲しい。

https://youtu.be/Dk-4bjK9mGg

時代錯誤も甚だしい!もう昭和の価値観ドMAX!・・・私は悲しくなった。AIの話は1oも出てこなかった。

スイスの時計職人は、一つの歯車を削るのに一晩を費やす。ドイツのエンジニアは、ボルトの締め方に哲学を持つ。一方、日本の会議室では「どれだけ安く作れるか」が議論の中心だ。文化は数字では測れないと分かっていながら、私たちは数字でしか安心できなくなってしまった。ブランドが消えたのではない。美意識の“手触り”を忘れたのだ。

LSの特別仕様「ヘリテージエディション」には、黒いボディと赤い内装が施された。それはどこか、過去の自分を必死に装う人間のようでもある。416馬力のエンジンを積みながら、魂の音がしない。ラグジュアリーを演じようとするほど、虚しさが増していく。まるで、かつての恋人に似た香水をつけて、失われた時間を取り戻そうとする人のように。

日本のブランドは「合理」と「無難」に毒されていった。上司に逆らわず、波風を立てず、会議で異論を言わないことが“調和”と呼ばれる国。その結果、誰も「これが本当に美しいか」を問わなくなった。「まあ、このくらいでいいだろう」と言いながら、国全体が少しずつ沈んでいく。

何度も申し上げる!原理原則⇒時代に逆らい成功した人間も企業も組織も国家も歴史上存在しない!

時代とは・・確実に環境時代でありAI時代(今)⇒AGI(2026〜2028年)⇒ASI(2029〜2035年)時代である。すでにもうAIが自ら考え、AI車が走りながら10〜30秒先を予測出来、自ら準備をする時代となって居る。

悪慣れとは、確証バイアスに犯され!痛みを感じない心の病だ。怒るべきことに怒らず、失望すべきことに笑ってしまう。いつしか「問題を先送りする」ことが、日本流の“平和”になった。だが、それは静かな死に似ている。音もなく進む腐敗だ。

本当は誰もが知っているのだ。この国が、少しずつ色を失っていることを。けれど、気づかないふりをする方が楽だから、今日もみんな笑っている。それが“成熟”と呼ばれるほどに、心は鈍くなってしまった。

センチュリーを海外に売り出せば、ブランドは蘇るのか?たぶん無理だろう。文化とは輸出品ではない。時間の中で、人々の生活や誇りと結びついて初めて根を張る。根を切られた木が、別の土地で花を咲かせることはない。

日本は今、沈みゆく夕陽の中で、まだ昼だと思い込んでいる。過去の光を映したまま、未来を描こうとしている。だが、夜はもうそこまで来ている。そして私たちは、それに“慣れて”しまっている。

「悪慣れ」は、この国の新しい宗教かもしれない。信者は多く、儀式は日常に溶け込んでいる。会議で沈黙し、ニュースを見てもため息ひとつ。その静けさが、いちばん危険なのだ。

ブランドが消えたのではない。誇りを守る勇気!未来を感じる感性を、誰も持たなくなっただけだ。そして、そのことにすら気づかなくなるほど、私たちは“悪慣れ”に腐敗している。

私は心配でならない!未来を感じる、未来を熟考するリーダーの居ない日本と云う国の未来が・・・

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