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84年前の軽いノリと同じ・空気感・が日本を支配している

日本は今、「異次元緩和」という名の夢から、まだ覚められずにいる。2013年、アベノミクスが放った「三本の矢」は、いまや「借金・円安・物価高」というブーメランになって我々の生活に突き刺さっている。それでも、痛み止めのモルヒネを大量に打たれた、この国の多くの人々は“あの時は良かった”と懐かしむ。

あの時代がまだ続くと信じたい。そんな郷愁が、国全体を麻酔のように包み込んでいる。結果、またしても「積極財政」の掛け声が響き渡り、82%もの国民がアベノミクス信奉者の弾けたperformanceの軽いノリの右翼おばさん高市政権を、“なんとなく支持”している。だが、その「なんとなく」が、最も恐ろしい。

そして、いまや与党政治屋の過半ですら「もう借金は限界」とつぶやく。だが、減税と見せかけて、その舌の根も乾かぬうちに、内緒で「増税ラッシュ」の号砲が鳴る。国民には“減税します”と笑顔を見せながら、裏では“別の名目で増税します”と計算機を叩く。これが令和の政治である。高市政権の「口だけ減税」は、まるで「カロリーゼロのラーメン」のようなものだ。見た目は軽くても、結局は太る。金融所得課税の強化や社会保険料の引き上げが進み、財布の中身は減る一方。これを“減税のようで増税”という、日本政治のブラックジョークと呼ばずして何と呼ぼう。

Q1ランクの政治経済学論文の殆どでは、国民の「政策無関心」が国家の財政破綻リスクを高めると警告している。日本はその典型だ。異次元緩和で借金を増やしても、誰も責任を取らない。マイナス金利で市場を歪めても、誰も「やめよう」と言わない。アルゼンチンの様な破綻国で状態化しているポピュリズムの極致と同じ事である。

まるで壊れた蛇口から永遠に水が出ているのに、誰も止水栓を探そうとしない国。それが、我々の愛すべき「先進国・ニッポン」である。

高市政権は「減税」を口にしながら、同時に「増税の必要性」も語る。政治とは便利なもので、両方言えばどちらの票も逃さない。だが、その結果は「どちらも裏切る」ことである。減税を期待した国民は増税で裏切られ、減税を恐れた財務官僚は結局借金爆増で裏切られる。誰も得をしない政治が、堂々と“安定政権”と呼ばれる。日本的アイロニー(皮肉)の極致だ。

そして、それを支えているのが、82%の“悪慣れな無関心”である。「よくわからないけど、金ダケ、今だけ、自分ダケ、景気が良くなりそう」という曖昧な期待が、最も危険な通貨となって日本を循環している。反知性主義の本質とは、知識を否定することではなく、「考えようとしないこと」である。

仕掛ける企業の為に購買力を煽るテレビのコメンテーターが笑顔で「景気は回復基調です」と言えば、それが真実になる。だが、現実の賃金は25年前より低く、家計は光熱費と社会保険料で火の車。Q2論文が示す「名目成長と実質生活水準の乖離」は、まさに日本の今を言い当てている。

我欲政治屋しか居ない日本政府は“国民のため”と称して補助金を乱発する。EV補助金、婚活支援、地方創生、はては半導体誘致まで。だがそのほとんどが短期的な人気取りであり、持続的な成長を生まない。補助金を受け取った企業が数年後に撤退し、また別の補助金が新設される――この「経済のモグラ叩き」は、もはや政策ではなく娯楽の域に達している。税金というハンマーを振るうたび、財政赤字というモグラが増える。

そして国民は、そのゲームを「自分の番が来るかも」と眺めている。給付金がもらえた、補助金に通った、減税の話が出た――小さな得で“大きな損”を見失う。反知性国家とは、損得の計算を個人単位でしかできなくなった社会のことである。国家全体の帳簿は赤字でも、個々人が“ちょっと得した気分”になれば、それで政治は続く。

では、このまま日本はどうなるのか。学術的には「債務残高GDP比が300%を超える国は貨幣信頼を喪失する」とされる。日本はすでに1415兆円、実質GDP比、250%を突破した。以下データ元参考サイト

https://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/menu.html

https://www.mof.go.jp/kids/2018/qanda/q13.html

https://www.boj.or.jp/statistics/sj/sjexp.pdf

限界はすぐそこだ。南海トラフ4連動地震や首都直下地震が(合計3000兆円の被害額)到来すれば、即ヤバイ!!!それでも、政治家も国民も、「日本は特別だから大丈夫」と言い続ける。そう、我々は世界で最も“自信過剰な債務国”なのだ。

 反知性の温床は、無知ではなく「慣れ」である。増税にも物価高にも、我々は慣れてしまった。苦しみが日常になれば、人はそれを「仕方ない」と呼ぶ。痛みに鈍くなる社会、それが悪慣れ国家の正体だ。

 もはや必要なのは「新しい政策」ではなく、「目を覚ます勇気」である。減税を恐れるな。補助金を疑え。そして、数字の裏にある構造を見抜け。

 この国がまだ立ち直れるとすれば、それは知性を取り戻したときだけだだが84年前の日本人と同じく洗脳されたカルト教団の信者の様な今の日本人には、それは無理筋でろう。
 82%の“悪慣れ支持”を、“なんで支持してるんだろう”に変えられた極少の人間ダケがその瞬間――極少の日本人だけは、はようやく、再生の入り口に立つのだろう。

それまでは、悪慣れと反知性の祝宴が、静かに続く。今日もテレビの中では、「経済は回復基調です」と笑顔が流れている。