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「生きる価値は、どれだけ多くの時間笑ったかで決まる」

人として普通に生きる事が贅沢と呼ばれる日本に日本人はしてしまった。「笑って生きたいだけなのに、それすら贅沢という社会」

以前にもお話しましたが「生きる価値は、どれだけ笑ったかで決まる」——ヴィヴァルディの言葉です。バロックの巨匠が音符の代わりに笑顔を数えていたなんて、なかなか洒落てます。でも現代の日本では、「笑うこと」がどんどん贅沢品になっているような気がしませんか?

かつて「幸せはお金で買えない」と教えられました。でも今は、「幸せになるためには、最低限これとこれとこれは買ってください」と値札付きで幸福が売られている。家電、保険、教育、食事、住宅… ぜんぶ「心の豊かさ」をエサにしたパッケージ商品です。幸福すら“商材”にされたこの国の現実に、そろそろ気づくべきなのかもしれません。

もちろん、笑うこと自体には価値があるんです。免疫力が上がって、血行もよくなり、自律神経も整って、筋力もアップする。笑いは、医者いらずの万能薬。でも、その笑いを生む“ゆとり”が、いま真っ先に切り捨てられている。金銭的なゆとり、時間的なゆとり、そして精神的なゆとり——この3つが揃わないと、笑うことすら難しい。

教育現場でも同じです。人が生きる上で一番大事な事は全く教えてくれません。点数競争、偏差値、内申書。「いい大学へ行って、いい会社に入って、ローンを背負って家を買って、老後は不安で眠れなくなりましょう」という暗黙のレールを疑わないように育てられる。

そこに「感動する力」や「感謝する心」が育つ余地はあるのでしょうか?——感性よりも要領、疑問よりも同調が評価される教育の中で、“自分の幸せって何だろう?”と真剣に考える子どもはむしろ“浮いた存在”にされてしまいます。

そして大人になると、今度はメディアの番です。テレビもSNSも、どこを見ても「足りないあなた」に商品を勧めてきます。「この化粧水であなたも幸せに」「このSUVで週末の父親らしさを取り戻そう」——感動も、自己肯定感も、まるでショッピングモールで買うかのように提示される。

でも、本当の幸せって、きっともっと素朴なものです。たとえば家族とおにぎりを食べながら笑ったり、誰かに「ありがとう」と言ったり、雨上がりの空を見てふと涙が出たり。そんな瞬間が、心の奥からホルモンを出してくれる。「オキシトシン」「セロトニン」「エンドルフィン」——お医者さんの処方箋がなくても出てくる最強の“薬”は、じつは「感謝と感動と笑い」のなかにあるんです。

しかし、現代社会ではそうした自然な感情すら、“生産性がない”“コスパが悪い”と冷笑されがちです。笑顔より成績、感動より効率。人間性より「稼げるスキル」。こうして人は、数字の奴隷になっていきます。

私自身もその罠にかかっていた一人です。ゴルフという「大人の社交」に夢中だった頃、気づけば時間もお金も膨大に使っていました。でも40歳のとき、ふと「これ、本当に楽しいのか?」と自分に問いかけたとき、答えはノーでした。その瞬間から、私は“真の学び”の道へと足を踏み入れました。惰性でやっていたゴルフをやめて、結果的に世の常識でその後の人生で浪費する3840万円と2万時間を取り戻したわけですが、もっと大きかったのは“自分の心に気づけたこと”です。

同様の事はコマーシャル等のテレビで流れるあらゆる商品・エンタメ・プロスポーツ等に付いても同じ事が言えます。商業主義の猛毒を垂れ流すのが日本のコマーシャルなのですね!。蚊を殺す殺虫剤が必要な様に時には毒も必要ですが・・人は殺虫剤まみれでは確実に健康を害します。これと同じです。

私たちが本当に求めているのは、誰かが用意した“幸せのテンプレート”ではなく、自分の感情に正直に生きる自由なのではないでしょうか。

笑い、感動し、感謝する。そのために必要なのは、ブランド物でも豪邸でも高級車でもありません。“心のゆとり”と“感じる力”を取り戻すこと——それこそが、この拝金主義に染まった社会を変える、最も静かで確かな革命なのです。

何時も申し上げている鉄板の不変であり普遍の原理原則⇒目の前の1人を幸せに出来ない人に・・・自分が幸せになれるハズが無いのですね!真の笑顔になれるハズも有りません⇒原理原則!

貴方は大丈夫ですか?