中国はアメリカを追い越し確実に世界1の国になりそうだ!
「錯覚高級ブランドが消えた国」——“悪慣れ”が生んだ日本の無音の終焉
かつて「メイド・イン・ジャパン」は世界の誇りだった。だが、気づけば“日本製の高級ブランド”という言葉は、もう死語になりつつある。時計ではスイスに10倍以上の差をつけられ、車ではレクシスがドイツ勢の足元にも及ばない。中国製にさえ負ける!欧州ではトヨトミはディスカウントカー、レクシスは普通車の認識である。決して高級車のカテゴリーには入れてもらえない。
等々中国では約800馬力の大型SUVが約600万円前後で普通に買える様になった。このモデル等は0〜100q加速は3秒を切るのが普通である。しかもフルフルオプション付きで600万円である。
今中国ではファーウェーのHIMAの高級ブランドMaextro(マエストロ)S800がメルセデスベンツSクラスと同等の値段(2000万円前後)でもベンツSクラスの4倍も売れている。レクシスLLSは高級車のカテゴリーにも入らない!
それでも私たちはどこかで「日本は品質で勝負できる」と信じている。まるで、日本人は過去の栄光の残像を見ながら“現実から目をそらす練習”ばかりしているようだ。
日本人の日本メーカー忖度モーターチャーナリストでも、今の中国車の品質は欧州や日本と全く変わらないと断言している。そりゃそうだよ!欧州や日本から高給+好待遇で引き抜かれた技術者が設計や製造管理、品質管理をしている訳だから当然である。中国車のデザインセンターは欧州に有り、一流のデザイナーが上層部に忖度する事なく自由に設計、デザインが出来て居るとの事だ!
日本の年功序列の子飼いの古い上司に忖度しまくりの低賃金デザイナーが、世界の超一流デザイナーが自由にデザインする中国車にデザインで勝てるハズも無い。
トヨトミが損得度外視で欧州車のブランドに挑んだウルシオ、その系譜を持つレクシスの最上級セダン「LLS」が全くの販売不振で36年の歴史に幕を下ろした。SNSには「ポンチュリーが後継最高ブランドか?」といった憶測が飛び交うが、ブランド価値の本質を理解しないまま「形だけの継承」を繰り返す日本の化石企業には、もはや“文化の継承”は荷が重い!不可能だろう。
高級車とは単なる高額商品ではない。長い時間をかけて培われた艶の有り輝きを放つ「文化」そのものだ。だが日本では、文化を“デザインの一部品”としか扱えない。結果、オラオラ顔の下品にキンキラ豪華を装った「見た目の高級」が残り、内側の品格は消えていった。そこらの下品な成金専用車となった。
ド下品な日本の政治屋でもレクシス「LLS」に乗る人は少ない!私もレクシスの最高級スポーツカーを見に行ったおり、運転席に座ったとたんにそのスイッチ類の程度(感触は品質程度)の低さ、品質の低さ、使い勝手の貧弱!まるで1/6の値段のカローラの内装かと一瞬、”これがトヨトミの高級車?”と信じられなくなり・さすがに日本人から何倍も平気で儲ける事が出来る企業と感じ・試乗を進められたが丁寧にお断りした。
同様の感覚はポンダの最新の「ポンダNSEX」でも感じた!・・両モデルとも大失敗作となった様だ!高級を理解出来て居ない作り手に高級車を作らせる経営層も真の高級の意味を理解出来て居ないのだろう。熟成からしか艶や輝きや品位は生まれないと云う事が理解出来ないらしい!
「LLS 500 AWD フンテージエディション」は、250台限定で米国に登場した。黒く塗ったボディ、赤い内装、刺繍入りヘッドレスト——どこか“高級車らしい演出”を一生懸命している姿が、かえって哀しく痛々しい。
416馬力のエンジン、約1460万円の価格・同程度の品質と性能の中国最新車なら値付けは400万円である。価格の数字は立派だ。だが、欧州では誰も振り向かない。彼らにとって高級とは、数字やスペックではなく、“歴史の香り”だからだ。
問題は、製品の良し悪し以前に、「日本社会の思考」がすでに貧しくなっていることだ。“世界で通用するブランド”とは、職人の技と企業哲学、そして顧客との信頼が積み重なって生まれる。だが、日本では効率化とコスト削減の名のもとに、“哲学”が真っ先にリストラされてきた。
会議では「コストダウン」が正義で、「美意識」や「物語」は無駄と切り捨てられた。その結果、出来上がったのは、魂の抜けた製品と、心まで合理化された企業社会・目の前の金にしか興味の無い企業風土である。
そして私たち日本の消費者も、それに慣れきってしまった。「この程度で十分」「高級とはオラオラ顔だ」「これが高級なんだと洗脳された」——そう言いながら、安さを誇り、粗悪を許容し、思考停止を“美徳”とする。気づけば、質の低下にも麻痺し、劣化した現実を「しょうがない」で受け入れる国民性が定着した。まさに“悪慣れ”の極致である。
ビジネスモデルが全く違うのである、日本は60点商品を商業主義の大宣伝で80点に見せかけて売る。欧州の高級ブランドは必死に99点の商品を作り上げ200点(2倍)の価格で売ると云う差である。真に高級を肌感で知る知識層+富裕層からは日本メーカーの主張する高級は、中国品によくある偽ブランドに感じるんだろう。
余談:家創りでもまったく同じ事が言える!真の高級住宅は生まれながらに超高級住宅に住んだ経験豊富な設計士(肌感で高級を知る人間)にしか設計は不可能なのですね!ハウスメーカーやデザイナーズ事務所のサラリーマン設計士には実現不可能な世界観なのですね!
今の今日本の脅威は中国のニューエコノミーメーカーが金に糸目を付けずに世界から超優秀な技術者をかき集めて99点の商品を作り上げ50点(5割減)の価格で売っても適正利益を出せると云うビジネスモデルで日本とアメリカ以外では大成功、大成長している。
日本人は「努力」「誠実」「技術力」を口にする。だが、それが“ブランド”に昇華するためには、「時間(最低50年余の継承)と一貫性と美意識と哲学」が必要だ。ところが、この日本国ではそれを「非効率」と呼ぶ。
新しいものを追うほど、魂のない商品が増え、“伝統の重み”を笑うようになった。だからこそ、レクシスLLSの終焉は、単なる一車種の終了ではなく、日本のブランド文化が静かに息絶えた瞬間でもある。
皮肉なことに、日本の大企業は「失われたブランド力」を、次のキャンペーンで取り戻せると思っている。
“ポンチュリーを海外展開すれば”といった声もあるが、文化を理解しないままブランドを輸出するのは、“心のない着物ショー”のようなものだ。海外の人々は、その空虚さをすぐに見抜く。
結局のところ、問題は「モノづくりの敗北」ではなく、「精神の怠惰」だ。現実を見ず、改革を避け、問題を先送りにしてきた社会が、静かに自分の未来を切り売りしている。ブランドが消えたのではない。私たちが「誇りを持つ力」を手放したのだ。
もはや“悪慣れ”は国民病である。何が壊れても「まあいいか」と笑い、何も変わらなくても「仕方ない」と受け入れる。だが、その「仕方ない」を積み重ねた先にあるのは、文化の死、技術の死、そして誇りの死だ。
気づけば、私たちは静かに「無音の終焉」へと進んでいるのかもしれないね。