ティッピングポイント越えは、もう後戻り不可能・地球沸騰化も戦争国家も!
『その移動、未来行きですか?―AI化も、自動運転も、BEV電動化も、MaaSもを乗り逃す国・ニッポン』
地球は今、湯気の立つ鍋の中。誰もが「ちょっと暑いね」と汗をぬぐうけれど、それが地球沸騰化の前触れとは気づかない――いや、気づかないフリをしているだけなのかもしれません。
アマゾン川の河口都市であるブラジル・ベレンで2025年 11月10日から21日までCOP30(国連気候変動枠組条約第30回締約国会議)が開催されますが、温暖化など史上最大の詐欺と公言するアホトラアメリカも全くのスルーをするどころか「パリ協定」の再離脱を表明して、日本もアメリカに忖度して高市早苗首相も、国連気候変動枠組み条約第30回締約国会議(COP30)の首脳級会合を欠席!
思い出せば今年の夏も記録的猛暑、ゲリラ豪雨、突風、河川氾濫。もう「異常気象」ではなく「通常災害」です。環境問題は待ったなし。でも、そんななかで、わたしたちはまだ「移動の自由」と引き換えに、エンジン音と二酸化炭素の雨あられや毒ガス(発がんや痴ほう症の原因物質PM2.5等)を振りまきながら走り続けています。
そして今、世界は「MaaS(Mobility as a Service)」という革命を迎えています。北欧ではスマホひとつで移動手段をすべて一括管理。電車もバスも自転車もタクシーも、まとめて“定額サービス”で利用できる世界。まるでNetflixみたいに移動し放題。
フィンランドでは2016年から本格稼働。駅には改札も駅員もなく、アプリ「Whim(ウィム)」ひとつで都市中をスムーズに移動できる。2030年には「自家用車不要社会」を目指すとか。
…一方、日本のマースレベルは?MaaSは未来の乗り物、日本はいつ乗るの?MaaSはレベル0〜レベル4の区分ですね
Level 0 個別バラバラ状態
Level 1 情報連携:ルート検索、運行情報、時刻表、混雑情報などの提供
Level 2 予約・決済連携:複数の交通手段を横断して予約・決済が可能
Level 3 サービス連携:定額制やパッケージ化、複数手段を一体として提供
Level 4 エコシステム構築:MaaSが社会インフラ化し、都市設計や生活基盤と一体化
そうですね。せいぜいレベル0.7くらい。アプリで乗り換え検索ができる程度で「便利になった」と浮かれている段階です。
この“便利なだけの昭和思考”こそ、日本の病。「いつかはクラウン」から「いつまでもクラウン」へ。マイカー信仰は根強く、クルマが家族の一員、いや、下手したら妻より大事というおじさんも珍しくありません。
しかも、交通業界は縦割りと縄張りの温床。鉄道会社もバス会社もタクシー業界も、各々が自分の縄張りを守ることに必死で、連携?責任の所在?…「それ、俺の仕事じゃないんで」と涼しい顔。見事なまでの“役割放棄の美学”が息づいています。
日本では、何かを進化させるときにまず「誰が損するか」を議論します。そして全員が「ちょっとずつ損する」なら、全員で止めるという結論に至る。まるで、沈む船の上で「誰が先に泳ぐか」で揉めている光景です。
本来、MaaSは「移動」だけの話ではありません。都市のCO₂排出の25〜30%を削減し、エネルギー効率を高め、個人任せの危険な交通社会を根本から変える構造改革なのです。
欧州委員会の試算では、都市部で本格導入すれば、自家用車使用は30%減、CO₂排出は60%削減、エネルギー消費は30%削減。これって、脱炭素社会のジャックポットじゃないですか。
注:ジャックポット⇒一回の賭け金に対して、数百倍の配当を一度に得るような大当たりする事
でも日本はまだ、スマホアプリに「運行情報が見やすくなったね」と喜ぶレベル。UIだけ美しくても、中身が旧態依然。まるで、カーボンステッカーを貼っただけの“エコカー気取り”の軽トラです。
「日本は資源がないから、省エネが命」――なんて中学生の社会科の教科書には書いてあります。でも現実は、「今日も元気にガソリン満タン!」の週末ドライブ社会。まるで、沈む船のデッキでバーベキューを始めるような鈍感と無知が共存しています。
交通が便利になるどころか、若者は車も持てず、地方では高齢者が無理して運転し、事故が多発。これはもう“自由の名を借りた放置国家”です。
希望があるとすれば、それでも動こうとしている地方の小さな取り組み。バスとタクシーの連携や、民間企業と自治体のMaaS実証実験…ほんの一歩。でも、日本にとってはその“一歩”が、ナイアガラの滝を逆走する鮭レベルの勇気なんです。
結局、日本は「技術」ではなく「構造」で負けている。そしてその構造の根底にあるのは、「過去が快適だった」という幻想にすがる習性。
時代遅れという名の贅沢病――。その病が進行しきったこの国では、「変化」はいつも“不便”として拒否される。そして、不便の中に未来が詰まっていることに、いつも気づくのは手遅れになってから。
MaaSは、ただの交通手段ではありません。未来へ向かう「乗車券」なのです。
でも日本は、そのチケットを手に入れるどころか、「列車の存在にすら気づいていない」状態。未来の子どもたちに、きっとこう言われることでしょう。
――「少し前に日本と云う国があったらしいよ!」「みんなで茹って、放置されて燻製になりハゲタカに食われたらしいよ!」