そんなこと
注:私に特段の支持政党もイディオロギーも有りません、自然界の原理原則と第一原理思考が有るダケです。
A 「ディテール重視」の価値観と“魂はディテールに宿る”という視点⇒言葉の端ばしにその言葉を発した人物の本質が見える事が良く有りますね!。普段思って居る本当の考えや価値観が、ふと言葉の端ばしに出るモノですね!
発する言葉と真意は良く異なる事が有ります!それは欲と見栄と権力志向が強い人ほど顕著ですね!
私たちが「魂はディテールに宿る」という信念を持つとき、それは単なるスローガンではなく、行動や言葉の奥にある誠実さ・責任感・美意識を重んじる姿勢を意味します。たとえ大きな方針や理念を掲げたとしても、細部――構造、透明性、約束の履行、継続性―― が乱暴だったり曖昧だったりすれば、人々の信頼は揺らぎ、虚ろになる。本当の意味で「魂ある政治」「信頼できるリーダーシップ」は、そうした細部へのこだわりから生まれます。
この価値観を前提にすれば、リーダーの言動――とりわけ制度設計、約束、公約、透明性への姿勢――は、国や社会の“体質”を左右する重要な指標となります。
B 高市氏の「そんなことより定数削減を」発言――背後に潜む心理
2025年11月26日の党首討論で、野党の代表が企業・団体献金の規制強化(つまり「政治とカネ」の問題)の改善を迫ったのに対し、高市首相は「そんなことより、(衆院議員)定数削減をやりましょうよ」と応じた。
この応答には、少なくとも以下のような心理または政治的判断が透けて見えるように思います。
「現実的な改革」の優先――だが“現実”は誰にとっての現実か?
高市氏は、議員定数削減を「身を切る改革」「『約束』の履行」の観点から重視してきた。過去(2012年)、自民・野党間で定数削減の議論があったことを引き合いに出し、「自分の“心残り”」とまで語っている。
――しかし、その「現実主義」は、「政治とカネ」という、国民の信頼と制度の根幹を揺るがす問題を“脇に置く”理由にはならないはずだ。 “現実”をどこに設定しているか、という線引きの問題がある。
さらに、企業・団体献金の規制強化(つまり「政治とカネ」の問題)は、政治腐敗の問題が深刻化して出来た、政党助成金が決まった時にも、企業・団体献金の廃止問題は、与野党が合意をしていても、長年放置、無視して来た問題でもある。
1980〜90年代、日本では「金権政治」「政財癒着」への批判が強まり、特に 1988年のリクルート事件などをきっかけに、政治腐敗の温床となる政治資金のあり方への見直しが求められました。
1994年の改革後も――
企業・団体献金 → 個人議員・個人資金団体 へのもの → 禁止
企業・団体献金 → 政党本部・支部へのもの → 許可・「個人=支部」が自由で実質骨抜き
という 抜け道の“二重構造” が残されました。これが、今なお「政党助成金」と「企業・団体献金の併存」が批判される原因です。
「そんなことより」は、発言は討論の場でのパフォーマンスと政策優先度の入れ替え発言はあまりにも唐突・場当たり的だった――との報道もある。
これは、政策の“順序”や“優先順位”を、演出や政局の駆け引きによって決めよう、という政治手法を示唆しているのかもしれない。もしそうなら、本来「ディテール」にこそ宿るべき誠実さや一貫性、透明性は、揺らぎやすい。
「約束を守る」リーダーという自己イメージと、それを守るための選択。高市氏は「約束された定数削減を実現すること」を、過去の議論の“果たされなかった義務”ととらえているようだ。
――この自己イメージは確かに見かけ上は「律義で真面目」だ。しかし、“何を”“なぜ”約束したのか――そこを立ち止まって検証するより、まず“結果(削減)”のみを重視する姿勢は、ディテールへの不誠実さの裏返しともなりかねない。
制度・構造の根本問題への後ろ向き姿勢の示唆、企業・団体献金の規制強化は、長年続く「政治とカネ」「透明性」「民主主義の信頼性」の根幹に関わる重要テーマ。多くの野党や連立パートナー公明党から強く求められてきた問題でもある。
――それを「そんなこと」に分類し後回しにする姿勢は、構造的な改革意欲の弱さ、あるいは既存勢力・既得権益への配慮、あるいは忖度(そんたく)を感じさせる。ディテール、つまり制度設計の部分で「手心が加えられているかもしれない」という不信を抱かせる。
C 「魂はディテールに宿る」の観点から見たときの懸念――日本はこのリーダーで大丈夫か?
もし私たちが、前述のような「ディテール重視」「透明性」「誠実さ」をリーダーに求めるなら、今回の発言――およびそこから透ける政治観――は、少なくとも「安心して任せられるリーダーか?」という点で、大きな疑問符を投げかけざるをえません。
国民の多くが「政治とカネ」に敏感な今、制度の透明性や倫理性を後回しにする姿勢は、「形だけ」「表層だけ」「結果だけ」を追う政治の典型。
抽象的スローガンを振りかざすでもなく、具体的な献金実態の調査や公開という「ディテール」を提示せず、過半割れ与党が維新を取り込み権力維持の為の“約束”にこだわる。
たとえ議員定数削減が実現しても、国民の信頼や政治の健全性を回復できるかは別問題。削減という“量”を重視するあまり、“質”を犠牲にする可能性。
――こうした構造のままでは、どれだけ「改革だ」「身を切る改革だ」と声高に言っても、「改革」の魂はそこに宿らない。せいぜい“見せかけ”に終わる。詳細(ディテール)を粗末にする政治は、やがて歪みを生み、やがて壊れていく。
D 結論――「このリーダーでいいのか?」――答えは、私たち国民の“ディテールへの目”次第
「このリーダーで日本は大丈夫か?」――私の結論は、かなり危うい」というものです。
なぜなら、たとえ高市氏に律義さや決断力があったとしても、“魂”を支えるディテール(透明性、制度設計、説明責任、信頼の積み上げ)を軽視する傾向が露見したからです。政治においては、見栄えや大きなスローガンよりも、地道な制度の整備・運用のほうが長く、国民の暮らしや信頼を支える。
もし私たち国民が「魂はディテールに宿る」という信念を持ち続け、政治家や政府に対して細部への厳しい目を持ち続けるなら――つまり、「見栄え」ではなく「中身」を問うなら――高市氏もまた、その目に耐えうるかどうか問われ続けることになるでしょう。
しかし、もし「大方針」「パフォーマンス」「結果」ばかりで満足してしまうなら――“ディテールの軽視”は、やがて制度疲労と不信、ゆがみとして社会を蝕んでいく。
だからこそ、私たちが今問うべきは、「この人が“いい政治家”か」ではなく、「私たち国民が“いい審判者”かどうか」だと思うのです。
E 弊社のポリシーとは真逆の日本リーダー層が喝采を浴びる悲しさ
私とは真逆の価値観の人物が日本のリーダーであり、その「そんなことより」リーダーの支持率が66〜80%と超高い日本!・・悲しき現実ですね!
弊社は「魂はディテールに宿る」をトコトン愚直に追及する家創りをしています。特に見えない地盤強度や、構造強度や床下や壁の中までの安全をトコトン拘りぬいています。
安い、早い、簡単・・の今時の価値観を全面的には良しとしません。安い、早い、簡単も大事ですが、それは安全や丁寧や魂を込める事が出来て初めて、安い、早い、簡単、の価値が生まれると思って居ます。
私の生き方は今の日本では、本当に苦労が伴う生き方になる様ですが・・信念を曲げるつもりは有りません。原理原則を大事に第一原理思考で・・考え、お客様のベストを何時もプロとして考え抜いています。
人間としての基本のキ、一番大事な正義や順法が・・”そんな事”・・になっちゃうリーダーの国の未来が心配でなりません。