アホは賢者には100%勝てない!
多くの世界的歴史学者や民族学者や経済学者が・・今後ア保リカは確実に衰退に向かうと断言している。
自国第一――その旗は一見、誇りの象徴に見える。しかし実のところ、それは過去から届いた赤信号だ。噓の上に築かれた国家は、例外なく崩壊してきた。歴史が何度もそう教えているのに、人類はなぜか毎回「今回は違う」と思いたがる。
ア保リカはいま、再びその道を歩み始めた。反知性主義の強欲トラトラが叫ぶ「自国第一」は、1920〜1940
年代の亡霊を呼び戻す呪文のようだ。高関税、移民排斥、排外主義――。この三拍子は、1930年代の世界を暗闇に突き落としたレシピとまったく同じ。習近平がそれを冷笑しつつ、静かに「長期戦」でアメリカのアキレス腱を突く構図は、まさに時代の逆転劇である。
反知性主義の英知を攻撃する強欲トラトラ再登場のア保リカは、もはや自由の国というより「自己陶酔の国」だ。石油を掘り、石炭に人工呼吸器をつけ、AIと再エネの時代に背を向けている。科学の声ではなく、自分の権力を維持する為にポピュリズムの炎を焚付、バカを大増産し拍手の大きい群衆の声を創り上げた。まるで「地球沸騰化」という現実を前に、サウナの温度を上げて勝利宣言するような滑稽さである。
そして日本は、そのア保リカの後ろを言われるがままにそっと歩く。いや、もはや“追従”というより“依存”だろう。原発再稼働、EV後回し、石油への執着。AIも再エネも「前例がない」で立ち止まり、沈みゆく船の上で「今日も安全航海中」とアナウンスを流す。これほど見た目だけの平和的な集団自殺が他にあるだろうか。
世界では、中国が風力と太陽光で未来を“充電”し、欧州がAIと脱炭素で新産業を生んでいる。2024年のデータでは、リチウム電池の約75%が中国製。バッテリーの心臓部である精錬・製造・特許までもが中国の手の中だ。ア保リカが「掘れ掘れ」と叫ぶ間に、中国は「チャージ・ベイビー・チャージ」と笑って市場を制した。
それでも日本は、「電池は中国が…」「風力は景観が…」と文句を言いながら、補助金で旧時代を延命する。まるで呼吸困難の経済を点滴で繋ぐように。改革ではなく、保存療法が国是。悪に慣れ、無駄に慣れ、矛盾に慣れ――“悪慣れ”国家の末路は、静かな沈没である。
ア保リカの反知性主義は圧倒的多くの反知性主義国民から拍手を集めるだろう。しかし、その拍手は孤立の序曲だ。壁の向こうで取引も信頼も途絶えれば、残るのは怒りと疑念だけ。そしてそれが、最も高くつく「武力」という手段を呼び寄せる。1920〜1940年代がそうだったように。
私たちはいま、歴史のリピートボタンの上に立っている。再生か、破壊か。選ぶのは私たち自身だ。AIと再エネが未来を拓く時代に、「掘る」ことを選べば、掘り当てるのは石油ではなく、滅びの化石かもしれない。
それでも日本は、ア保リカという「親分」の背中を見つめ、安心して思考停止を続けている。だが依存は安全ではなく、むしろ自立を奪う毒だ。今後親分アメリカが衰退すれば王様は自分を守る為に子分を搾取する。外交も産業も、判断の軸が他国にある国は、もはや国家とは呼べない。
悪に慣れ、先送りを常とする社会は、いずれ真実にも鈍感になる。「まあ仕方ない」「誰も変えられない」と言いながら、未来を他人に委ねてしまう。だが、未来は配給制ではない。
掘るか、変わるか。ア保リカは衰退し、日本もその影で老いていく。だが、まだ遅くはない。1920〜1950年の30年を学び直すことだ。戦争も大恐慌も、原因はいつも同じ――人間の“悪慣れ”である。
壁では国を守れない。守るのは、橋をかけようとする意志だ。信頼という名の橋を。今こそ、私たちがその橋脚の一本にならねばならない。さもなくば、次に韻を踏むのは、確実に悲劇のほうだろう。
今のような衰退に次ぐ衰退の痛みを未来に押し付けて、余力が全く無い、ア保リカの数倍のスピードで衰退して行く日本の現実、親分ア保リカが衰退したら、さらに日本は無理難題を押し付けられる事も確実視されている。その時・・・
貴方はどんな環境でどんな生活が待っていると思いますか?・・価値無き国、誰も見向きもしない国、「金ダケ、今だけ、自分ダケ」の・・価値観しかない国は確実に衰退しますよ!