第一優先順位が”命”にならない強欲商業主義
「走る棺桶」と日本的妄信的安心の方程式
日本人ほど「命を安売りする天才」はいない。1930年から1946年にかけて、国家ぐるみで国民の命を1銭五厘(現在の85円相当)の消耗品(約370万人の無駄死に)にした16年間は、まるで「人体実験の時代」だった。そして残念ながら、そのおぞましい負のDNAは現代にも見事に受け継がれている。違うのは、竹やり突撃から「走る棺桶」への進化くらいだろう。
トヨトミの決算を見てみよう。2025年度、日本での販売割合は21.2%なのに、利益は65.6%。翌四半期もほぼ同じで、1/5の日本市場から全体利益の2/3を稼ぎ出す。要するに「海外ではカツカツ、日本人からは3倍もむしり取る」という体質だ。世界中では儲からないのに、中身スカスカの商品でも日本人だけはありがたく財布を開けてくれる。しかも「世界一のグローバル企業」と自画自賛する。これをブラックジョークと呼ばずして何と呼ぶのか。
そして、その商品が「命を預ける車」だからさらに笑えない。Euro NCAPの2025年衝突安全テストを覗いてみると、140万円の中国製BYDシーガルが堂々の5スター。大人の乗員安全82%。230万円のNIO「firefly」は驚異の96%。ところがトヨトミの最新BEVアホンタンドクルーザー(430万〜570万円!)は4スターで乗員安全77%。3倍の値段で安全性は2割も劣化。イメージでごまかす「高級棺桶」と言った方が正しい。こんなの反知性主義の思考停止の今の日本人にしか売れないであろう。
走る棺桶に乗せられながら「やっぱり日本車は安心だね」と言えるのは、世界広しといえど日本人くらいだろう。しかも、試験条件は正面衝突64q、側面50q、ポール衝突32qという低速設定。本来の事故はその数倍の速度で起こるのに、それでも日本車は最高点を取れない。「命軽視の証明書」を自ら提出しているようなものだ。
設計者や経営陣がライバル車の高安全水準を知らないはずはない。知ったうえで「チープな安全性でも、日本車ブランド信仰の日本人なら買う」と判断した結果が、チープな4スターで500万円という商品なのだ。つまり、日本市場は「人体実験用のモルモット牧場」なのだ。命の軽視を承知で売り、妄信バカが買う。これぞ日本的共犯関係である。
ではなぜこんな商品がまかり通るのか? 答えは簡単。日本人は「命より日本ブランドを信じる」からだ。走る棺桶に乗せられながら「やっぱり日本車は安心だね」と言える民族。安全性を数値で比較せず、空気感で安心を感じる。「世界に誇る日本品質!」という昭和の幻覚を共有している間は、誰も真実に気づかない。これ以上都合のいい消費者は世界に存在しない。
よく考えてみれば、この構造は車に限らない。政治も同じ。嘘をついても、裏金ジャブジャブでもカルト教団とズブズブでも開き直れば人気は維持できる。社会保障の穴も「未来の子供が払えばいい」と先送り。確実な大災害も老朽化したインフラも、少子高齢化も全部借金で知らん顔、全部次世代送り。「命より今(欲)が大事」という思想が社会の隅々まで行き渡っている。
こんな現実を見せられても日本の未来(若者の未来)を破壊する可能性がとてつもなく高い、今の右翼政権の支持率18〜39歳で80%を見れば、日本人と云う生き物は私には理解不能である。
愛国心とは何か? 同胞の命を守ること? いや、日本流では「同胞の命を安く使い倒すこと」らしい。命の軽視こそが、日本の最先端技術であり、唯一の歴史的にも普遍的価値なのかもしれない。
だから未来の子供たちに残されるのは、安全な社会でも豊かな暮らしでもない。「走る棺桶」と「国の借金」と「悪慣れのDNA」「自然災害で破壊されつくした日本国土」。日本人の本当の伝統文化は、能や茶道ではなく「悪慣れ問題先送り」なのだ。
そして最後にこう叫んでみよう。「命を軽視して何が悪い!ムダ金 3倍払って死ぬのも美徳だ!」そう、日本は今日も安全神話を信じながら、笑いながら!80年前と同じようにバンザイと叫びながら死へとドライブしているのだろう。まさに・・歴史は韻を踏んで繰り返す!自衛隊を軍隊に戻す様だ!