日本は財政が破綻国を除いて世界一悪い!でも変動金利?
借金に悪慣れした国と、変動金利に人生を預ける若者たちへ!金融リテラシー皆無のローンの危険性!
「住宅ローンは変動が一番お得ですよ」――銀行の窓口でそう言われ、夢のマイホームを手に入れた若い世代。だが、その「夢の金利」はすでに金利上昇不可避の今となり目覚めの悪い現実に変わりつつある。
令和5年度の新規住宅ローン貸出額は20兆2816億円。そのうち84.3%が変動金利。固定金利期間選択型・9.0%を入れれば変動性の金利は実に93.3%にも及ぶ!まさに狂気のレベルである。日本以外の幼い内から金融教育の行き届いた主要国の住宅ローンは圧倒的に全固定金利が多い。
日本では、つまり10人中9人以上が、金利上昇という時限爆弾を抱え込んでいる。固定金利はわずか6.6%。これほど多数派が「変動」を選ぶ国も珍しいどころか他に無い。金融リテラシー皆無の国民性が、ここまで数字に表れてしまうと、もはや笑うしかない。
笑えないのは、この国の未来だ。日本の債務残高は2025年第2四半期時点で▼3182兆円。政府▼1415兆円、家計▼398兆円、企業▼1369兆円。世界全体でも借金は▼338兆ドル、約▼5京円。人類が「紙幣の洪水」で浮き輪もなしに泳いでいる状況で、日本はその中でも見事な「借金依存症の優等生」だ。
そして問題は、これほどの借金漬け国家が、金利上昇に耐えられる体力を持たないことだ。もし国債が市場に売り込まれれば、日銀のアホノミクスで始まった「金利コントロールごっこ」は簡単に崩壊し、変動ローンの返済額は雪だるま式に膨れあがる。だが私たち日本人は、そういうリスクを薄々知っていながら「まあ大丈夫だろう」と慣れてしまう。「悪慣れ」である。
仮に強引に日銀が「金利コントロールごっこ」を継続すれば円安と強烈なインフレになり生活費は金利増より爆増するので・・同じ事どころかさらに悪くなる。
実際に相談現場では悲鳴が上がり始めている。埼玉県川口市で4910万円を借りた30代夫婦は、金利が0.03%上がっただけで毎月6000円負担増。滋賀県のBさんは変動金利が0.525%から0.925%に跳ね上がり、酒代を削る生活に。借り換えを試みたCさんは、担保価値低下で銀行に断られた。
1億円越えのタワマンなんて考えたら身の毛がよだつ!!!人生最大の買い物が、まるでカプセルガチャのような運試し(9割以上負け予想)になっている。
健全な国の住宅ローン金利は5〜6%程度が普通となっている。そもそも論として日本の変動金利が0.525%なんて金利は低位異常であり、その常識的金利5〜6%程度の差額分の「リスク=円安とインフレ=生活苦」を自分で背負いこんでいる事になる。異常な低金利が負荷をドンドン増し続けて、日本は限界点迄きてしまった。こんな超簡単な原理原則さえ日本の若者の9割以上は知らない。
ちなみに私が1995年に家を買った時の変動金利は8%であった。10年で全額返済した。弊社で不動産を買われる方の99.9%は全固定金利である。変動金利0.1%は親が大金持ちで支援可又は仕事が金融機関
なぜこんなリスクリテラシー皆無の国になったのか。それは私たちが「問題先送り」に慣れすぎたからだ。財政赤字も年金も原発も同じ。とりあえず今をしのげればいい。子や孫の世代? その頃には別の総理大臣が「新しい資本主義」とか「未来への投資」とか言って誤魔化してくれるだろう、と。悪を許容するこの国民性が、住宅ローン問題にもそのまま投影されている。
しかも、時代はAIが人間の職を奪う未来に突き進んでいる。織機が職人を追い出したときは別の仕事が生まれた。しかしAIは違う。頭脳そのものを置き換える。専門家は「普通の仕事の最大80%はAIに代替される」と予測する。収入が不安定になる未来が見えているのに、40年ローンを変動金利で組む――これほどのギャンブルを「常識」と信じてしまうのだから、日本人はやはり独創的だ。
返済に追われる30代40代が「酒を減らす」「買い物を我慢する」程度で乗り切れるならまだいい。だが、金利がさらに倍になれば? そのときは、マイホームが「負債ホーム」へと変わり、家族の生活を締め付ける首輪になる。しかも銀行は「担保価値が下がったので借り換えはできません」と冷たく突き放す。まるで、自転車の補助輪を外してくれると約束したのに、崖の上で手を離すようなものだ。
こうして「夢のマイホーム」が「呪いの石像」へと変わる。日本社会の矛盾は、誰もがそれを知りつつ、声を上げないことにある。政治家は票を失うから本当のリスクを言わない。銀行はノンリスクで利益になるから変動を勧める。国民は「周りがみんな変動でやっているから」で流される。結局、この国は「問題先送り」という伝統芸能を守り続けているのだ。
だが、そろそろ限界が近い。借金に悪慣れし、危険を危険と認識できなくなった社会に待っているのは、静かな破裂音だ。金利上昇は「もし」ではなく「いつか必ず」訪れる。AI時代の失業も同じ。未来は待ってくれない。
私たちはそろそろ、こう問いかける必要があるのではないか――「それでも変動金利に人生を賭けますか?」と。