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フィジカルAI時代の到来が2026年中頃より始まる!

「ロボットに教わる、人間の働き方」

近未来の人型ロボットの市場予測は、たったの2兆円からエヌビディアのジェンスンファン氏30億台の7500兆円迄(今の自動車産業の約10倍)ととてつもなく差がある。

気がつけば、私たちの社会では「働く」という言葉の意味が、少しずつ薄れてきた。かつては汗と油にまみれてこそ「仕事」と呼ばれたが、いまや産業用ロボットが24時間、愚直に、文句ひとつ言わずに働く時代だ。
彼らは休まず、過労死せず、給料も要求しない。なんと羨ましい“社員”であろう。

人間が「Dirty・Dangerous・Dull」の3D作業を嫌った結果、ロボットが「Detailed(精密)」という4つめのDまで背負ってくれるようになった。人類が怠けた分だけ、機械は賢くなる。そうして今日も、金属の腕が静かに人間を超えてゆく。

もっとも、日本の工場では「人を大事にする」と言いながら、その人の仕事はロボットに置き換えられていく。皮肉なことに、“人手不足”が“人の居場所不足”に変わりつつあるのだ。
しかもロボット導入の決め手が「人より安い」だという。企業倫理とは、いつから電卓の中に宿るようになったのだろう。

そして我々もまた、それを黙って受け入れている。
「効率化だから仕方ない」「少子化だから当然だ」と言い訳を並べ、結局は“楽になるなら悪でも許す”という悪慣れに沈んでいく。

もはやロボットのティーチング(動作を教える作業)すらAIが肩代わりする時代。人間がロボットに教えていたつもりが、いつの間にかロボットが人間の管理法を学んでいる。
近い将来、「上司AI」「部下ロボット」「間に挟まる中年正社員」という構図が、笑えない現実になるかもしれない。

中国では、すでに人型ロボット「K2(Bumblebee)」が量産されている。身長175センチ、体重75キロ、52カ所の関節を持ち、わずか1時間の充電で8時間働くという。日本人より働き者だ。
しかも彼は、GMや上海汽車の工場で実証済み。疲れ知らずで、クレームも出さず、30キロの荷物も軽々と持ち上げる。もしこれが「理想の社員」だとしたら、人間はどこで存在価値を証明すればよいのだろう。

この流れを「テクノロジーの進歩」と呼ぶのは簡単だ。しかしそれは、便利さに酔って自分の役割を手放すことの言い訳にもなる。
「AIがやってくれる」「ロボットが正確にこなす」──そう言って私たちは、考える力や責任感を少しずつ譲り渡していく。気づけば社会全体が「自動運転モード」のまま惰性で進み、誰もハンドルを握らない。

かつて日本は、手仕事の国だった。ひとつのネジに魂を込める職人がいて、その誇りが製品に宿った。だがいまは、魂よりもセンサー精度のほうが評価される時代である。
「精密」「正確」「効率的」──その裏で、人間の曖昧さや不器用さが、まるで欠陥のように扱われている。

だが本当は、人間の「ムダ」こそが文明を支えてきたのではないか。
恋をして失敗し、遠回りして後悔し、間違って学ぶ──そんな非効率の積み重ねが文化を生み出した。ロボットが完璧に働く社会は、確かに便利だが、どこかで“心”の居場所を失う危うさを孕んでいる。

このまま日本が「無人化」「省人化」を“国是”として突き進むなら、最後に残るのは、誰もいない完璧な社会かもしれない。
すべてが自動で動くが、誰も笑わず、誰も間違わず、誰も責任を取らない。そこでは、機械だけが生き生きと働き、人間はただ「監視」するだけ。まるで自分たちが造った檻の中で、ロボットに見守られて暮らす動物のようだ。

もしかすると、ロボットよりも先に「人間の心」がオフライン化しているのかもしれない。
働く意味を失い、考える習慣を手放し、ただ「便利だから」という理由で未来を明け渡す。──そう、悪はいつも静かに、便利の顔をしてやってくるのだ。

そして我々は、その悪に慣れすぎている。
「仕方ないよね」「時代だから」とつぶやきながら、今日もどこかの工場で、金属の腕が人間の誇りを締めつけている。
このままの“悪慣れ”が続けば、次にティーチングされるのは、きっと私たち自身の心だろう。