反省と云う概念が無い民族
◆悪慣れ国家ニッポンのゆっくり死にゆく構造
──「間違いを検証しない」という世界有数の民族的(負の)才能について──
どうやら私たち日本人は、世界的にも稀有な“社会的適応力”を身につけてしまったようです。それは、失敗に慣れる能力です。政策が外れても検証しない。結果が悪くても総括しない。検証も総括もしないのだから反省もしない!!!バラマキが続き限界が到来前で痛みを感じなくしている事で実害に気づかないうちは「まあ、仕方ないよね」で放置する。Q1論文の政治心理学では、これを“慢性アパシー症候群”と呼びますが、ここ日本ではほとんど国民病です。
限界が到来後では、もう何もする事は出来ずに強烈な激痛により発狂的な大騒ぎをするのだろう。
今回の高市政権の21.3兆円経済対策。桁だけ見るとインパクトがありますが、内容は相変わらず、令和の“水並みに薄めたカルピスの様な味のしない経済政策”です。物価高対策に11.7兆円、成長投資に7.2兆円。その成長投額を17の戦略分野に分けるとの事、AI時代でAIが全てを決める基本のキなのに、推定AI投資額は数千億円程度と見込まれる。しかも日本には有能なAI技術者は殆ど居ない。
OECD諸国のAI関連投資額と比べれば驚きます。中国は年間37兆円、アメリカは約32兆円。中国やアメリカの民間AI投資額は世界的に超優秀なAI技術者を獲得して年額100〜150兆円を遥かに超えている。
日本? 7.2兆円を17の多数の分野に分散投資するとの事。これはまるで84年前の日本軍の少ない軍備と金を多方面分散の全方位戦略と称した無謀すぎる戦争をした事に共通する。トヨトミ自動車のマルチプッツンうぇ〜〜〜とも丸被りに被る。
――いやぁ〜、これでどうやって勝つ気なのでしょうかね!貴方はどう思いますか?――。
Q2論文の産業政策研究でも「分散投資は成功確率を平均40〜70%下げる」と指摘されているのに、日本だけは逆に“分散こそ正義”と信じて疑いません。
しかも政府は「GDPを今後3年で24兆円押し上げる」と胸を張ります。でもそれ、悪政による物価高と円安だけで達成してしまう規模。政策効果として誇るには、少々アホらしすぎます。経済学的に言えば、“政策乗数0.1レベルの自己満足”です。
注:先進国の 平均政策乗数 は、おおよそ 1.0〜1.6 のレンジで考えられる。そもそも政策乗数は1.0を超えなければ意味が無い。政策乗数0.1とは、政府支出や減税などの財政政策が国民所得に与える影響の度合いを示す数値です。この数値が0.1の場合、例えば100億円の財政支出が行われたとしても、国民所得の増加は10億円にとどまることを意味します。9割は無駄と云う事であり、借金でこれをする訳ですから実際は無駄どころか害悪しかない日本の政策投資と云う事になります。
家計支援もまた日本らしい優しさに見せかけた間違った家計支援です。溺れている人を海から引き上げるのではなく、海面に7000円分の浮き輪を投げる。子ども一人につき総額2万円、一日の額としては50円の小さな飴玉を配る。それで現在溺れている人の未来が救われるはずがありません。教育経済学のメタ分析(Q1)では、人的資本投資1ドルは将来6〜12ドルのリターンを生むと示されています。しかし日本は相変わらず“消費支援はするけれど、国民の能力開発には投資しない”国です。
もっと恐ろしいのは、このアホ政策への国民支持63%という事実。18〜39歳に限ると支持率77%。サンクコスト効果でしょうか、自分たちの未来を削る政策でも“もらえるものはもらっておきたい”。世界の民主主義研究では、こうした状況を“ポピュリズム耐性の欠如”と呼びます。
国際競争力ランキングも、アホノミクス前の24位だったのが現在38位。1人あたりGDPも18位から40位へ転落。にもかかわらず、明らかな大失敗なのに、私たちはどこかで「でも日本ってすごい国だよね」と信じています。これぞ”国民的ナルコレプシー”。Q1論文の制度経済学では、“衰退は急激にではなく、社会が麻痺することで静かに進行する”と書かれています。
注:ナルコレプシー⇒日中の過度の眠気や、通常起きている時間帯に自分では制御できない眠気が繰り返し起こるこ睡眠調節障害を主な特徴とする病気で、思春期から青年期(〜30代)までに好発し、居眠り病と呼ばれます。
そして政治の側も見事です。ばらまきを「積極財政」と呼び、批判が出れば「行き過ぎた緊縮を避けるため」と言い換える。財政再建は40年間先送り、社会保障は40年連続で小手先改革、日本の存立問題たる小子高齢化も30年余、失敗の連続で金ダケが消えて行った。しかも誰も責任を取らないし、国民も取らせない。これでは、国の形は“ゆっくり沈むタイタニック”に見えて突然船が縦になり急速に海面に沈む沈没の最終章です。
Q1の政治学研究では、問題先送り国家は最後に“破局的ショックでまとめて清算”されると指摘されていますが、日本はまさに教科書の標本です。
それでも私たち国民は「まあ、このままでもなんとかなる」と信じたまま、海面から顔だけ出して漂っています。時間と共に空気の抜ける浮き輪は増えるけれど、泳ぎ方は誰も教えてくれない。教育も、技術も、賃金も、国家の根本体力をつける方法は、いつも後回しどころか皆無です。
本来必要なのは、正しい軌道に戻す“不可欠な痛みの認識””強烈な痛みに耐える覚悟”です。悪慣れを断ち切り、未来への負債を増やす政策ではなく、将来の成長力につながる集中投資へ舵を切る勇気です。
このまま問題先送りが国民的伝統として完成すれば、日本は世界でも珍しい“ゆっくり死ぬ国家から突然の心停止”として歴史に名を残すでしょう。残念ながら、そのシナリオは順調に進行しています。
もうそろそろ、毒で汚染された悪の充満する海から上がりませんか。
浮き輪と云う麻薬はもう十分です。
必要なのは、未来へ泳ぎ出すための――覚悟です。
日本丸が、まっ縦に海面に建ち急速に沈んで行く姿が眼に浮かぶ様です。ふぅ〜〜〜

