自動車修理
昨晩、息子殿と私のマイカーの修理を行いました。17年経過するオールドカー予備軍の私の車は現在もとても快調に走行できます。最高時速も出したことは有りませんが?多分260キロ程度は出ると思います。年代が年代ですから・・・社員もそろそろ社長!車代えたらと・・・言ってくれます。
でも・・・ドコモ悪くないし、ピカピカですし・・・代える必要性を私は感じないのです。もちろん、メインテナンス部品が今後手に入るか?どうか?心配では有りますが・・・どうも私の車種は人気車種らしくサードパーティーから今でも色々な部品が新規に供給されています。
息子殿が私の車の面倒まで見てくれる、一緒に作業している時間は何となくとても満ち足りた気分です。
車庫で我が車を見ながらつくづくと思いました。・・・
この車・・・市場価値はほぼゼロ円・・・程度の良い同一車種の中古車で20万円〜30万円で販売されているようです。
よく考えて見て下さい
20万円で260キロもスピードが出る車が買える今の時代って何だろう?昔は一千万円を超えるフェラーリでも260キロもスピードは出ないのです。車はスピードが全ては有りませんが・・・それにしてもそれにしても??です。
価値感・・・時代の価値感の変遷・・・実に実に興味深いモノに対する価値への切り口です。
20年経過しても残存価値50%を保持している車も現実に存在します。残念ながらブランド力と希少性と云う二つのファクターを満たさないとこのような価値は残らないのですが・・・名車・・・と云われるカテゴリーに進化できるかどうか?
しかし・・・車という商品は、そもそも今までは3つのファクターに対して価値を付けていましたが昨今の若者(今から未来の消費者)はこの3つのファクターの内、二つには価値を見いださないパラダイムの大転換が起きているようです。
車としての価値 1,移動の手段、運搬の手段の適合性・・・広さやスピード、使い勝っての良さ
2,安全性や維持費や他の移動手段と比較しての利便性
3,ブランド性や見栄の満足、差別化の道具、ファッションの一部としてのアイテム
(鳥、クジャクなどの動物に見られる雄の化粧性や雌に対する自己アピール)
今までは車のニーズはこの3つがほどよくバランスされ購入者の経済的な余裕から項目3が高ければ高いほど車の値段が高い、つまり、自動車メーカーとしての利益率、利益額が高いと云う傾向が有りました。
しかし、今・・・多くの若者は項目1のみにその価値を見いだすだけ?と云う傾向が年々増えていると現実が有ります。まさに車離れですね・・・その原因はもちろん、経済事情も有るでしょうか?それだけでは無い根本的問題を・・・
息子殿は車の修理をしながら独白して居ました。
メーカーは馬鹿だね・・・目先の儲けを重要視して車が約10年、10万キロ程度で経済的に修理するより新車に乗り換えた方が得だね?的な、メーカーの意図する年月でチャンと壊れるように設計しちゃったんですね・・・
その結果・・・大好きな車を長く乗れない・・・そんな現実に”車好きの激減”を招いてしまいました。車大好き人間は間違いなく自分自身でDIYよろしく車のメインテナンスを自分でやりたいのです。自分がこの大好きな車にかかわればかかわるほど車が大好きになります。車が大好きになればなるほど・・・より自分に取って多くの満足を与えてくれる車を求めるのが・・・エンスー・・・と云われる車命人間なのです。
私の知人には一人で車を12台も保有していた人も居ます。その他・・・車と共にリビングで過ごす人も居ます。愛しの愛車・・・かつては私も車大好き人間でしたが・・・
新車に買い替えて下取りに出した手塩にかけた車を見送るとき・・・なぜか?”おお泣き”をした昔を思い出します。
そんな車大好きの私が・・・なぜか?時代の変遷と共にポルシェもカローラも殆ど同じモノに見えるまでマインドダウンしてしまいました。
昨今では、会社の車を買い替える時などには・・・試乗もカタログも見ません(笑)値段だけ聞いて・・・
それで良いじゃん・・・一言で終了です。
もちろん、今回も息子殿に私の自動車の修理を誘われなければ・・・ボンネットなど自分で開けることは殆ど有りません。全部自動車屋さんまかせです。
私が若いころ、毎週の様にボンネットを開けてエンジン回りの点検と清掃、部品の取りかけなどなど、そして毎週洗車とワックスがけをして鏡の様な車の輝きを見ながら自己満足して居たのに、今、車にワックスなどかけた事はこの17年間で一度も有りません。
人間と云う生き物に取っての・・・満足と価値を・・・モノづくりの現場は深慮すべきと思います。
私も皆様に何時も、何時も・・・・長年愛され続ける様な価値の衰えない愛着が年を重ねる毎に益々増してくるような”感動住宅”を創りたいと思います。
プロがプロである最大の満足が・・・創造物の価値が長年衰えない事ではないでしょうか?
修理する息子殿との会話を通して・・・そんな思いがよみがえりました。