「2026年はシンギュラリティの年だ」と天才はつぶやいた!
AI時代はもう来ている。それでも日本人は「まだ先」と言い続ける!、イーロンマスクは2025年12月後半のテレビ対談で2026年AGIが実現する可能性は10%程度だと語って居た。それが2026年1月5日のXへの「ツイート」では下記の様に語った。
「2026年はシンギュラリティの年だ」。シンギュラリティとは、AIが人間の知能を超える瞬間を指します。
従来では、この概念は、未来学者レイ・カーツワイルによって提唱され、彼は2045年頃にシンギュラリティが到来すると予測しています。 シンギュラリティが訪れると、AIは自ら進化を遂げ、人間の制御を超えて進化し続けるとされています。
「2026年はシンギュラリティの年だ」は従来予測を”19年も前倒し”した事になる。
イーロン・マスクがたった7語で放ったこの言葉を、日本ではどれほどの人が真剣に受け止めただろうか。多くの人は、おそらくこう思ったはずだ。「またいつもの誇張だろう」「日本には関係ない話だ」と。
従来から言われているイーロンマスクのビッグマウスの発言と実現には遅れが生じている「イーロンタイム」2年から5年遅れは、2025年中頃よりその差は驚くほどに短くなり3カ月から1カ月程度となっている。
けれども、「2026年はシンギュラリティの年だ」はSFでも煽り文句でもない。AI研究の第一線、いわゆるQ1〜Q2論文の世界では、人間の認知・判断・創造行為の多くが、すでに“部分的に代替可能”な段階に入ったという認識は、ほぼ共有されている。しかも速度は指数関数的だ。
「シンギュラリティ」の最も恐ろし事はAIが自ら思考し始めっると云う事である。AIが自らの進化を自らし始める事を意味している。これにはAI技術者は、殆ど必要なくなる事を意味している。当然の事だがフィジカルAI、AIヒューマノイド等でAIは物理的・・からだ・・を持つ事も確実である。
90%の普通の人の仕事は全部AI等に代替え可能だと云う事を意味している。AIヒューマノイド等のフィジカルAI・AIエージェントの社会投入量と反比例して人の仕事量も減って行く事になる事は、自由主義経済圏では当然の帰結となる。
Anthropicのダリオ・アモデイ、OpenAIのサム・アルトマン、ジェフ・ヒントン──立場も利害も異なる彼らが、ほぼ同じ時期に「2026年前後」という時間軸を口にするのは偶然ではない。研究開発の現場では、AGIは“いつか来るもの”ではなく、“どう管理するか”の問題に移行しつつあるからだ。
最先端AI開発の米国と中国の先進AI企業群は、年間約150兆円をAIに投資し、4年間で600兆円を投じると予測されています。1社で年数兆円は珍しくありません。それに対し、日本最先端の自動運転AI企業が153億円の資金調達で喝采を浴びる。桁が二つ違うのに、「よくやった」と拍手が起きる。この数字に鈍感な愚かさこそ、日本の病理です。
先ごろ決まった政府の補正予算18.3兆円のうち、AI・半導体は1.37%。しかも多くが先行き不透明な案件に消える。先ごろ2026年は日本国はAI投資1兆円を決めたが、世界では、メタが民間企業1社ダケで、なおかつ人材獲得ダケに1兆円投資をして100人のAI人材を獲ると言う。一人100億円。
一方、日本企業はどうか。相変わらず会議で「AI活用の検討について検討する」。Excel方眼紙に未来戦略を書き込み、ハンコを回し、責任の所在を霧散させる。世界が自動運転で都市を再設計している間に、日本は「自動化は雇用に配慮して慎重に」という美しい言葉で、思考停止を丁寧に包み込む。
学術的にははっきりしている。AIは仕事を“奪う”のではない。“価値の定義”を変える。Stack Overflowの利用が急減したのは、人間が怠け始めたからではない。AIの方が速く、正確で、疲れないからだ。これはソフトウェア開発に限らない。法務、広告、行政文書、教育、政策立案──論文上では、すでに「人間優位」の前提は崩れ始めている。
注:Stack Overflow(スタック・オーバーフロー)とは、世界最大級の「プログラマー向けQ&A(質問と回答)サイト」
にもかかわらず日本では、「AIはあくまで補助」「最終判断は人間」という呪文が繰り返される。まるでAIに主導権を渡した瞬間、人格まで乗っ取られるかのような怯え方だ。だが実際には、AIを使いこなせない人間の方が、ナラティブ(物語)に操られやすいことが、行動経済学や認知科学の研究で示されている。
特に危険なのが、「規模を伴った物語の支配」だ。AIインフルエンサーが、個々人の感情や価値観に合わせて語りかけ、政治、消費、世論を最適化する世界。これは陰謀論ではなく、すでに広告分野では実装が始まっている。AIリテラシーが低い社会ほど、“考えているつもりで、実は考えさせられている”状態!ただの洗脳状態に陥りやすい。
それでも日本人は言う。「まあ、今まで何とかなってきたし」と。この「何とかなる力」は確かに変化の少ない平時では日本の美徳だった。だが今やそれは、問題を直視しない才能へと変質している。少子高齢化、財政、教育、技術──解決可能だった問題を先送りし、気づけば八方ふさがりで選択肢そのものが消えている。
AI時代において、これは致命的だ。なぜなら、AIは躊躇しない。忖度もしない。前例も尊重しない。「まだ議論が必要です」と言っている間に、世界の価値は次の前提へ進む。
日本社会が本当に危険なのは、AIが賢すぎるからではない。人間側が、あまりにも“悪慣れ”してしまったからだ。小さな不合理を見て見ぬふりをし、悪を許容し、責任を薄めることに適応しすぎた。
シンギュラリティは、ある日突然やって来る神の審判ではない。それは、「考えることを放棄した社会」が、静かに主役を降ろされる瞬間だ。
2026年は、そのリハーサルではない。本番である可能性が、かなり高い。そして日本は今、その舞台に、何の準備もなく立たされている。
とくに現役世代、55歳以下の人にとってはとてつもない深刻な現実となるだろう!
確実にAI時代でも価値を持つ「真なる学び」の無い人は駆逐される運命である。ふぅ〜〜〜