2026年、日本で完成する「努力が報われない社会」が現実化する!
2026年、日本で完成する「努力が報われない社会」――自動運転・AI・ロボット時代に、自ら負け筋を選び続けた反知性主義が爆増する日本と云う国の末路!
もう私は、弊社の各種セミナー等で10年以上前から日本社会は時代の進む方向とベクトルが60度以上方向がズレていると警告を何度も出して来た。同じ努力でも半分しか前に進まな状態・・その事実が生産性にも、日本人のお給料にも、全てに於いての現実が証明している。時が経過すればするほど遅れの差は開き続ける事になる。
2026年の日本は、「突然崩れる国」ではない。すでに負けていることが、ようやく誰の目にも見える国になるだけだ。簡単に言えば、数年前のより多くの高名な経済学者に言われている「日本ゆでガエル説」。緩やかな環境で変化に気付かず、気付いた時は致命傷を負っていると云う年(生命体として死を迎える)が2026年となる。
世界ではいま、AI自動運転、AI人型ロボット、生成AIが同時に2025年より社会へ実装され2026年には加速度を付けて増大する事になる。これは単なる技術革新ではない。Q1論文で繰り返し示されているように、労働市場・賃金構造・企業競争力を同時に作り替える“制度破壊型の変化”である。
テスラや多くの自動車企業が既にAI人型ロボットの工場導入を始めていて、2026年よりその数を増大させるとの事である。
さらにテスラのサイバーキャブの製造工場の稼働映像を見ると・・”工場全部が一つの巨大なロボット”と見えて来る様な、とてつもない製造革命(製造原価が半額)が起きて居る事が理解可能である。このサイバーキャブの販売に向けての増産が2026年4月〜6月にかけて始まる。
韓国・現代自動車傘下の米ボストン・ダイナミクスは2026年1月5日、50sの部品を軽々と持ち上げ移動させる事が可能な人型ロボットの最新モデルを公表した。先進企業とは言えない現代自動車の工場に2028年から導入するとの事である。
だが日本は、この変化を「いつか来る未来」として扱い続けた。結果、2026年はその“いつか”が強烈な痛みとして感じられ、その後、数年以内に日本は終わる事が色濃く感じられる年になる。
AI自動運転、AI人型ロボット、が壊すのは「仕事」ではなく「幻想」まず消えるのはブルーカラーだ、という理解はすでに古い。実際には、Q2論文が示す通り、先に価値を失うのは中間層のホワイトカラーである。
・ルールに基づく判断・前例に沿った調整・責任を回避しながらの文書作成
これらはすでにAIの得意分野だ。自動運転が「運転」という行為を無価値化するのと同じように、生成AIは「考えている“つもり”の仕事」を無力化する。問題は、日本のホワイトカラーの多くが、その“つもり仕事”で構成されてきたことだ。
会議は多いが決定権はない。資料は分厚いが責任者はいない。失敗しないことが評価され、成功しても空気を読まされる。
この構造の中で育った人材が、AI時代に競争力を持つはずがない。これは個人の怠慢ではない。そういう人間を量産する制度を放置してきた国家の問題だ。日本企業がAIで負けるのは、持てる頭脳差ではなく時代遅れの構造による技術力劣後、時代に意味の無い技術へ拘り続けるせいである。
「日本は技術立国だからAIでも巻き返せる」この言葉ほど、現実逃避に満ちたものはない。この言葉を発する人間はAIの初歩の初歩さえ理解して居ない大馬鹿である事は間違いない事実である。
日本企業がAIで負ける最大の理由は、リーダーの質の差、そして時代遅れの構造による差、その1つが多重下請け構造と責任分散の文化である。
AIは「誰が判断し、誰が責任を持つか」を極端に明確にする技術だ。だからこそ、・意思決定が遅い・責任が曖昧・仕様変更を現場に押し付ける
こうした構造とは致命的に相性が悪い。世界では、「失敗しても決断した者が評価される」「設計と実装が同じ場所にある」企業がAIを武器に変わっていく。
一方日本では、「失敗した者が吊るされる」「決断しない者が生き残る」構造が温存される。AIを導入しても、最後は人間の承認が何重にも必要。それはAI時代の競争から自ら降りているのと同じだ。「努力が報われない社会」は偶然ではないここで多くの人が感じ始める違和感がある。「真面目にやってきたのに、なぜ報われないのか」
答えは冷酷だが明確だ。努力の方向が、時代と完全にズレていたからである。AI時代の努力とは、・判断する力・学び直す力・責任を引き受ける力だが日本社会は、・従う力・空気を読む力・波風を立てない力
を「努力」として評価してきた。この評価軸を支持し、守り、投票で追認してきたのは、他ならぬ私たち自身だ。無能なリーダーと、それを熱烈に支える空気
政治も同じ構造にある。AI時代に必要なのは、・選択と集中・既得権の破壊・短期的な痛みを引き受ける覚悟だが日本のリーダーは、・説明だけを重ね・誰も傷つけず・マルチプッツンウェ〜などと念仏を唱えながら問題を先送りする
そんな人物がリーダーとして選ばれ続けてきた。そして社会は、それを熱烈に支持した。「改革は怖い」「変化は不安」「今のままで何とかならないか」この空気こそが最大のポピュリズムだった。2026年、日本は自分たちの選択の結果を見る
円安、物価高、賃金停滞、AI格差。これらはすべて外から与えられた不幸ではない。判断を避け、変化を拒み、「誰かが何とかしてくれる」と期待し続けた社会の帰結だ。
2026年、日本で完成するのはディストピアなのだろう。衰退に慣れ、文句を言いながらも従う社会である。だからこれは天災ではない。自業自得という言葉以外、正確な表現は存在しない。
もし希望があるとすれば、それは一つだけだ。この現実を直視し、「自分もこの構造を支えてきた」と認める人が増えること。それができなければ、日本はAI時代において努力が報われない国として、完成してしまう。おそらくそうなるだろう・・
3年後を見てみたいね・・しかし、不安だらけです。ふぅ〜〜〜