バラマキバブル!
悪慣れした日本の「現実逃避社会」への処方箋
日本はアホノミクスの3本の矢でも一番最初やる一番大事な事をやらなかった故に大失敗をした!それは、規制緩和と生産性向上である。これは痛みを伴う故に・・わざとシカトしたのだろう。
そして今の今でも、アホノミクスを検証する事も総括する事もしないまま、平時なのにコロナを上回る過去最大の122兆円の予算と▼30兆円の赤字国債でジャブジャブマネーダケやり続ける。一番大事な生産性の向上は、日本の政治屋も大企業経営者も全くしていない!故に日本は浮上などする事は、原理原則的にあり得ない。
日本という国は、まるで古い旅館の畳のように、張り替えるべき時期をとっくに過ぎても「まだ使える」と言い張り、老朽化し、ささくれ立った床を客にスリッパで歩かせ続けている。産業構造の新陳代謝ができず、政治も企業も、そして国民自身も、問題を先送りすることに慣れすぎてしまった。むしろ「先送りの腐敗学」として世界遺産に登録できそうなほどである。
日本の企業は時代に適応できず、ゾンビのように延命措置を受け続ける。政治は「代々の家業」と化した議員が、同じく代々の経営者と癒着し、選挙支援と企業献金のチップ交換に余念がない。その間に民主主義は「自然浄化機能」を失い、劣化したまま回り続ける。まるで壊れた空気清浄機が、ホコリを吹き返して部屋を汚すように。
「合理化すればクビになる」という国民的反射神経
本来なら、デジタル化やAI化等の業務改革は生産性を高め、労働者の賃金上昇につながるはずだ。ところが日本では「合理化=解雇」という公式が脊髄反射で刷り込まれている。米国やドイツでは1人でやれる仕事を、日本では1.5倍から2倍の人数で担当している現実を前にしても、改善の提案は「労働者の切り捨て」と受け取られる。
だが実際は、解雇規制が世界ブッチギリ厳しい日本で人員を簡単に削れない以上、余った労働力は新規事業や営業力強化に回せばよい。ところが日本社会は「変革=不幸」と信じる宗教のようなもので、論理より恐怖心が支配する。ブラック企業が温存されるのも、この「恐怖信仰」の副作用である。
そして組織の中で余った人材は、窓際族やハンコダケ推す肩書を与えられて、組織の内臓脂肪の様に組織内に留まり続ける!この内臓脂肪的無駄労働者が組織の生産性を著しく落とす現実を放置したママである。
”労働者”守られている様に見えても腐敗度は侵攻している。本来は組織から離脱させ、新しい価値をその労働者に付与するべく再教育が必要なのです。世界の成長国では例外なくしている事が日本では出来て居ない。そして、莫大な補助金を非効率な企業に与え、労働者ではなく「時代遅れ企業」を守る奇妙な国
日本では「労働者を守るために大企業を支援すべき(弱小下請けは無視)」という理屈が大手を振っている。しかし、守られるのは往々にして大企業経営者と株主で、労働者は「守られている」という幻想だけを与えられる。大企業経営者は「政府が助けてくれる」と甘え、労働者は「辞めたら行くところがない」と恐怖に縛られ、両者の間に成立するのは共依存関係。これではまるで、共倒れを約束したカップルのようだ。
欧州では事情が逆だ。ドイツでは解雇規制は緩いが、政府や労組が再就職を徹底的に支援するから、労働者は安心して働ける。つまり「企業ではなく労働者を守る」という原則に立っている。日本が守っているのは「企業の延命」であり、その副作用で賃金は下がり続ける。
下請け構造という「現代の身分制度」
日本の賃金が上がらないもうひとつの理由は、重層的な下請け構造だ。元請けが優越的地位を利用し、下請けに過度な値引きを迫る。下請けは逆らえば業界から締め出されるため、合併や取引先の切り替えといった合理的対抗策に踏み出せない。結果、利益は吸い上げられ、労働者の賃金も低迷する。
労働者の7割が中小企業で働く国で、大企業の賃上げだけを報じて「賃金上昇!」と喜ぶのは、火の見櫓の上で盆踊りしているようなものだ。下で燃えているのは中小企業の生活なのに。
「法律はあるが守らなくていい」という奇妙な慣習
戦後に制定された労働基準法は、紙の上では労働者を守っている。しかし現実は「36協定」という抜け穴で、無制限のサービス残業が合法化されてきた。労働基準監督署も「厳しく取り締まると企業が困る」という理由で目をつむる。こうして「雇用維持と引き換えに法律は守らなくてもよい」という暗黙の契約が成立してしまった。
2024年の物流危機でようやく労働時間の上限規制が話題になったが、それすら「当たり前の法律を守らせただけ」である。改善というより、やっと「不正を正すのは不正ではない」という段階にたどり着いたのだ。
問題先送り社会の末路
企業は変革できず、政治は癒着を断てず、労働者は変化を恐れ、役所は法律を形骸化させる。この四重苦の中で、日本社会は「衰退の慢性疾患」に冒されている。
問題を直視せず、痛みを先送りすることに慣れきった国民性は、一種の「悪慣れ」といえる。慣れすぎて、もはや悪を悪と感じなくなってしまった。まるで、腐った魚を毎日食べ続けて「これは日本古来の味だ」と言い張るようなものだ。
このままでは、日本は「緩慢な破綻」を日常化する危険な国となるだろう。産業の新陳代謝を拒み、民主主義の自浄作用を失い、労働者が報われず、法律が形骸化する社会に未来はない。
本質論を申し上げれば、本来、政府が守るべきは企業ではなく労働者である。企業は競争の中で倒れてもよいが、労働者は生きていかなければならない。にもかかわらず、日本は「企業延命装置」をフル稼働させ、その副作用で労働者の希望を削ってきた。
1930〜1946年の16年間も全く同じ間違いをしている。国家の成立要件は国民の存在!軍隊は外敵から国(国民)を守るのが仕事!・・そのエリート軍隊が一億総玉砕を声高に叫ぶ!!!日本人は日本の国家主導の教育を学べば学ぶほど、地位が上に行けば行くほど・・馬鹿な害毒人間・・になると云う歴史が繰り返されている。
悪慣れした社会は恐ろしい。人々は「この程度の不合理は仕方ない」と受け入れ、腐敗と無駄が空気のように広がる。その先に待つのは、「気付けば誰も笑えない悲劇的な喜劇」だ。日本人がその舞台に立ち続けるか、それとも幕を引けるか。今が最後の分岐点なのかもしれないと思いますけどね・・。
貴方はどう感じ、どう思いますかね?