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高給プレミアムブランド!ベンツも認める中国品質と高性能

問題を先送りすることで社会を維持してきた国、日本という「完成された失敗」

日本は、世界でも稀に見る「失敗を失敗と認識しない完成度の高い社会」だと思う。(失敗無視)制度は崩れていない。(失敗無視)秩序も保たれている。街は見た目は清潔で、電車はだいたい時間通りに来る。だからこそ厄介なのだ。静かに、確実に、構造だけが腐っている。

自動車産業を見れば、それはよく分かる。

日本人は、世界でも稀に見る「深刻な問題を先送りする能力」に長けた民族だと思う。解決能力ではない。先送り能力である。そして遅れてもそれを認めず確証バイアスに浸り続ける。もう現実、真実は中国メーカーにあらゆる性能で日本は劣後している現実!真実がある。

あのブランドが売り、品質が売りの欧州のプレミアムブランド、ベンツでさえ、新発売のモデルに中国のジーリーGeely(吉利汽車)のPHEVシステムをエンジン丸ごと搭載する状態である。

日本は現実を認めず、問題が起きた瞬間、全力で議論し、会議を重ね、検討を積み上げ、最後にこう結論づける――「今回は見送る」「状況を注視する」「引き続き検討する」。この一連の流れは、もはや日本社会における伝統芸能であり、EV戦略も、AIも、少子化も、財政破綻も、例外なくこの舞台に上がってきた。

2021年、お台場のメガウェブでトヨタは16台のEVコンセプト(殆どがモックアップモデル)を披露した。幕が下りた瞬間、会場はどよめいた。「さすがトヨタ」「トヨタ本気を出せばこうなる」。そして日本人は安心した。“本気を出していないだけ”という物語に。

だが4年後、熱狂は消え、コンセプトは年を取り、大々的に発表された目標は毎年どころか半年毎に下方修正され続けた。方や世界は別の場所で、本気どころか次の文明に進んでいた。

中国ではEVは「車」ではない。ソフトウェアで定義され、AIで学習し、常時アップデートされる“動く情報端末+AIエージェント”だ。ファーウェイの展示ホールに並ぶSDVは、もはや自動車というより「タイヤ付き!AIロボット」である。

一方、日本のクルマはどうか。ドアの閉まる音はそれなりに美しく、塗装は均一で、チープなボタンだらけの内装、操作説明書は相変わらず分厚い。まるで「職人技で作られたガラケー」だ。しかも本人たちは、まだ勝っているつもりでいる。「スマホは電池が減る」「ガラケーは丈夫」。そう言っている間に、世界は“通話”という概念そのものを卒業した。

それでも日本社会は言う。「EVは一過性」「EVは停滞・衰退」「EVは最大でも3割」「マルチパスウェイが現実的」。便利な言葉である。何もしないことを、高度な戦略のように見せてくれる魔法の呪文だ。マルチパスウェイとは名ばかりの実態は28年も前の技術の”HV一本足打法”のシングルパスウェーだ!!!

かつての10年ひと昔の時代から世界標準でも3年ひと昔となっている今!中国やテスラなどの最先端AI企業では3カ月ひと昔のスピードで変化・進化しているのに28年前のHV技術で生き延びられると信じ続ける日本の大企業経営層の頭脳は・・もう確実にオワコンどころか、過去のモノ!

中国がEVとSDVに国家戦略で突っ込み、半導体、電池、AI、クラウドを一体で育てている間、日本は「バランスが大事」と言いながら、どの分野でも中途半端になった。そしていつものセリフが登場する。「日本には品質がある」「最後は信頼で選ばれる」。

だが市場は、そんな情緒を待ってくれない。どころか、日本製は品質でも信頼でも既に最先端からは大きく劣後しているし価値の大転換をしている事に気付かない。2024年、中国ではL2+以上のADAS搭載車が新車の13.5%、価格帯によっては40%に達している。2025年はこの割合は確実に倍増以上している。若者にとって、運転とは“自分でするもの”ではなく、“AIに任せるもの”になった。

日本はまだ、「自動運転は危ない」「責任は誰が取るのか」と議論している。その議論が終わる頃、世界は責任の所在をAIと契約で整理し終えている。

問題は、こうした遅れを「慎重さ」と呼んでしまう国民性だ。本当は単なる決断回避なのに。EVで負けても、AIで出遅れても、賃金が上がらなくても、少子化が止まらなくても、なぜか誰も本気で怒らない。代わりに出てくるのは、この言葉だ。「まあ、仕方ないよね」。この“仕方ない”が、日本を最も静かに破壊している。

中国EVメーカーのCEOは言う。「車はAIで動くロボットになる」。彼らにとって電動化は入口でしかなく、
本命はAI、データ、計算資源だ。

一方、日本ではまだ「クルマは移動手段」「モノづくりは現場力」。時代がAIに突入しているのに、議論はFAX時代の延長線上にある。

問題を直視しない社会は、穏やかだ。責任を取らない組織は、居心地がいい。変わらない国民は、考えなくても良いし、努力しなくて済む、波風立てないで済む。だがその代償は、が不安ダケは爆増し、まともな人間ダケは精神を病み、未来を失うことだ。

EV、SDV、AI。世界が指数関数的に変化するなか、日本は「マルチパスウェイ」という便利な言葉で、決断そのものを回避してきた。結果、どの道も中途半端になり、誰も責任を取らないまま時間だけが過ぎた。

だが、これは自動車産業だけの話ではない。農政、行政、AI、教育――すべて同じ病理で動いている。

農政では、30年以上で約60兆円が投入された。それでも農業は衰退し、担い手は減り、食料自給率は上がらない。にもかかわらず、政策は「守る」「支える」「伝統を大切にする」の三点セットから一歩も動かない。

理由は簡単だ。改革すれば誰かが不利益を被る。だから「現状維持」が最適解になる。結果、農業は産業ではなく補助金配分システムとなり、若者は入らず、高齢者だけが残り、「日本の食を守る」という美しい言葉だけが、毎年同じように再利用される。

行政も同じだ。デジタル化と言いながら、紙とハンコとFAXは健在。なぜなら、それらが仕事をしている感を生むからだ。

本当にデジタル化してしまえば、
・無駄な確認
・形式的な承認
・意味のない会議
が消えてしまう。つまり、人手が要らなくなる。

日本の行政がAI導入に慎重なのは、倫理でも安全でもない。「仕事がなくなるから」だ。AI分野でも、日本はよく言う。「人に寄り添うAI」「日本らしいAI」。その間に、米中はAIを国家インフラとして整備し、教育・軍事・産業・行政すべてに組み込み、もはや「使うかどうか」ではなく「前提条件」にしている。

日本は今も、「AIは危険ではないか」「責任は誰が取るのか」と議論している。その議論が終わる頃、世界はAIを使わない国をリスクとして扱う。

教育も例外ではない。学習指導要領は変わったと言いながら、評価軸は暗記、正解、空気を読む力。AI時代に最も不要になる能力を、最も丁寧に育てている。3カ月ひと昔を理解している最先進国では常時連続的にアップデートしているのに日本の学習指導要領は、10年毎にしか改定されない・・今の今でもそれでも誰も問題視しない。

教育が時代遅れ⇒若者が時代遅れ⇒日本人の価値が無くなる⇒国際競争に勝てるハズも無い!ましてや日本をコントロールしている30年前の東大卒なんて、今の時代何の価値もない!だから間違えてばかりで日本はド衰退の連続が止らない!!!

失敗してもいい、問いを立てろ、と言いながら、失敗すれば減点され、問いを立てれば「生意気」と言われる。その結果、日本の若者は優秀だが、決断しない大人になる。

そして社会に出て、こう言われる。「前例がない」「上が決めることだ」「今はタイミングが悪い」。こうして日本社会は、誰も悪くないのに、すべてが悪い状態を完成させた。

EVで負けても、
農業が崩れても、
行政が遅れても、
AIで置いて行かれても、
教育が時代錯誤でも、
議員が悪事ばかり働いても、
借金だけがドンドン際限なく増大しても、

最後に出てくる言葉は同じだ。「まあ、日本らしいよね。」この言葉ほど、危険な麻酔はない。怒りを無力化し、危機感を美徳に変え、衰退を“品の良さ”として正当化する。

問題を先送りし、悪に慣れ、無駄を許容し、責任を曖昧にし続けた社会は、ある日突然崩壊する。納得したまま、静かにそして突然終わる。それが、日本という国の最大のリスクであり、最大の皮肉である。

今後、この腐敗の沼で”一輪の蓮の花” のごとく生きるには・・真なる学び・・これが不可欠ですね!そんな真なる学びを延々と追及しているのが弊社の哲学です。弊社サイトから建築や不動産を通じて”真なる学び”を体感してくださいね!