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価値ある新技術!

スーパーウッドが照らす未来、日本の“制度疲労”が隠す真実

材料科学における近年の大きな潮流をひと言で表すなら、「自然素材の機能的再設計(functional re-engineering of biomaterials)」である。自然が長い進化の過程で編み上げた構造を、人間が分子レベルから再構築し、材料性能を飛躍的に高める試みだ。米国・メリーランド大学のフー・リャンビンらが開発した「スーパーウッド」は、その象徴的成果である。強度重量比は鋼鉄の10倍、耐衝撃性は20倍──これは単なる話題性ではなく、Nature、Science Advances などのQ1級論文群で再現性をもって議論されている、れっきとした科学的成果だ。

木材を水と化学薬品で煮沸し、リグニンを選択的に部分除去し、セルロース繊維の結晶領域を高密度に再配列させる。さらに加熱プレスによって細胞壁構造を圧潰し、木材の“生物由来の空隙”をほぼ消滅させる。結果として得られるのは、もはや「木の形をした新素材」である。木材の力学特性の限界として教科書に記されてきた“弾性率の壁”を越えてしまったのだから、材料科学者がざわつくのは当然だ。

しかし、こうした科学の前進を前にすると、私たち日本人はほぼ条件反射的に「すごいねぇ……でも日本にはまだ早い」と心のブレーキを踏む。まるで制度疲労を抱えた官庁のように。Q2級の公共政策論文が指摘する「日本の制度慣性(institutional inertia)」は、技術革新の採用を遅らせ、国家競争力を静かに削ぐ。悪慣れは政策より強い。木材の腐朽は菌が原因だが、日本の組織の腐朽は“空気”が原因である。

スーパーウッドの応用可能性は広い。構造工学のシミュレーションでは、セルロース・ナノファイバー(CNF)由来の高密度木材はヤング率が金属に迫り, 加工後の材料疲労も金属より低く抑えられる可能性があると指摘されている。地震国日本では、建物の質量を4分の1に軽量化できれば、地震荷重を同様に減らせるため、耐震工学における「設計自由度」を劇的に広げる。インフラ分野では、劣化が課題となる鋼橋・トンネル補修材の代替としての可能性すら議論されている。

環境経済学でも、木質高性能材料はカーボンロックインを防ぐ鍵として重要視される。鉄鋼製造が世界CO₂排出の約7%を占めるなか、スーパーウッドの製造排出量が鉄と比べ約90%低いという報告は、脱炭素経済モデルに明確なインパクトを与える。つまり、この素材は「未来の建材である前に、未来のエネルギー政策」なのだ。

 では、ここまで揃っているにもかかわらず、日本社会はなぜ動かないのか。
 答えは明白である。動く前に“責任の所在”を探し始めるからだ。

技術採用が遅い国の共通点を分析した制度論の論文では、「不確実性回避傾向(uncertainty avoidance)」が高いほど、革新的素材の試験導入は遅れるとされる。失敗を恐れる文化は、失敗よりも危険である。スーパーウッドが強度重量比を10倍にしたように、日本社会も“意思決定の軽さ”を10倍にできればいいのだが、そこを補強する研究者はまだ現れていない。

皮肉なことに、スーパーウッドの製造プロセスは「弱点の徹底的な可視化」から始まる。細胞壁の空隙という“構造的欠陥”を直視し、それを丁寧に壊し、再構築するから強くなる。対して日本は、制度や組織の“空隙”を可視化することを避け、壊すべき部分を壊さない。その結果、再構築は永遠に始まらない。これをブラックジョークと言わずして何と言おう。

木材は手を加えれば強くなる。しかし社会は、手を加えなければ弱くなる。
 この単純な因果を理解できないままでは、スーパーウッドをただの「海外の面白素材」として眺めて終わるだろう。

 科学は常に前へ進む。制度はしばしば後ろに沈む。
 その狭間で立ち尽くしているのが、今の日本である。

未来の建物がスーパーウッドで軽く、強く、美しく立ち上がる頃、私たちの社会もまた、古い制度の空隙を壊し、新たに圧縮し、再構築できているだろうか。もしそれが叶わなければ──この国で最も“無責任て軽い”のは、未来への責任だけ、ということになる。

日本でも新技術の発表は時折目にするが・・・その後、なぜか?何年も無のつぶてで実用化(お金を稼ぐもの)されたものはこの10年程の期間では全くと言って良い程目にしていない。

悲しき現実が有る様だ!どうなってしまうのだろうか?日本は?心配でありますね!