全く役立たずだった戦艦大和!後生大事に今でも同じ
「反省しない国のV8-ICE爆音讃歌 ― 85年前から続く“時代錯誤の伝統芸能”」
フェラーリでもランボルギーニでも無い、普通のありきたりの安い価格ダケで売れている激安メーカーが、何故に今時に時代遅れの、温暖化加速のICE爆音の超高額スーパーカー、アホじゃない!
日本という国には、一種の“伝統芸能”がある。それは能でも歌舞伎でもない。「時代遅れをありがたがる」という高度で奥深い芸だ。85年前、航空機が戦争の主役に躍り出た世界で、わざわざ巨大戦艦「大和」を造り、「世界最強だ!」と自分を鼓舞し、そして実戦では全く役に立たずに3,332人の乗組員と共に戦場にも到達出来ずに沈んだ。
忌まわしい歴史的事実が無反省のママ価値を持つ世界で唯一の無反省の民族、それが日本人の本質!
恐ろし過ぎる事に、日本人の多くは戦後でも巨大戦艦「大和」は大人気で、大人気アニメのモデルの名前にもなり、多くの映画も制作され、大人気、そして今の時代でも大人気で正しく評価出来ない状態が継続中である。
無用の戦艦大和は悲劇ではなく、日本の文化的反射神経の問題だったのかもしれない。つまり、変化を察知できないのではなく、察知しても“見なかったことにする”才能がある。
そんな国が、令和の今日もまた、数日前に発表された2年後に発売予定とされる昭和基準のV8エンジン搭載のスーパーカーを称え、SNSで「トヨトミ会長は国宝」と叫んでいる。SNSで叫ぶ本人も含めて殆どの日本人(99.999%)が買えない時代遅れの超高額のクルマを”凄い”と評価して何の意味が有るのだろうか???
まさに2013年より開始したジャブジャブマネーで日本を破壊(エビデンスデータが証明)したアホノミクス主導リーダーを国葬にする民族ダケの事はある。
もちろん、スーパーカーと称するGIGIR GTが昭和の時代なら、すばらしい技術成果であることは疑いようがない!が今から40年前に実現してこその価値である。だが、その熱狂の背後に今の時代(AI時代・環境時代)を含めて「未来を直視しない妄想的心地よさ」が漂うのが問題なのだ。
世界はEVとAIの大転換期にいる。時代に超遅れてしまった日本の大企業が、こんな糞見たいなスーパーカーとやらに、持てるリソースを割いている場合では無い。組織をアポトーシス化する!そんな事も判らないアホボンである。
産業構造のパラダイムシフトが進行し、技術研究では“ソフトウェア中心の産業構造”が既定路線となっている。BYDは1社で1年に200万台以上のEVを生産し、中国全体では年間1200万台余の超高性能激安EVを生産する。そしてそれらのEVを2026年より世界に急速に拡散する事も間違いない。
中国新興勢は自社開発の高性能半導体とAIソフトを積んだAIカーを当たり前のように市場にばらまく。一方の日本は、V8が唸るたびに喜び、技術の核心である“データ”と“ソフト”への投資には異様に冷たい。国民も企業も行政も、まるで「未来は”痛い”から見ない」という協定でも結んでいるかのようだ。
日本人には、「反省しているフリは得意だが、実行が伴わない」という構造的な欠陥がある。組織論でも、有名な「学習しない組織(non-learning organization)」の典型モデルとされる。失敗したときは謝罪会見を開き、深々と頭を下げる。しかし、翌日には「前例踏襲」の名の下に同じことを繰り返す。85年という歳月が流れても、文化(負の)DNAはほとんど変異していない。
自動車産業でもその姿勢は見事に表れる。世界がデータとAIに資本を投じる中、日本では“内燃機関の延命”に最も情熱が注がれる。これは、沈む船で「まだ木材は頑丈だ」と言い張るのと同じだ。事実、世界の市場シェアは年々低下し、若者は車離れし、産業構造は老化しているのに、社会全体は「まあ、大丈夫でしょ」と笑っている。
これは楽観ではなく、現実逃避の国民性だ。
歴史学の研究によれば、大和が沈んだ原因のひとつは“情報を軽視する文化”だった。そして今、AIという“情報そのもの”の技術が主役になっているにもかかわらず、日本はまたも情報軽視を繰り返している。もはや「歴史は繰り返す」どころではない。「間違いを価値と学習して繰り返している」レベルで精度が高い。
しかも、問題を指摘されると、「日本には日本のやり方がある」と反射的に激怒して言い返す。これは、心理学でいう“防衛的ナショナリズム”で、集団が自信を失ったときによく見られる症状だ。つまり、実力が落ちるほど、自尊心だけが肥大化する。
このままでは、日本の産業は“ゆっくり消えていく”のではなく、“気づかないうちに消えていた”という最悪の結末を迎えるだろう。これがいちばん日本らしい終わり方だ。私たちは騒がない。怒らない。気づかない。沈んだあとで、「あれ? なんで?」と首をかしげる。
だが、それで未来を救えるだろうか。
V8の咆哮に歓声を上げるのは自由だ。しかし、それに酔っている間に世界は、AI自動運転の精度を上げ、大量のデータを収集し、AIが道路状況を予測する時代へ突入している。日本が本気で未来を取り戻すには、過去を讃える快楽に溺れるのをやめ、“面倒な現実”に向き合う勇気が必要だ。
・反省できない国は、学習できない。
・学習できない国は、競争できない。
・競争できない国は、未来を選べない。
85年前に起きたことは、偶然ではなかった。そして今起きていることも、偶然ではない。日本が未来を諦めるかどうかは、私たち自身が“心地よい病的幻想”を手放せるかにかかっている。
そろそろ、”無用の戦艦大和”の亡霊から自由になろう。害毒を垂れ流すダケの沈む船に拍手を送る伝統芸能は、次の世代に引き継がなくていい。