日本人の”約55%”が「地球温暖化には興味なし!
■エビデンスデーターの数値で眺める“日本の未来”──その沈黙こそ最大の気候リスク
気候科学の世界では、もはや「1.5℃目標」は願望ではなく、残存カーボンバジェットという“残り時間”の問題として語られます。IPCC第6次評価報告書によれば、1.5℃に抑えるための残余バジェットは約200GtCO₂。
いま世界は年間約40GtCO₂を排出していますから、単純計算であと5年。つまり今日生まれた赤ちゃんが小学校に上がる前に“地球の持ち時間”は使い切られます。
しかし日本では、この残り時間に対する危機感がほとんど共有されません。むしろ「内燃機関をまだ改良すれば戦える」という大企業トップの声がニュースをにぎわすほどです。経営戦略論の研究では“ロックイン効果”がよく知られています。
既存の技術資産に大きく依存するほど、新技術への転換が遅れ、組織が黒字のまま死んでいく現象です。世界がAI搭載のBEVに大転換している時代に、日本のトップが誇らしげに「エンジンの改良で勝負」と語る姿は、ある意味40年前ので昭和の高度成長期の教科書的ですね!。
一方、気候科学のQ1級論文では、1.5℃を超えた先の世界は“線形ではなく跳ねる(激悪化する)世界”簡単に言えば0℃で水が氷になる様な全く別物になる劇変だと示されています。Lenton ら(2019)や Armstrong McKay(2022)が示すティッピングポイント研究では、グリーンランド氷床の崩壊は1.5〜2.0℃で確率的に加速し、西南極氷床は1.5℃付近が臨界とされます。
また永久凍土からのメタン放出は0.1〜0.2℃の上昇で急激に加速し、メタンの温室効果はCO₂の約80倍。江守教授が言う「0.1℃で数千万人の生活が変わる」のは比喩ではなく、科学的なエビデンス有る近々未来の現実なのです。
ところが日本の政策形成は、このスピード感とは別の次元を歩んでいます。産業構造審議会の資料を見ても、日本の化石燃料依存度は依然約85%。再生可能エネルギー比率はOECD平均よりも低く、送電網整備の遅れも顕著です。人口が20年で約2000万人減少し、労働人口が20年間で800万人以上消える見通しであるにもかかわらず、エネルギー転換は「慎重」の一言で片づけられています。
時代を支配するAI技術も世界最低レベルの日本は、この先何で日本国民は飯を食えば良いのでしょうか!!地球沸騰化で食料生産が激減し、衰退国日本はさらなる円安、金利高、物価高で、食料を買う事が出来なくなる可能性がとても高いですね!
学術的にも、これは典型的な“ステータス・クオー・バイアス(現状維持バイアス)”です。既存(昭和)の成功体験が大きいほど、人は明確な危機を前にしても行動を変えにくくなる。心理学でも経済学でも繰り返し証明されています。日本の大企業のトップが「EVは一時的なブーム」と語るとき、その背景には科学的評価よりも、過去の成功の残像が影を落としているのです。
では日本社会全体はどうでしょう。実は気候危機に対して「自分ごと化できない国」だというデータがあります。内閣府の意識調査で、日本人の”約55%”が「地球温暖化の影響は自分にはあまり関係がない」と回答しています。これは欧州主要国の倍近い値です。
地理的に温暖化の被害を世界一受ける日本の国土(今の所うんが良いダケ)なのに・・・恐ろしい知性の劣化ですね!
教育心理学の研究でも、問題を“誰かが何とかしてくれる”と考える社会では、構造的な無関心が固定化されると指摘されています。
科学的には、問題先送りは最もコストが高い選択です。1.5℃と2.0℃の間の0.5℃の差は、熱波による死者を1.5倍以上増やし、洪水リスクを約2億人分悪化させると評価されています。にもかかわらず日本は、国際会議では立派な演説をしながら、国内では石炭火力を延命し、化石賞の常連となっている。この矛盾を前に、気候科学者が深いため息をつくのは当然です。
しかし救いを探し回れば・・。社会を変えるきっかけは、いつの時代も“一部の個人の気づき”から始まることが多いという研究があります。変革の拡散モデルでは、必要なのは社会全体の大多数ではなく、わずか”25%”の“変化を選ぶ人”。日本が変わる可能性があるとすれば、その25%が静かに動き始めるときでしょうが今のリスクリテラシー最低の思考停止した、うぬぼれた日本人には無理でしょう。
科学はすでに十分なデータを積み上げています。あとは私たちが、それを“現実として受け止める”かどうかです。気候危機には忖度も先送りも通用しません。だからこそ、いま必要なのは“事実を見る勇気”なのだと思います。
未来は数年後に、とてつもなく過酷になろうとも、まだ貴方はガソリン車に乗りますか?買いますか?