価値ある真実は、例外なく腹立たしい!
「真実」という鏡の痛み・・・日本は悪政インフレ、食品物価は去年比で7.6%も上昇しているとの事、今後も、この比率の前後で延々と上がり続ける確率が高そうですね!
日本人は1日に必要な総カロリーの約20%をお米から摂取していますが、お米などは49.2%も昨年比で高騰しています。そりゃぁ〜物価高前でもギリギリの日本人の6〜7割が生活苦になる訳ですね!
人は事実を突きつけられると、たいてい怒る。嘘なら笑って聞き流せるのに、真実ほど人を不機嫌にするのはなぜだろう。
「防衛本能」としての心理的抵抗
@ 認知的不協和(cognitive dissonance)
人は「自分の信じていること」と「現実の事実」が矛盾すると、強い心理的ストレスを感じます。この不快感を減らすために、
「そんな事実は偏っている」真実が自己否定の攻撃と感じる!
「相手が批判的なだけだ」と受け取って、自分を守ろうとするのです。つまり、“事実を否定”してでも“自己イメージを守る”という防衛反応が起きます。
A 自己正当化の欲求
人間には「自分は正しい」「自分は善良だ」という自己肯定の軸があります。そこに真実が突き刺さると、自分の非を認める=自尊心が傷つくため、「批判された」と感じやすくなります。
心理学的には単純だ。人間の脳は「自分は正しい」という幻想を守るようにできている。だから、目の前のデータがそれを否定すると、事実よりも自尊心を優先して修正してしまう。まるで鏡を見て「この鏡、歪んでる」と言い張るようなものだ。
しかも厄介なのは、社会全体でこの鏡を割りにかかるときだ。「そんなこと言うな」「みんな頑張ってるのに」と、事実の指摘者を“攻撃”にすり替える集団的防衛反応が始まる。構造の欠陥を指摘しても、「あなたもその一員でしょ?」何でそんな嫌な事を言うのか!と責められる。結果、誰も何も言わなくなる。沈黙が国技になる。
それでも真実は、沈黙を恐れない人の前にだけ姿を現す。見たくないものを見て、耳が痛いことを聞いて、「それでも自分を修正できる人」だけが進化する。一方で、見ないふりをした人々は、同じ場所で堂々と勝手な妄想的な“成長ごっこ”を繰り返す。数字もデータも、ただの飾りに成り下がる。
「自己批判に聞こえる」というのは、実は自分の中の良心が痛がっているだけなのだ。だからこそ、真実を語る人は強烈に嫌われ、そうした集団の中では排除される。耳を塞いだ者ほど、ぬるま湯の中で安心して沈んでいく。
真実はいつだって静かだ。怒鳴らないし、強要もしない。ただ鏡のように、こちらの顔をそのまま映すだけ。問題は──その鏡を見つめる勇気が、私たちにまだ残っているかどうかだ。
どうやら多くの日本の場面では、もう正しい英知、考える力は無くなって居ると感じる場面が多い。
この真実を敵視する日本人の感情が、今の日本中に悪をはびこらせ、日本を大衰退に導いた主因の様ですね・・・悲しき現実です。