新首相の所信表明演説は一番大事なアジェンダが6.1%
高市早苗新首相の所信表明演説全文・7913字を詳細に2度読み込んだ!補助金や支援金の話がとても多く、増税=財政健全化の話は1字も無い。現在の日本の持続性に取って”一番大事な事”がとても少なく具体性が無い事が確認出来た。
1,食料問題・・・・・149字(全分の1.8%)・物価高騰の主因の1つなのにほぼ無視・・トホホ
2,エネルギー問題・・204字(全分の2.5%)
3,教育問題・項目すら無い!・・4 大胆な「危機管理投資」による力強い経済成長の中の134文字(全分の1.6%)、日本人は2人もノーベル賞取った!ノーベル賞取らせましょう的な話で具体性ゼロ
一番大事な上記3問題の割合が合計487文字(全分の6.1%)しかない!当然総花の具体性無し!私の日々のブログの1/10程度しか文字数が無い!現在の日本国の真の問題すら認識する能力が無い御仁がリーダー
日本は?『破綻はまだ?いや、もうしてるのかもしれません。』・日本の一番のリスク問題の借金はGDP成長割合で増やして借金は減らさないと宣言していた。
景気は気からの”気”を全く理解していない!莫大な借金問題が日本の持続性不安となり、消費が伸びないし、企業がチャレンジしないのですよ!超簡単な事!チャレンジしないのに成長などするハズも無い!
「日本は財政破綻するか?」という問いに、今日も多くの国民が紅茶でもすすりながら、他人事のように眉一つ動かさない。なにせ破綻しても不思議じゃない状態に30年近くも“慣らされて”きた国である。毎年毎年「今年も借金1415兆円超えました!」というニュースが流れても、「はあ、そうですか」で済む国なんて、世界中探しても珍しい。日本は世界に誇る“借金に耐える精神文化”を築いた国かもしれない。
そもそも、なぜこんな財政赤字になったのか。答えは意外とシンプルだ。
@経済は伸び悩み、
A少子高齢化で社会保障費は爆上がり、
B景気対策だの災害対応だのコロナ対策だので補正予算連発、
Cでも税収はそのスピードに追いつかず。
その赤字を国債で埋め続けて気がつけば“先進国唯一の対GDP比236%(2024年)超え”という大記録を達成。
普通の国なら「やばい」と思って制度改革や増税を議論する。ところが日本では逆に「消費税廃止だー!」と叫ぶ政党が支持を集める。たしかに痛みを伴う改革はイヤだ。でも「痛みを避け続けて死にました」では、まるで歯医者に行きたくないから放っておいたら虫歯菌が脳に回り手遅れになった人の話と一緒である。
極右でも極左でも、「痛みゼロで財政再建」なんて夢物語を掲げる党が躍進している今の日本は、民主主義というより「夢見主義国家」である。選挙は未来への投資ではなく、現実逃避の手段になっている。「消費税を廃止すれば景気が良くなる」などという“おとぎ話”に拍手喝采する国民が、金融庁の警告を“都市伝説”と勘違いしているのかもしれない。
しかも「財政再建は将来の話」として先送りしてきた結果、当初「2000年までに黒字化します」と言っていたプライマリーバランス(基礎的財政収支)の目標年は、2025年になっても達成できそうにないどころか今回の高市総理で2027年でも怪しくなり先送りが濃厚。これもまた日本的伝統芸、「約束はするけど27年間も守らない、でも誰も怒らない」。まるで忘年会の参加確認LINEみたいだ。
じゃあ、どうすればいいのか?
井堀東大名誉教授によれば、「歳出削減」か「増税」か、はたまたその両方しかないという。これはつまり、「ダイエットするには食事制限か運動しかないよ」と言われているようなもの。でも日本は、「でもスイーツも揚げ物もやめられないし、運動は汗かくから嫌」と言ってる状態。いや、そもそも“体重計”に乗るのも面倒くさい、というレベルか。
そして今、気がつけば日本は社会保障費だけで国家予算の3分の1以上を食われている。未来の世代が払うことになるツケを、我々は「まあ、いいか」と笑顔で先送りしている。それって本当に“優しさ”なのか。むしろ“子どもに毒を飲ませている”のでは?
気がつけば、痛みを伴う事が不可欠な本物の改革より、耳障りのいい空想話を好む国民性に。増税反対、社会保障は維持、赤字は無視。まるで「家計が火の車なのに、新車とハワイ旅行は欠かせない!」という家庭みたいだ。
日本の破綻は、「数字」ではなく「感覚」が麻痺してしまったことから始まっている。危機を危機と認識できないことが、最大の危機である。
『破綻を呼ぶのは数字よりも、国民の「思考停止」だった』日本の財政がここまでボロボロになった理由を、「政治家が無能だったから」と片づける人は多い。だが、それはあまりにも都合が良すぎる。無能な政治家を選び続けたのは、ほかでもない“私たち国民”そのものなのだから。
この国の多くの有権者は、政治に関心が無いか、興味を持っても“お祭り”として扱う傾向がある。選挙のたびに「減税」「バラマキ」「反対!」という耳障りのいいワードが並ぶと、「この人はよく分かってる」と拍手喝采。まるで経済の話をラーメン屋の食券機のように「一番高いのが正解」と選んでいるような光景だ。
でも現実の財政は、残念ながらクーポンではどうにもならない。バラマキは喜ばれても、回収の話になるとみんな黙り込む。支出だけ拍手喝采で、負担の話になると手が石になる国民性。これでは持続可能な国家運営は夢のまた夢である。
では、なぜこうなったのか?
一つの要因は「教育の影響」だ。日本の学校教育では、「税金とは何か」「国家予算はどう作られるか」「年金制度の仕組み」など、生活に密着した経済の話を深く教えない。テストには出ないからだ。
代わりに暗記させられるのは、明治時代の年号や、二宮金次郎のエピソード。「倹約と勤労の精神を学びましょう」という道徳授業で、実際の財政の泥臭いリアルには決して触れさせない。
つまり私たちは、「国家とは何か」「財政とは誰の問題か」という主体的な視点を一度も持たないまま、選挙権を与えられたのである。
これはたとえるなら、「クレジットカードの仕組みも知らないまま、限度額無制限のカードを渡された高校生」に近い。借金しても請求書が来ないと、調子に乗って使い続ける。だが、利子が膨らみ、突然一括請求された時には、もう取り返しがつかない。まさに今の日本の財政状況と同じである。
さらにそこに油を注いだのが、メディアの「責任放棄」だ。
日本の大手メディアは、政治と経済をあえて「難しいもの」として伝えてきた。「GDP対比」「プライマリーバランス」などの用語が登場すると、それだけで視聴者がチャンネルを変えてしまうため、代わりにワイドショーでは「芸能人の不倫」や「お得な買い物情報」を延々と流し続ける。
結果、日本人の多くは「情報はあるけど理解できない」、あるいは「そもそも考えたくない」という状態に追い込まれた。“考える力を鍛える”のではなく、“何も感じずにスルーする能力”を養ったのだ。
それでも私たちは「報道が足りない」とメディアを責め、「説明が不十分だ」と政治を責める。だが、自分の手の中のスマートフォンは、なぜかTikTokとYouTubeばかり。情報を浴びる環境は高まったのに、情報をの正否を判断し、咀嚼し、行動に変える力は強烈に衰え続けている。それはきっと、国民の中に「どうせ変わらない」という諦めと、「自分が変えられるわけがない」という無力感が沁みついているからだ。
でも、その諦めこそが最大のリスクである。
国家は壊れるとき、音を立てて崩れたりしない。何となく雰囲気で、「あれ、最近生活苦しくない?」と気づいたときには、すでに手遅れになっている。貧しくなったのは自分のせいではない。国のせい?いや、責任の所在を押しつけ合っているうちに、もう誰も責任を取れない社会になっていた──そういう未来は、もうすぐそこにあるかもしれない。
10%の村に選ばれし裕福な国民と10%の普通の国民、そして若者を中心に80%の生活苦の棄民社会となりつつある。そして思考能力を奪われた生活苦の80%の人々が圧倒的多くポピュリズムに流れ、目の前の”餌”に食いつき、自分達をさらに苦痛な社会に落とし込む政治屋を選ぶのだから・・・もうどうする事も出来ない状態が今の日本の様ですね!
悲しすぎる現実だが・・これも事実が語るファクトである。