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12歳が82年間と長い民族!昔、12進数と云う時代があった・12以上無い

「12歳の社会」とロボット顔(中身昭和のママ)の車たち・・・80年前日本の全面降伏で占領軍のトップのマッカーサーは第二次世界大戦後、米国議会での証言で「日本人はまだ生徒の段階で、12歳の少年である。」 と述べた。

「幼稚な民族だ!」と判断したのだろう。100%負けると日本自ら結論を出した無謀な戦争が出来る幼稚な民族・・まぁ〜当たっている。

84年後の今も・・全く進歩していない「12歳の社会」のママである。ふぅ〜〜〜

今の今も最近の日本の道路を走っていると、どうしても笑ってしまうことがあります。いや、笑ってしまうというより、もはや笑うしかないのかもしれません。

あちらにもこちらにも、サメや爬虫類をイメージさせるロボット顔の車(外見ダケガンダム顔)が威勢よく睨みをきかせ、まるでガンダムの量産型が公道を占拠しているかのよう。私以外にも山口周氏が言う「現代社会の12歳化」という言葉は、まさにこの光景を説明するためにあるのではないでしょうか。

かつてクルマは、大人の遊び道具であり、成熟した美意識の象徴でした。ベンツの静かな存在感や、BMWの躍動感、ポルシェの愛嬌と孤高の併存、アルファロメオの艶やかなラインは、アストンマーチンやベントレーの品位等々は所有者の教養や人生観を映していました。

ところが今や、「12歳の子が背伸びをする様に」求められているのは「とにかく目立つこと」。オラオラ顔で威嚇する車が人気を博し、街を走る姿は「子どものヒーローロボットごっこ」の延長にしか見えません。成熟社会どころか、少年ジャンプの見開きページがそのまま道路に降りてきたかのようです。まぁ〜日本車のデザインは世界最低と言っても過言では有りません。

Cd値を見れば直ぐに判る事です。日本メーカーのデザインは、無駄ライン、押し出しライン、威嚇ライン、意味不明ライン、醜悪感MAXラインが満載です。美の探求などのカケラも感じられない。Cd値は日本車はとてつもなく悪い!当然の事ですが大自然の法則に逆らい続ける環境最悪車!

もちろん、こうしたデザインの流行には理由があります。購入層ごとに価値観が違うからです。大衆層はとにかく安いが第一!「壊れにくく燃費がよければいい」と無難さを求める反面、人間的に未成熟な自己主張の強い背伸び層は自己承認を異様に求め押し出し感、を求めるのです。伝統的な富裕層は相変わらず欧州車に落ち着いた美を見出す。

まさに日本車の主要顧客は富裕層では有りませんし、残クレでオラオラミニバンを好む様な身の丈を知らない層ですから、どうしてもオラオラデザインになるのでしょう。

開き直りの、新興の成金層は「見せびらかすために車を買う」と公言して憚らない。だからこそ、オラオラ顔ドMAXのオラオラミニバンやレ苦サスSUVが飛ぶように売れるのです。しかも中古の輸出(外国では日本の2〜3倍の値段故に可能)が出来たので値落ちが極端に少なく”残クレオラオラミニバン現象”が起きて、貧困層にもますますバカ売れ。

数字で見ても、2025年上半期にオラオラミニバンが4万台以上売れているというのは、驚くべき現象というより「なるほど、そういう国か」と納得せざるを得ない結果です。まぁ〜何を買おうが個人の自由です。何を着ようが自由と同じですが”痛い”人間にはなりたく無いモノですね!

日本の自動車メーカーは、過去はどうあれ、現在はすでに日本人からしか儲けられていない現実を直視する時!”痛い”精神年齢12歳の人間がウヨウヨの国なのかも知れません。それはファクトを平気で否定するネトウヨおじさん(50〜60歳前後)多発でも証明される様ですね!

外国でも中国人と云うのは押し出しが強くてオラオラが大好きな民族ですから、かつてはオラオラ顔のオラオラミニバンが日本の3倍の値段でも売れた様ですが・・今ではその性能と装備のチープさでシュリンクしてしまって居ます。

欧州の都市を歩けば、車は景観の一部として慎ましく佇んでいます。路地裏の石畳に寄り添うように停められたフィアット500は、まるで街の小物のよう。対して日本の道路を見ればどうでしょう。まるで巨大な戦闘ロボットが住宅街の狭い路地にねじ込まれ、夜になれば目を光らせて威嚇している。景観と調和どころか「敵の拠点発見!」とばかりにLEDライトで周囲を照射しているのです。これを光害と呼ばずして何と呼ぶのでしょうか。

ここで本当に怖いのは、私たちがこうした不合理や不調和に慣れてしまうことです。「まあ、日本だから仕方ない」「どうせ皆が乗ってるし」という諦めの空気こそが、日本社会の病ではないでしょうか。悪習に慣れ、問題を先送りし、やがて「それが普通」になってしまう。これこそが最も危険な悪です。戦後の焼け野原から復興した国が、今や派手なフロントグリルに満足している姿を見れば、歴史の先生も苦笑いすることでしょう。

皮肉なことに、車というのは人間の欲望を映す鏡です。強く見られたい人は強面のSUVに乗り、堅実でいたい人は地味なコンパクトカーを選ぶ。つまり街を走る車を観察するだけで、その国の人々の精神年齢や社会の方向性がわかってしまうのです。そして今の日本の道路が映しているのは「大人ぶった12歳たちが、今日も堂々と問題を先送りして空威張りをしながら走り回っている」そんな姿ではないでしょうか。

未来の自動車デザインには「文化的価値」と「実用性」の両立が求められる、と多くの専門家は語ります。しかし、それを受け止める私たちの側がいつまでも“12歳のまま”であれば、本当に必要な変化は訪れません。車に限らず、政治も、教育も、職場の制度も、同じことです。派手さでごまかし、問題を見ないふりをして、気がつけば手遅れ。

結局のところ、オラオラ顔の車が売れているのは「オラオラ顔が好きな国民=中身スカスカの自己顕示欲ダケが強い民族」がいるからです。そしてその国民とは、他でもない私たち自身なのです。

もし日本がこのまま「悪慣れ」に浸り、無駄や矛盾を笑って済ませ続けるなら、次に道路を埋め尽くすのはロボット顔の車ではなく、「型古のロボットのように考えることをやめた日本人」なのかもしれません。今のAGIロボットは自ら考えて行動するので・・型古ロボット以外には呼称は無いのでしょう。

AGI時代に”考える事が出来ない型古ロボット”など粗大ごみ以外の何ものでも有りませんよね!