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病院が1/10に縮小しても、高齢者の死亡率は、ほぼ変化なし

医療費を垂れ流して、私たちはいったい何を得ているのだろうか「日本の医療は世界一」―「制御性T細胞」を発見した坂口志文先生が、ノーベル生理学・医学賞を受賞―テレビの中のコメンテーターが誇らしげに語るとき、私たちはなんとなく胸を張りたくなる。

しかし、その研究は40年前の研究であり、1995年、今から30年前の論文発表迄、その功績の元はさかのぼる!まだ、今ほど研究環境が劣化していない時代であっても給料無しでの研究機関が数年有ったり、アメリカに行っても不遇な苦しき時代が長きに渡り有ったとの事である。日本国の研究に対する支援も微々たるものだったのだろう。坂口志文先生のご苦労をお察し申し上げる!

しかし、今の今日本の研究者の研究環境は国立大学が法人化された2004年以降は、とてつもなく劣化して居て、研究者の研究資金は減らされ続けて居るとの事である。東京大学の某研究室が今年の猛暑でエアコンが故障したとの事!しかし、資金不足で修理費が許可されなくひと夏エアコン無しで研究を強いられたとの事。自滅民党の政治屋は反知性主義者で研究者を敵と思って居る様である。日本学術会議の騒動でもそれは証明されている。

痴呆症レベルの首相などの判断では無い!確実に霞が関に巣食う官僚村の糞の判断(官僚に従わない研究者など認めない)と推定される。

現在の日本の医療の現実は、貧すれば鈍すの言葉の様に医療村の倫理観や技術力の衰退も激烈となってしまって居る。お金の配分が医療村の寄生虫に多く配分され、研究者のも現場で必死の医師にも行かなくなっているのだろう。

報酬が努力や実績では無い・・医療村の寄生虫が決めた偏った配分となっているのだろう。医者の報酬も全部の医者が同じ点数では無く、医師免許は建築士免許でも3段階ある様に、ランク分けの更新制にしてスキルや社会的貢献度に応じて報酬配分すべきである。医療村の寄生虫の差配は、まさに日本のド衰退の現実と重なる。

でも、日本人の思い込みの、日本の医療は「世界一」に命を預けたはずの家族が、救急車を何時間もたらい回しにされ、ようやく見つけた病院で「受け入れ不可」と冷たくあしらわれるとき、胸を張るどころか、ただ茫然とするしかない。

どうやら「日本の医療は世界一」は患者の満足度は含まれないらしい!「日本の医療は世界一」は「医療村が儲ける為の仕組みは世界一」というのが正しい事なのだろう。

それはまるで、金メダルを掲げた直後に転倒し、担架で運ばれていく選手のようだ。拍手喝采の裏に、深い矛盾と綻びが潜んでいる。

そんな私たちの思考停止に、静かに、しかし確実に一石を投じてくる書籍が下記である。

日本の医療の不都合な真実 コロナ禍で見えた「世界最高レベルの医療」の裏側 (幻冬舎新書) 新書 – 2020/9/30森田 洋之 (著)

北海道・夕張市での財政破綻後に地域医療の実体験――予算大削減で病院が1/10に縮小しても、高齢者の死亡率はほとんど変わらなかったという“現実”は、もはや都市伝説ではない。むしろ私たちの思い込み――「医療が減れば死が増える」「病院がなければ不安」という迷信の方が、よっぽど科学的根拠に乏しかったのだ。

そう、もしかすると日本人は「医療」に幻想を抱きすぎてきたのかもしれない。「点滴一本で寿命が延びる」なんて信じて、気づけば年間45兆円(※2025年度推定)もの社会保障費をひねり出す。45兆円の内、いくらが無駄な医療に費やされているか、夕張市の上記現実「病院を1/10に縮小しても死亡率変化なし」から想像すると恐ろしくなる。

この医療村寄生虫を排除して浮いたお金を・・価値ある研究者の研究資金や医者自身のスキルアップ!人間力アップの資金!AI医療開発の資金!として欲しい!投資資金の何百倍のリターンが見込めると思う。

高齢化社会とは、言い換えれば「みんなでゆっくり沈んでいく豪華客船」だ。沈みゆく船上で、最新のベッド数や医療機器を自慢しても仕方がないのに、我々は船底に穴が空いてることには目を背け続ける。沈没寸前まで「病床数は世界一」と胸を張る滑稽さに、そろそろ気づいた方がいい。

特に新型コロナがあぶり出したのは、病院という“箱”の限界だ。感染症対応の病床は全体のわずか2%、しかもその2%に集中するために他の医療が止まり、命に関わらない“手術待ち”の列が延々と続いた。行政は「命を守る」と連呼したけれど、守ったのは医療村システムという建前であり、患者一人ひとりの“生き方”ではなかった。

さらに哀しいのは、医療という営みが“ビジネス”に堕してしまった現実だ。多くの民間病院は、利益確保のため「満床経営」が当たり前。空きベッドがあっても使わせてもらえない、医療従事者がいても感染症に対応できない(スキルも知識も無い)…なんて矛盾だらけ。

さらにスキルや知識や設備は有っても感染症を受け入れると大赤字になる日本の医療点数制度。まるで火事場で「消防車はあるけど出動許可が下りない」と言われてるようなものだ。消防車のガソリンは消防士に自腹で払ってね!・・と云う様な状態である。

公立病院の比率が極端に低く、公立病院の8割が赤字経営!行政が医療をコントロールできない日本の構造では、「平時の儲け」に特化したシステムが非常時に一気に破綻するのは当然の帰結なのだ。来るべき大災害の巨大地震でも医療はコロナパンデミック時よりさらに機能はしない事は100%確実な事である。

医療村の住人たちは、“夕張モデル”(医療の最適化)を見て見ぬふりを決め込む。仁術ではなく、まずは収支バランスだけでは満足しなくて強欲!医療村トップダケの我欲のみの日本の医療制度。これが、命の値札が日々つけ替えられている国の現実である。

それでも私たちは、「医療費が増えれば安心」だと信じてやまない。高齢者が病院で亡くなることを“幸せ”と感じる空気すらある。だが森田氏が指摘するように、本当に必要なのは「命を支える医療」ではなく、「人生を支える医療」だ。病院のベッドの上で延命装置に囲まれて生きるよりも、自宅で家族と過ごし、自分らしい最期を迎える――そんな選択肢こそ、私たちが取り戻すべきではないだろうか。

これからの日本は、人口の3人に1人が高齢者という“お年寄り大国”になる。子どもは減り、納税者も減り、しかし医療と介護の需要は右肩上がり。まるで「体重は増えてるのに脚は細くなる」人体実験のようだ。そんなバランスで立っていられるのは、もはや奇跡としか言いようがない。

それでもこの国は、「医療が足りない」と叫び、「もっと社会保障を」と願う。でもそれはまるで、水が溢れているバスタブに、さらに蛇口をひねるようなものだ。本当に必要なのは、「どう生きたいか」「どう死にたいか」という問いに、私たち一人ひとりが向き合うこと。そしてその答えが、国の制度を動かす力になることを信じることだ。

医療費は、もはや“神頼み”では支えきれない。「たくさんかけたから安心」ではなく、まずはこの日本のあちこちの村々に巣食う寄生虫を駆除する事から始めなければならない!寄生虫を温存する寄生虫と共生関係に有る自滅民党を壊滅する事から始めないと何もできない。そして有効な「納得できる形に変えていく」。それが、今こそこ私たちが進むべき道なのだと思う。

注:私に政治的イデオロギーも特段の政党支持も有りません。有るのは原理原則と第一原理思考のみです。念のため!!!