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近未来の夏は45℃・・を受け入れる事が出来ますか?

地球は今や「温暖化」どころか「沸騰化」のフェーズに突入したと国連事務総長が叫んでいるのに、われらが自動車政策の世界はまるで真夏の冷房病患者のように感覚が鈍っている。最新の効率比較のデータを見ると、その滑稽さが際立つ。

電気自動車(EV)の直接電動化はエネルギー効率が 77〜81%。一方で、夢と希望を背負ったはずの水素(FCEV)は 33〜42% に過ぎない。そして内燃機関に液体燃料を注ぎ込む「合成燃料(e-fuel)」に至っては、ディーゼルが 20〜22%、ガソリンなら 16〜18%。要するに、地球が焼け焦げる中で「水をバケツでかける」のと「ストローで吸って吹きかける」のと「水を氷に変えて投げつける」ぐらいの違いである。

日本やトランプアメリカの反知性主義者が主張するBEVは製造時にICE車よりCo2を出すと云う主張!バッテリー製造にCo2は出るが、この3年程度で蓄電池技術はとてつもなく進化した!激安化と高性能化と長寿命化を実現したのである。現在平均4万q以上走ればトータルCO2量はICE車より低くなる。

詳しくはグリーエネルギー比率の高い国では2万q程度、化石燃料の多い国でも8万q程度でBEVのトータルCO2排出量はICE車を逆転する。BEVの技術的伸びしろはICE車と比較にならない程大きいのでこの走行距離は年々少なくなる事も間違いない事である。そもそもモーターは長寿命!そしてBEVはドシンプルで長寿命、一番の懸念が蓄電池だが、現在でも蓄電池性能は30万qを軽く超える長寿命がある。

ところが、日本やアメリカのリーダーや大メーカーの頭の中は不思議なほどクリアだ。なぜなら、彼らの計算機には「効率」や「二酸化炭素削減効果」といった数値は入力されていない。代わりにインプットされているのは「雇用維持」「既得権益」「選挙」「株主」「業界団体からの圧力」である。だから彼らにとって、EVの81%という効率は「政治的効率が悪い」と映り、水素の33%は「まだ希望がある」と見える。e-fuelの16%に至っては「夢の技術」と呼ばれてしまうのだから、ブラックジョークを超えてホラーである。

実際、ドイツの自動車メーカーが合成燃料に執着し、日本が「水素社会」という看板を掲げ、アメリカが「ドでかく糞重く超低燃費のピックアップトラックは国民の魂だ」と叫んでいる姿は、地球が火事なのに「消火器は重いから持ちたくない」と駄々をこねる子どもそのものだ。違うのは、子どもならまだ叱れば直るが、彼らは国家予算とメディアを味方につけて自らの愚かさを正当化する点である。

効率の数字を冷静に眺めれば、地球沸騰化を止めるために選ぶべき道は明らかだ。直接電動化一択。しかし現実の政策は「選挙区に工場があるから」「自動車産業は雇用が多いから」という理由で、わざわざ効率の低い道に進んでいく。これはもはや「合理性の問題」ではなく「集団的な自傷行為」に近い。

しかも笑えるのは、効率の低い技術に投資するほど、電力需要は余計に増えるという事実だ。EVなら太陽光や風力で比較的まかなえるが、水素やe-fuelでは電力をムダに消費する。つまり、彼らが「環境のために」と言いながら推進している政策は、実際には環境負荷を増幅させている。これは「禁煙を推進します」と言いながら社員に葉巻を無料配布するようなものだ。

では、なぜこれほど非合理な選択がまかり通るのか。理由は単純で、短期的な利益と既得権益を守る方が、将来世代の生存よりも「政治的に効率が良い」からである。効率という言葉を環境から政治に置き換えると、彼らの行動は驚くほどロジカルになる。だがその結果として、子どもたちは灼熱の地球で「なぜ大人たちはわざわざ非効率な選択をしたの?」と首をかしげることになる。

結局のところ、この効率差は科学的な数字を超えて、文明のブラックジョークを突きつけている。効率77〜81%の技術を「非現実的」と退け、16〜22%の技術を「未来」と持ち上げる。我々は、数学のテストで0点を取った生徒が「答えを空欄にしたから間違いはない」と胸を張るのを見ているようなものだ。

地球沸騰化を前にして、私たちの政策は効率の数値ではなく、非効率の美学を追い求めている。笑うしかない。だが、その笑いはもはやジョークではなく、灼熱の未来からの悲鳴に近いのだ。

さらに最悪なのが日本。世界の失敗事例から学ぶどころか、まるで「日本人は他人はともかく自分自身が自ら火傷して初めて火が熱いと知る」と言わんばかりに、わざわざ他人が火傷したコンロに手を置きに行く。他者の火傷の失敗から学ばないのである。さらに愚かなのはコンロで火傷しても、コンロとは形が違うヒーターでは火傷しないと思い、またヒーターの上に手を置く!!!そんなことを過去40年余やり続けて居るのが日本のリーダーである。

直近で象徴的なのが「水素タクシー」である。フランスでは2024年のパリ・オリンピックに合わせて水素タクシー(トヨタがほぼ無料で提供)が導入された。華々しく「未来の都市交通だ!」と喧伝されたが、たった1年程度で現実に直面した。インフラ整備の難航、燃料価格の高止まり、効率の悪さ。結局、フランスはあっさりとたった1年で水素タクシーから撤退し、BEVタクシーへと転換している。合理的な判断だ。

しかし我らが東京はどうか。2025年、わざわざトヨタと組んで水素タクシーを始めるという。パリが水素で転んでいる姿を目の前で見ながら、「自分なら同じ石につまずかない」と根拠のない自信を見せる。日本のリーダーたちはどうやら「失敗は成功の母」ではなく「他人の失敗は我々の挑戦のチャンス」とでも思っているらしい。だが現実には、これはただの「学習能力の欠如」である。

数字(エビデンスデーター)を見れば一目瞭然だ。直接電動化(EV)のエネルギー効率は 77〜81%。水素は 33〜42% に過ぎない。つまり、同じ電気を100入れても、EVなら80前後が走行に使えるのに、水素では30ちょっとしか動力に変わらない。残りはどこに行くかといえば、熱やロスとして空気中に消える。まさに「もったいないお化け」が泣きそうな非効率だ。

さらに物理的限界さえも無視する・・たとえ突如天然水素が激安で噴出したとしても、水素タンク問題(超高額+デカい)は100%解決する事は無い!水素充填に莫大な電力が必要!!!これも100%解決しない。

フランスはその莫大なコスト問題の数字を現実で体感した。だからBEVに切り替えた。それなのに東京は「水素社会」というキャッチコピーに酔いしれている。トヨタは「水素こそ日本の未来」と言い続け、政治家たちは「トヨタを支えることが日本を支えることだ」とうなずく。国民は「よくわからないけどトヨタが言うなら」と納得する。こうして「社会全体で思考停止」という芸術的な集団パフォーマンスが出来上がる。

フランス人から見れば、この光景はさぞ滑稽に映るだろう。彼らは失敗から学び、次へ進んだ。日本は失敗を「見習う」のではなく「真似る」。これはまるで、友達がテストで0点を取った答案をそのまま写して「自分なら点数がつくかも」と信じる小学生のようだ。自虐的に言えば、日本は世界一「効率的に非効率を選ぶ国」なのかもしれない。

もちろん政治家には言い分がある。「水素でインフラを整備すれば将来役立つ」「雇用を守るために多様な選択肢を」と。しかし、その裏にあるのは結局「選挙区にトヨタの工場がある」「産業界からの圧力が強い」「失敗を認めると責任を問われる」という、いつもの日本的都合だ。こうして地球沸騰化よりも「空気を読む」ことが優先される。

滑稽なのは、この「空気を読む」文化が水素でも発揮されていることだ。水素は空気より軽いからすぐに逃げる。つまり、文字通り「空気を読む」どころか「空気を失う」技術だ。それを国を挙げて推進するとは、笑うしかない。

本来なら、日本はエネルギー効率で世界をリードできたはずだ。省エネ家電やハイブリッド技術で培った強みをEVに注げば、世界市場で存在感を保てた。しかし現実は「水素」は「HV」という低効率の沼に足を突っ込み、沈んでいく。その姿は「もったいない精神」を自慢してきた民族が、最ももったいない選択をしているように見える。

結局、東京の水素タクシーは未来の笑い話になるだろう。「あのとき日本は、パリの失敗を見ながら同じ穴に落ちていった」と歴史書に記される。だが日本人はそのときもきっと、「仕方ないよね、トヨタだし」「水素って響きは未来的だし」と言って、笑ってごまかすに違いない。

地球が沸騰しても、私たちの社会はぬるま湯のまま。もしかすると、これこそが本当の「日本的波風立てない持続可能性=滅亡への道」なのかもしれない。

毎日、毎日、まだまだ暑いですね!貴方は近未来の夏は45℃・・を受け入れる事が出来ますか?