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地震の発生確率は100%です。

今日から9月です。9月1日は防災の日!タワマン爆増等による環境変化に於いて首都直下地震の被害想定見直しが9月中に発表される見通しとの事。!それより先にタワマンの基礎地業強度基準”震度5強”を見直す事が一番最初にやる事ですが・・放置・・・能登半島地震の隣家飲食店を押しつぶした”五島屋のビル倒壊”と同じビル倒壊が色濃く疑われます。

「その日」が来たら、たぶん日本人の多くは生き埋め放置。―日本人の“悪慣れ”と忘却の国防ごっこ―

11年という歳月。子どもなら中学を卒業している。会社ならとっくにプロジェクトを終えている。だが、日本の南海トラフ対策は、11年経っても“ほぼ横ばい”。あ、いや、一応少しだけ前に進んだらしい。死者の想定数は32万→29.8万人に、全壊・焼失建物は238.6万棟→235万棟に「減少」。ああ、1割以下の進捗って、今の日本の“誠意の限界”なのかもしれませんね。

11年前の政府は「死者8割減、建物被害5割減」を目指していたそうですが、現実はその1割も削減できず。もし民間企業なら、プロジェクト責任者はクビです。が、ここはニッポン。サボタージュしても「誰も罰せられない」天国。むしろ、会議と資料作成で“頑張ってる風”な人が評価される世界。現場は疲弊、対策は絵に描いた餅、そして我々市民は、餅すら焼けない電気の止まった部屋で灼熱地獄の熱中症〜寒さで凍え震える未来が確実に到来します。

災害被害の経済的損失は292兆円。国家予算の2.5倍。想定の段階でこの金額です。本番が来たら、GDPも信頼も瓦礫と一緒に崩れるでしょう。しかも、これは“復興予算がある”前提での話。しかし、実際は?—現在、被災地の復興予算すらまともに確保されていないのが実情。能登半島地震の復興すら“自助”で、支援の手はなかなか届かず。日本という国は、どうやら「お見舞い申し上げます」以上の言葉と予算が出ないらしい。

インフラは“骨董品”? 耐用年数超えが半分!日本の道路・橋・上下水道など公的インフラの約50%が耐用年数を超過しており、大地震で破壊されても「財源も人手も予算も既にない」。一時しのぎの補修しか手が回らず、本格的な耐震改修や更新は後回し。まるで「全国の橋や下水道、最寄り駅のホームまでがアンティークコレクション状態」。しかし見た目は立派でも、中身はすり減ってボロボロです。

日本土木学会(「国土強靱化定量的脆弱性評価委員会」)が2025年6月に発表した最新推計によると、南海トラフ巨大地震の発災後20年間の経済被害は約1,466兆円(経済被害1,241兆円+資産被害225兆円)、首都直下地震は約1,110兆円(経済被害1,063兆円+資産被害47兆円)に上るとされています。合計すると2576兆円!・・日本の年間税収の約33倍!・・・当然被災後などに税金など激減する事も間違いない事です。

では、我々市民は何をしているのか。残念ながら、大半は「また地震の話か」と耳をふさぎ、日常へ戻っていく。備蓄?耐震化?避難経路?そんなものは“ヒマな人”の話。自分だけは無事だと信じて、今日も回転寿司で人生を回し続ける。

しかし、南海トラフ巨大地震が起これば、冬の深夜、津波と倒壊と火災の三重苦で29万人が亡くなるシナリオが現実になりうる。しかも、これは“最悪のケース”ではなく、“十分ありうるケース”。東日本大震災の直接死1万5900人の18倍。…その数字を見ても、「まぁ、何とかなるっしょ」と思えるのは、日本人のメンタルが鋼鉄というより、現実逃避のプロフェッショナルだからでしょう。

さらに、今回は「災害関連死」も初めて算出。避難所での疲労や病気などによる死者、最大5.2万人。つまり、直接死にカウントされなかった人も含めると、35万人超。これは一つの都市が消えるレベルです。けれども、国民は「慣れ」ている。地震のニュースにも、復興遅れにも、税金の使い方にも。

まるで、ゆでガエルのように。温まる鍋の中で「あったかいなあ」と言いながら、気づけば煮えたぎる湯の中で静かに息絶えていく。

防災対策は、政治家の“得点になりにくい”テーマ。地味で、即効性がなくて、リターンが選挙に直結しない。だから誰もやりたがらないし、やっても表面上だけ。そして我々市民も、それを咎めるでもなく、投票にも行かず、黙認という名の“共犯者”になる。

「天災は忘れた頃にやってくる」と言いますが、日本では「忘れるより先に無関心」が蔓延している。そして、その無関心が、災害そのものより深刻な“人災”を呼び寄せるのです。

結局、日本という国は、「起きてから考える」民族性がDNAレベルで染み付いているのでしょう。ですが、南海トラフが起きてからでは、考える時間もスペースも、もしかしたら命も、もう残っていないかもしれません。

いま私たちに必要なのは、「自分だけは大丈夫」というお花畑の妄想を脱ぎ捨てること。備えは誰かがやってくれるものではなく、自分がやるもの。

でなければ、30万人分の後悔が瓦礫の下で積み重なり、「あの時、もっとやっておけばよかった」と、誰にも聞こえない声が、地中深くに響き続けることになるでしょう。

もはや、これは国家試験ではなく、生存試験です。合格者数の定員はありません。が、不合格者の数は…もう、想像したくもありません。

それにしても真実を正しく認識し、感じて、考えて、イメージして優先順位が正しくつける事が出来ない不思議な民族、それが日本人の様ですね!貴方は大丈夫ですか?正しい優先順位の行動をしていますか?