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羊の檻から外をのぞくと・そして生贄になると、超恐ろしい国

「無実です」が通じない国、日本。〜それでも、あなたもやってない〜

日本という国の恐ろしさは、火山でも地震でも台風でもない。それらは自然災害だ。もっと恐ろしいのは、無実の人間を「犯罪者」にしてしまう社会システム――つまり「人災」だ。

今回、大川原化工機事件の冤罪!!!東京高裁は「捜査が根本的に間違っていた」と断罪した。

A 大川原冤罪事件の経過
@ 2020年3月逮捕。勾留中に胃がんが見つかったが、5度の保釈申請はいずれも却下。
A 固形物も食べられず、検査や治療も行われないまま、元顧問・相嶋静夫さんは72歳で死亡。

B 冤罪確定と謝罪
@ 2025年6月12日、冤罪が正式に確定。
A 8月25日、警視庁・東京地検幹部が遺族に謝罪。「重大な人権侵害」と認めた。

C 遺族の声と処分の軽さ
@ 妻は「謝罪は受け入れるが許すことはできない」と発言。
A 長男は「起訴した検察官らは辞職すべき」と主張。
B 関係者19人の処分は最も重くて減給10%1カ月、他は注意レベルのみで、被害の大きさに比べ極めて軽い

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250807/k10014887141000.html

要は「全部ウソでした」と国家が認めたのだ。それでも関係者は誰一人、実質的に責任を取らない。公務員の世界では「死ななきゃ反省しない、死んでも昇進コース」なのだから。

2020年3月、公安部に大川原化工機が生物兵器に転用可能な装置を不正輸出したという外為法違反容疑で社長らとともに相嶋さんは逮捕された。

代表取締役らは一貫して無罪を主張した。しかし保釈は認められず、その間に相談役は進行胃がんと診断され入院した。2021年2月5日、代表取締役と常務取締役は11か月ぶりに釈放されたが、7日に相談役は病死した(死因は胃がん)。数十回にわたり取り調べを受けた女性社員はうつ病を発症した。亡くなった相談役は、入院治療の必要があると弁護士が訴えたにもかかわらず、病気発覚以前からのものを含めれば保釈要請は計7回も認められなかった。その一方で、捜査を主導した警部および警部補は事件後に昇任した。

冤罪の被害者・相嶋静夫さんは72歳で亡くなった。がんで。勾留中に体調を崩し、ろくな治療も受けられず。起訴されなければ、彼の命は助かっていたかもしれない。だが、命よりも「捜査成果」が大切なこの国の“(間違った)正義”は、そんな事はお構いなしだった。

その事件そのものも、捜査結果も捏造された可能性が高い⇒公判では、捜査に関わった現職警察官が事件自体が捏造だと証言し、また、研究者が捜査報告書に書かれた自身の意見が実際に語ったはずの発言内容と異なっていると証言するなど、異例の展開(でっち上げ事件)となった。司法村は全部グルと思った方が良い!

もし、運悪く、貴方がいわれのない被害に合った時に・・特に重要なのは”弁護士”選びである。そして、どんな正義感溢れる善良な弁護士を選ぼうと真に貴方の味方では無い事も肝に銘じて自ら学び、自ら行動しなければならない。

そしてもう一つの共犯、それが“マスゴミ”と揶揄されるメディアだ。もちろん全部ではない。中には毎日新聞やNHKのように、この事件を地道に掘り下げ続けた報道もあった。しかし、逮捕直後には顔も知られていない被疑者の姿をテレビがバッチリ映し出していた。なぜ警察署の中にいるはずの彼の映像を、メディアが持っているのか?

その答えはシンプルだ。「警察がリークしたから」。つまり、逮捕劇は「視聴率と捜査実績」のWin-Win。報道機関は真実を追うのではなく、「警察広報部」として機能していた。

いや、正確には「警察がついたウソを、メディアが嬉々として垂れ流す」構図。これって、フェイクニュースの定義そのものじゃないのか。

日本人は優しいが、同時に残酷だ。「悪い人」と信じてしまえば、いくらでも叩ける。だが、「無実でした」と言われたとたん、今度は無関心で通り過ぎる。反省よりも“忘却”が得意なのだ。

そして何より恐ろしいのは、この構造を“受け入れてしまった”国民の心だ。権力に対して「まあしょうがないよね」と思ってしまう。その鈍麻。その慣れ。その諦め。

善悪感覚が麻痺している社会では、「まっとうな人間でいる」ことのほうがむしろリスクになる。間違っても声を上げてはいけない。正義感なんて持つと、いつか火あぶりにされるのは自分のほうなのだから。

私たちは問われている。

「次に“誰か”が冤罪で燃やされそうになったとき、あなたは水をかけるのか?それとも薪をくべるのか?」

もはや、これは警察やメディアだけの問題ではない。私たちの社会全体が、“悪に慣れてしまった”病にかかっている。そしてその病は、きっと次の相嶋さんをまた生むのだ。静かに、確実に。

全く反省もせずにシステムもカイゼンせずに、法律も全く直さず、繰り返される冤罪事件、過去の2007年公開の映画『それでもボクはやってない』は、満員電車で痴漢冤罪に巻き込まれた青年の絶望と闘いを描いた名作だった。だがあれはフィクションではない。むしろ“限りなくリアル”に近い日本社会の縮図である。

事実、映画公開後も痴漢冤罪・暴行冤罪・窃盗冤罪は定期的に発生している。しかも一度「やってない」と言い張ると、「反省していない」とされて保釈もされず、長期拘留される。まるで、「無罪主張=悪」という逆転構図。そう、日本は「黙って罪を認めたほうが楽」という、驚きの人質司法の国なのだ。

なにせ、起訴されたら99.9%が有罪。これ、裁判じゃない。「確認作業」である。犯人だと決めつけてから裁くから、裁判官は「再確認」するだけの立場。検察は絶対に間違えないという前提で動いている。そして裁判所の判決は検察官求刑の約6掛け判決がテンプレートの様に状態化している。無実の人の人生を破壊して間違えても…まあ、「残念でした」と軽く謝罪して終わりだ。

だが、その「残念」が被害者は勿論の事、その家族や縁者の多くの人の人生を破壊するのだ。

思い出してほしい。「袴田事件」では、死刑判決を受けた被告が実は無実だった。しかも証拠が警察によって捏造されていた可能性すら高い。1966年の事件で、2023年にようやく再審開始が決定。57年かけてやっと「ごめんなさい」が始まる日本司法・それでも(意図的に悪意で)間違えた人間は誰一人責任を取らない。これが現実だ。

それでも人々は平和な顔をして生きている。「日本人は優しい」「真面目で誠実」などという“表の顔”をぶら下げながら、その裏で見せるのは「見て見ぬふり」と「被害者叩き」と「空気に流される忠犬精神」「心底はど性悪の強欲の本質」だ。

冤罪が報道されたとき、ネットではよく「怪しい顔してたし」「火のないところに煙は立たない」と書き込まれる。なるほど、外見やイメージで人を裁くのが日本流「国民裁判」らしい。しかも、後に無実が証明されても、「可哀想だったね」の一言でおしまい。慰謝料?社会的名誉?人生の時間?…返ってこない。

特に恐ろしいのが、「悪意のない無関心」という冷酷さ。多くの日本人は「私は関係ない」と目を逸らす。でも関係ないどころか、次に冤罪に巻き込まれるのは、自分かもしれない。誰かが仕掛けた冤罪のロシアンルーレットに、私たちは無防備に日々座っている。

なぜこんな社会になったのか。

@ 検察と裁判所の一体化
 検察が起訴すると、裁判所は「検察が正しい」と前提に裁く。もはや“検証”ではなく“確認作業”。

A 報道機関の腐敗
 逮捕された時点で、顔写真・実名・職業・自宅情報まで一斉公開。無罪が証明されても訂正は小さく、謝罪は曖昧。・・・これは報道会社の視聴率と云う金目的や記者の所属組織のスクープと云う名声が(出世欲や金目的)目的で行われる!!!

B 警察の体質
 「ノルマ」がある以上、冤罪でも“成果”になる。都合の悪い証拠は無視し、証言は誘導して作文。自白すれば勝ち。しなければ長期拘留。・・社会の正義実現より組織の自己顕示や名声が目的化している。

C 国民の同調圧力
 声を上げる人は「変な人」「空気を読まない人」と扱われる。正しさより、場の空気が優先される社会。

こうして「善人に見せかけた組織」が、時に「悪の工場」になる。そして、「性善説を語る庶民」も、時に「加害者の共犯者」になる。表では「被害者に寄り添う社会」を装いながら、裏では「見せしめを歓迎する群衆心理」がはびこっているのだ。

そんな日本で、何が正義かと問えば、それは「空気を壊さないこと」。そして一度でも「やってません」と声を上げれば、「空気を乱す厄介者」として徹底的に潰される。善人ほど追い詰められる国。それがこの“法治国家”の正体だ。

「それでもボクはやってない」と叫ぶ勇気を持つ者が、この国では一番危ない。なぜなら、それを聞こうとする耳が、社会から失われているからだ。

私もそれなりに長い人生では、悪人に被害を受けて裁判をした経験が複数回有る。この日本と云う国の司法は・・確実に被害者救済ではない事を肌身で実感している。日本の司法を知りたければ是非次なる映画を見る事を強くお勧めする。

過去の2007年公開の映画『それでもボクはやってない』

そしてこの日本と云う国の実態(とてつもなく恐ろしい国)を良く知りたければ次なる書籍を読まれる事を強くお勧めする。「プロメテウスの罠」全9巻である。

貴方は貴方の子の幸せを本当に願っているのなら・・・この事(映画と書籍)は親として子に伝える責務がある。