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日本人は本当に幸せなのか?⇒不幸を自ら選ぶ民の不思議

悪慣れに沈む幸福後進国 ― ムヒカ氏の言葉と日本の鏡像

「貧しい人とは、持っていない人ではない。欲望に果てがなく、永遠に満たされない人のことだ。」――ホセ・ムヒカ氏の言葉は、日本社会に対する痛烈な診断書のようです。

2025年世界幸福度ランキング(ワールドハピネスリポート)で日本は55位。G7ではブッチギリの最下位。経済大国と胸を張ってきた割には、国民の心は豊かになっていない。むしろ「我慢することが美徳」とされる文化のもと、幸せを感じる感覚そのものが麻痺してしまったように思えます。

結婚しても「幸せだった」と感じながら人生を終える人は3割にも届かない!約4割は憎しみ合う、残り3割は諦める!という調査があります。日本人の多くは「まあこんなものだ」と心を抑え込み、妥協の中で幕を閉じる。結婚が幸せの象徴どころか、義務や責任の重荷として語られる国に、どれほど未来を託せるのでしょうか。

住宅にしても同じです。数千万円の住宅ローンを35年以上も背負い、見栄が目的の最悪の住宅を無学のド素人が洗脳され買わされ、夫婦で馬車馬の様に働き半生を金融機関に捧げる。ローンが終わった頃には、その意図的老朽化が仕込まれた住宅は無価値どころか、人口激減の今後は確実に”マイナス価値”となる。それでも「家族のために頑張った」と自分を納得させるのが精いっぱい。子供が成人した頃には家族の絆なんてボロボロ・・

日本では家族が居る事での幸福感より「重荷」と感じる人が多数を占める現実があります。ムヒカ氏ならその「重荷」「空虚感」「孤独」を防ぐ為に「その金で子どもの笑顔を増やしたらどうだ」と笑うかもしれません。

自動車もまた象徴的です。人生で約6000万円ものコストをかけるといわれるマイカー。保険、ガソリン、税金、車検、駐車場…。ところが実際に車を運転している時間は、人生のうちわずか5%程度。95%の時間は、ただ鉄の塊が駐車場で眠っている。これほど非合理な投資が「常識」とされ、誰も不思議に思わない。ここに「洗脳の美学」とでも呼ぶべき日本の姿が見えてきます。

ムヒカ氏は言いました。「国を治める者の生活は、その国の平均でなければならない」と。しかし日本では、政治家は庶民生活と乖離しつつ、「身を切る改革」という言葉をスローガンのように掲げながら、実際には身を切らない。国民は怒るどころか「まあ仕方ない」と受け入れる。ここに「悪慣れ」が凝縮しています。

「私たちは発展するために生まれてきたわけではない。幸せになるために地球に生まれてきたのだ」――この言葉を日本人に投げかけたら、多くは黙り込むでしょう。発展と効率と競争に追われるあまり、「幸せとは何か」を考える時間を奪われてきたのです。結婚も家も車も、「幸せのパッケージ」の洗脳道具として商業主義の仕掛ける側の強欲の為に社会に刷り込まれ、実際は”不自由の契約書”であったにもかかわらず。

日本人は「危機感がない」と言われますが、むしろ「危機に慣れすぎた」のかもしれません。少子化も財政赤字も30年前から予測されていたのに、何も変えず「まあ誰かがなんとかしてくれる」と信じて生きてきた。幸福度が低くても、結婚生活に満足できなくても、住宅ローンや車に縛られて精神が悲鳴を上げていても、「不思議だな」と立ち止まることさえしない。これを「従順」と呼ぶか「諦観」と呼ぶか。あるいは「洗脳の成功」と呼ぶべきか。

ムヒカ氏は「世界を変えることはできないが、自分自身は変えられる」と言いました。私たちがまず変えるべきは、「仕方ない」という口癖です。幸福度55位で平然としている国民が、どうして政治に怒りをぶつけられるでしょう。結婚しても家を持っても車を所有しても真の幸せを感じられないのに、なぜ制度や価値観を疑わないのでしょう。

「日本人は本当に幸せなのか?」――この問いに胸を張って「はい」と答えられる日は、遠い未来ではありません。今この瞬間に貴方が「悪慣れ」をやめ、洗脳の鎖に気づけるかどうかにかかっているのです。