悲しい事に世界中猛暑で頭をやられて反知性主義者が爆増
ポルシェを着る⇒ポルシェを着こなす!・・・”中身と外見の差を無くす!”そんな価値が評価されて居た私の若い頃を思い出す。
ポルシェを着こなせる人は・・何しても、何着ても、何を言っても・・オーラを感じる。
■サメ顔、爬虫類顔、深海魚顔の車に乗る精神年齢「12歳」のオラオラ顔大好きの幼稚なエリートたちへ
幼稚化し強欲化し品格を失った社会に、もう一度“大人=知性”の出番を問う
最近の高級車を見ると、まるでサメ顔、爬虫類顔、深海魚顔のアニメのロボットが街に飛び出してきたかのようだ。妙にギラギラしていて、意味のない無駄な線がやたらと多く、顔つきは「オラオラ」感満載。威圧感こそが正義、そんな風に見えてならない。
かつて自動車とは、文化と技術の結晶だった。1950〜1980年代のベントレーのように気品と歴史をまとうクルマは、それ自体が“走る教養”だった。けれど今では、クルマは「走る記号」「動くマウンティングツール」に成り下がってしまった。
車体に宿るべき“品格”はどこに行ってしまったのか? そして、どうしてこんなにも「わかりやすい」世界になってしまったのか?
どうやら私たちの社会は今、全体として“12歳化”しているらしい。
■文化の退行はクルマの顔に出る
クルマの顔が変わったのは、単にデザインの流行ではない。背景にあるのは、消費の「即効性」だ。今どきのマーケティングは、「3秒で目を引け」と言われる。SNSのタイムラインでスクロールされずに残るには、インパクト勝負。すると、品のある“奥ゆかしさ”などは真っ先に置き去りにされる。
これはクルマに限らない。選挙のスローガンも、CMのキャッチコピーも、果ては政治家のスーツの色まで、「わかりやすさ」こそが正義になった。だけど――それで本当に「良い社会」って言えるのだろうか?
クルマは、そもそも「移動のための道具」だったはずだ。都市と人をつなぐインフラであり、安心と信頼の象徴でもあった。だが今はどうだろう。人より目立つことが目的になり、交通より“自己演出”が優先されている。
これは車輪のついた自撮り棒だろうか?
■“新興成金”がつくる「わかりやすい世界」
かつての高級車は、文化資本をもった貴族階級が支えていた。だが今は、“お金だけは持っている”新興富裕層が中心だ。もちろん、それ自体が悪いわけではない。でも問題は、「教養というフィルターがないまま、世界の価値観を動かしている」ことにある。
「よくわからないけど、なんかすごそう」。その感覚で選ばれる商品が、街中を走り、人目を引き、次の流行を生む。それが社会全体の“成熟”を押し流していく。
これはもう、クルマの話を超えている。ファッションも、建築も、政治も、教育も…みんな少しずつ“ガンダム化”している。つまり、「わかりやすさ」と「強さ」の記号をまとえば、それが“正解”になってしまうのだ。
■「12歳の地球」に新の知性溢れる大人はいるか
日本はかつて、GHQのマッカーサーに「12歳の子ども」と評された。あれから80年。皮肉なことに、今では全世界が12歳になりつつある。成熟よりも、瞬発力。品格よりも、盛れる外見。責任よりも、承認欲求。
その結果が、世界各地で広がるポピュリズムであり、分断であり、炎上を前提としたコミュニケーションなのだろう。
社会の屋台骨を支えるはずの“エリート層”も、この12歳のテンションから逃れられない。「大人としての審美眼」よりも、「バズるかどうか」が判断軸になってしまっている。言うなれば、世界の富裕層・資産10億以上の外観大人、中身少年たちが、SNSで“いいね”を競い合っている状況だ。
彼らの乗るのが、サメ顔、爬虫類顔、深海魚顔のロボット顔のクルマであることは、もう何の不思議もない。
■“美意識”は社会のインフラである
クルマのデザインに品格が失われたのは、美意識が忘れられているからだ。そして美意識は、単なる趣味の問題ではない。それは社会を健やかに保つための“倫理”でもある。
奥ゆかしさ。控えめな表現。背景を感じさせる静けさ。こうした価値が消えていくのは、審美の退行であると同時に、倫理の退行でもあるのだ。
注:【審美】 自然や美術などのもつ本当の不変の美しさを的確に見極めること⇒ポルシェやフェラーリのデザインの根底にある価値⇒古くなっても価値が無くならない⇒時代が経過し稀少化が進めば新車の何倍もの価格で取引される。
日本車でもかつてのクルマでは、そのようなモデルも有った、トヨタ2000GTとサーフラインの初代日産GTR
かつて白洲次郎が乗っていたベントレーのように、クルマとは、乗る人の人格や社会観を表すものだった。だが今、それは単なる“わかりやすい強さ”の象徴となってしまった。
このままでは、すべてのプロダクトが“子どもの欲望”に支配され、社会全体が「12歳の自己顕示合戦」になってしまう。
■成熟を取り戻す――それは政治より深い問題かもしれない
「知性がいない社会は、崩れる」これは、成熟という概念が政治や経済以上に、文化や日常に根差していることを示している。
たかがクルマ、されどクルマ。そこに映るのは、私たちが今、どんな社会を生きているかということなのだ。
次に街で“サメ顔、爬虫類顔、深海魚顔のガンダム顔”のクルマを見かけたら、少しだけ立ち止まって考えてみたい。
■欧州車と中国車のデザインは秀逸なモノも存在する!・・Cd値を見れば容易に判別可能である。
伝統も風化しつつあるが・・”美”・・の価値は普遍で不変である。”美”を探求するデザイナーは超高額で欧州メーカーや中国メーカーに世界中からヘッドハンティングされている。
ここでも世界は2極化をし続けて居る様である。特にダントツ最悪なのは・・・マツダを除く日本車メーカーである。醜い!!!心がデザインにも出るのだろう!類は友を呼ぶ!負け組やオラオラ組の人格最低の過半の人間には醜い魂が呼び合い日本車は安さのみで売れているのだろう。
――この世界には、まだ“大人=知性”の居場所があるのだろうか?