コバンザメや寄生虫の忖度モーターチャーナリストも沈み行く寄生先から離れる決断をした様だ!
潮目が変わり始めた!日本の大メーカーのヨイショしまくりの寄生虫のモーターチャーナリスト迄!日本メーカーへの忖度が出来ない程の現実に向き合わないと・・モーターチャーナリスト自信のクビが締まる時代を自覚した様だ!
もう・・あからさまな・・嘘が付けなくなった事を自覚して・・日本車危機論を吐くようになった。
「まだ間に合う」は、もう幻想かもしれない——ゆでガエル国家・ニッポンの車づくりが迎える最終章
「中国車? まだ日本車の方が上でしょ」そう思っていたのは、ほんの数年前までの話。けれど、2025年の今、その幻想は音を立てて崩れ始めている。さらに1年後の2026年の今頃は目も当てられない(日本車の価値霧散)状態になっているだろう。
たとえば、2025年末発売予定のレクサスRZ550e F SPORT。日本が誇る高級EVで、408馬力・0→100km/h加速4.4秒・航続距離500km。お値段は約1,100万円(推定)。
対する中国のシャオミYU7 Max。690馬力・0→100km/h加速3.2秒・航続距離800km。価格は約700万円。
数字を見れば一目瞭然。馬力は約1.7倍、加速は1.3倍速く、価格は6割程度。“性能コスパ比”でいえば、シャオミ車はレクサスの約2.1倍。これが、いま世界で起きている現実だ。中国車はなぜ「こんなに安く、速く、美しい」のか?理由のひとつは、「構造」そのものの違いだ。
シャオミやファーウェイといったニューエコノミー系の中国メーカーは、ソフトウェア、ハードウェア、電池、センサー、チップ、OS…すべてを内製する。
つまり、ほぼ自社だけで完結する“垂直統合モデル”。それゆえ、設計と開発、製造と修正が超高速で回せる。エンジニアが「やりたい」と言えば、翌月には製品化。不具合があれば、翌週にはアップデート。「できるかどうか」より、「いつやるか」が基準なのだ。
対して日本車メーカーはどうか。
下請け、孫請け、ひ孫請けが重なり、「ネジ一本変えるのに3か月かかる」と揶揄される構造。やる気のある若手がいても、「会議で決まってからね」で終わる日々。未だにFAXが動き、テレワークは“例外処理”。
シャオミがスマホ開発のスピード(3カ月毎に新型⇒1年毎に全く新製品)で車を作ってるのに、日本は自動車のスピード(3年毎にマイナーチェンジ⇒7年毎に新製品)でハードウェアを作ろうとしている。搭載ソフトに至ってはニューエコノミーメーカーはOTAで2週間程度でバージョンアップ、日本車は3年毎にソフト更新)戦っているルールが違いすぎるのだ。
技術者もデータも、中国に流れていく!しかも日本では、定年で技術者が切り捨てられる。60歳で年収半減、ポストもなし、やりがいもなし。こんな制度の国で、誰が生涯エンジニアでいようと思えるだろう?
一方、中国は「あなたの知見、全部ください」と大歓迎。通訳と高待遇を用意して、ベテラン技術者を次々スカウト。その結果生まれたのが、YU7 MaxのようなハイスペックEV。つまり、自国の制度が、自国の競争力を削っている。
「ブランド」は、性能の言い訳にはならない!もちろん、レクサスには「静粛性」や「質感」、「安心」がある。だけど、YU7 Maxが2秒台でぶっ飛んでいく姿を見たとき、その差に20年以上の積み重ねがあることに気づくはずだ。
もう「ブランド力」で居座る時代じゃない。「いいものを作れば売れる」なんて、平成の幻だ。「いいけど遅い、高い、変わらない」は、もう許されない。
日本車メーカーは、変わる準備ができていないいま世界の自動車産業は、「ソフトウェアが主役」の時代に突入している。ところが、日本メーカーの中枢には「ソフトは下請け」という発想が根強く残る。AIも、自動運転も、コネクテッドも、社外に頼って開発。これでは、“変化する力”を自分で育てることができない。
皮肉な話だが、中国勢の台頭で最も浮き彫りになったのは、「日本の自動車メーカーは、自前主義のようで、実は他人頼りだった」という現実だ。
それでも、まだ間に合うかもしれない——でも急げ。救いがあるとすれば、日本にはまだ世界中に愛されるブランドがあること。品質への信頼、設計の真面目さ、地道な改善力。でも、その遺産は確実にすり減っている。
これから生き残るには、「名を捨てて実を取る」しかない。そして痛みを覚悟して時代価値のないモノを切り捨てる事が不可欠である。
・海外の優れた技術と積極的に組むこと
・プラットフォームを共通化してコストを抑えること
・社内の壁を壊して、縦割りをやめること
・若手とベテランをつなぎ、経験と挑戦を共存させること
そうしなければ、10年後、街を走るのはほとんどが“外国製の電気の箱”かもしれない。
「まだ大丈夫」と思った瞬間から、ゆでガエルは温度に慣れていく。そして気づいた時には、もう跳べない。今の私たちは、ぬるま湯の底でのんびりしてる場合じゃないのだ。