失敗を許さない日本人が政治屋の失敗ダケは延々と許す不思議
◆「反知性という国民病」——アメリカと日本、鏡に映った我が姿
「類は友を呼ぶ」とは、まさにこのことなのかもしれません。トランプ前大統領と日本の“アホノミクス”の仕掛け人たち。遠く離れた二つの国のはずなのに、その政策の中身も、支持する人々の空気感も、なぜこんなにも似てしまったのでしょうか。
アメリカではいま、トランプ氏が掲げる「大きくて美しい法案(One Big Beautiful Bill)」が成立した。中身をのぞいてみれば、「減税すれば景気がよくなって税収も増える!」という、古びた経済マジックを再演しようとしているようです。これ、どこかで見た覚えがありますよね。そう、日本です。約10年前、アホノミクスの名のもと、財政赤字を無視してばら撒き政策を繰り返し、庶民の生活はむしろ苦しくなりました。
いまや「日本人の7割が生活苦」という時代。にもかかわらず、月に2000円ほど米の値段が上がっただけで、テレビも新聞も政治家も「国難」と叫び続ける。コメ以外の食材も過去に2倍に値上がりした事など何度も有りますが・・その時は誰も何も言わず無風
まるで、“家が火事なのに冷蔵庫のアイスが溶けた”と騒いでいるようなものです。そんな小さなことばかり大声で騒ぎ、根本的な構造の問題には口をつぐむ——この国の報道のあり方にも、ちょっとした知性の不在が見え隠れします。
アメリカも事情は似ています。トランプ氏の新法案には、低所得層向けの社会保障カットや富裕層への大幅減税が含まれており、議会予算局は「今後10年で追加の財政赤字は2兆4000億ドル(約348兆円)」と警鐘を鳴らします。しかも2027年には、最下層の人々の資産が2%減る一方で、上位層は4%も増える見込み。2033年にはさらに格差が拡大する予測まで。
驚くべきことに、こうした事実を突きつけてもなお、支持率が高いという現実。「貧しくなるのが分かっていても、俺たちはあいつに託すぜ!」という態度は、もはや信仰に近い。あの世でアダム・スミスも泣いているでしょう。
日本も全く同じです、日本をとてつもなく衰退させた政治屋共を延々と選び続ける日本人が居ます。
しかし、このような“反知性”の構造は、アメリカだけの専売特許ではありません。日本も見事に共犯関係を築いています。税の仕組みも社会保障も、何が誰にとって得か損かを冷静に検討せず、「あの人が言ってるから安心」「テレビで言ってたから正しい」という思考停止の空気が蔓延しています。議論より空気、データよりムード、事実より情緒。これが、私たちの国の“国民的スタンダード”になってしまっているのかもしれません。
おかげで、年金制度も介護保険も、気づけば「制度はあるけど、誰も幸せにならないシステム」になりつつあります。みんなで少しずつ損(まとめれば大損)をしているのに、誰も声を上げない。変えようとすれば「空気を読め」とたしなめられる。これはもう、民主主義というより“空気主義”でしょうか。
アメリカには“失敗から学ぶ”という文化があります。トランプ氏も、6度倒産した後に「これはすべて学びだった」と語っています。が、その失敗を社会的責任に昇華できず、再び大統領に返り咲こうとしている姿は、「ノブレス・オブリージュ(権力者の責任)」とは真逆の“俺だけリッチ主義”に見えます。そして、それを強烈に後押ししたのが、あのイーロン・マスク氏。まさに天才の無責任運転です。
そして我が日本も、似たような構図に陥っています。財政赤字は拡大し続け、少子高齢化と労働力不足という“二重苦”は深刻化してもなお、圧倒的多くの反知性主義者を票田を気にして有権者のご機嫌をとるだけの政策が続く。まるで、沈む船の上で「今夜の宴会、刺身盛りにする?」と相談しているような状態です。
この国では、「知性」がしばしば「うざい理屈」と誤解され、「感情」が「真実」とすり替えられます。だからこそ、私たち一人ひとりが、数字と論理に向き合い、声をあげ、ムードに飲まれず、自分の頭で考えることが求められているのです。
アメリカの姿に笑っていられるのも、今のうちかもしれません。気づけば私たちは、その鏡の中にそっくりな自分を見ているのかもしれないのですから。資源が全く無い日本の悲惨度はアメリカの数倍でしょう。
まるで・・細胞のアポトーシス(apoptosis)・・集団自殺の様相ですね!地球沸騰化で確実に起きる食料不足!!!人類その物にかつての恐竜と同じように絶滅の時が到来したと考えれば合点が行きますね!