デタラメ政治を許せば、その先はデタラメ人生となる貴方が居る。
「考えることが面倒な国」のゆくえ──縮小する脳のメモ帳と日本社会の不都合な真実──
最近、「考えることをやめた人」がやたらと増えた気がしませんか?駅前の雑談、職場の会話、SNSのタイムライン。どこを切っても、まるで脳の中のメモ帳が真っ白なまま話が進んでいるような軽さ。これが現代の“標準装備”なのだとしたら、なかなかに末期的です。
そもそも「考える」という行為には、ものすごいエネルギーが必要です。とくに、自分と異なる意見をじっくり咀嚼し、良し悪しを判断するには、精神的な筋トレにも似た痛みが伴います。でも、その痛みこそが人間を成長させる唯一の道。…なのに今の日本社会はどうでしょう。ちょっとでも不快だったり複雑だったりすると、即・感情で切り捨て。反論されると即・被害者ポジションへ移動。もう、まるで思考を絶滅危惧種に追いやってるようです。
この現象の背景には、「ワーキングメモリの衰え」があると考えられています。これは一時的に情報を保持しながら処理する脳の機能。いわば、脳の“手書きメモ帳”。これが小さくなっていると、会話も議論もすぐにキャパオーバー。「え、何の話してたっけ?」となるわけです。
だからこそ、読書は最高のトレーニング。登場人物の関係を覚え、論理を追いかけ、物語を頭の中で組み立てる作業は、ワーキングメモリをフル活用する。特に小説や哲学書、科学論文のような“脳に負荷をかける本”は、知的筋トレそのもの。実際、Stanfordやリバプール大学の研究でも、読書が脳の前頭前野を活性化させることが確認されています。
でも、現代人にとっては「読書」よりも「短文と動画」が主食。X(旧Twitter)に流れる280文字も、考え抜かれた言葉と、脊髄反射のような感情垂れ流しとでは、質の差は天地です。でも、その差を感じ取れる人、今どれくらいいますかね?
そして怖いのは、この“思考スルー文化”が政治にも蔓延していることです。たとえば、政策の内容には無関心でも、「改革!」「減税!」というスローガンだけには飛びつく。財源のこと?知らんぷり。「とにかく変えてくれそうな人に1票」…いや、その“変える”の中身の実現性や財源が及ぼす長期的影響を見てから投票してほしいんですけど。
過去30余年バラまき続けた現在の日本はド衰退した結果が有り、今後その積みあがった天文学的な借金の及ぼす負の影響(未来の確実な困難)を考えれば、減税やバラマキなど出来る余裕など1oも有りません。
バラマキや減税をすれば、その負の影響は物価高や金利高で確実にばら撒いたり、減税した金額の数倍の負の影響=強烈な痛み・・が100%私たちを襲ってきます。
これは政治家の問題というより、私たち有権者の“メモ帳の小ささ”が起因とする無責任が生み出した結果ともいえます。耳ざわりのいい言葉だけを拾って、あとは思考停止。まるで、複雑なパズルを組むのを放棄して、1ピースだけ見て完成した気になってるようなもの。
しかも、嫌な情報や自分に都合の悪い話を聞くと、日本人はとにかく感情的に拒絶しがち。「そんなこと言われたら不安になる!」「データなんて信じない!」って、それ、考える前に閉じてませんか?
本来なら、そうした“不都合な真実”を一旦ワーキングメモリに乗せて、「自分の知識」と組み合わせてみることで、その影響を深く、深く、レイアー的に考え抜く事で、新たな視点が生まれるものなのに。
例えば、日本はすでにGDPの2.5倍以上という天文学的な借金を抱えています。にもかかわらず、「大丈夫、誰かがなんとかするだろう」「まぁ自分の代じゃないし」という思考停止の温床が、ポピュリズム政治を支えているのです。この国では、“未来”という言葉が、もはや他人事なのかもしれませんが加速度が付いた今の世は・・「まぁ自分の代じゃないし」は確実に自分の代に強烈な痛みとなって到来します。
「考えるのはAIに任せればいい」「情報なんてググればいい」。便利さの裏で、人間の“考える力”が急速に退化している。これ、まるで文明化したサルが、自分の脳を持て余して、スマホに脳みそを預け始めたみたいな話です。
でも、本当にそれでいいのでしょうか?
人間は「考える葦」である、とパスカルは言いました。葦のように弱くても、考えることだけは人間の特権であり、未来を切り開く唯一の武器です。
ワーキングメモリという小さなメモ帳を、少しずつでも育てていくこと。それが「考える日本」を取り戻すための、最初の一歩なのかもしれませんね!。貴方は大丈夫ですか?チャンと考え抜いていますか?