« デタラメ政治を許せば、その先はデタラメ人生となる貴方が居る。 | メイン | バグが恐ろしい! »

Negative Capability

「空気と一緒に沈む国」〜考えることが最も勇気ある行為になった日〜今の日本では、考えることが“贅沢”になりつつあります。

「難しい話は嫌い」「なんかそう思ったから」「よく分かんないけど…」――こんな言葉が堂々と歩いている社会。テレビのワイドショーもSNSのタイムラインも、断言と感情ばかりが目立ち、じっくり考える余白はどんどん消えていきます。

「自分の感覚の方が正しい」と胸を張る人が好感され、「専門家の意見は信用できない」と鼻で笑われる。この風景を前に、知性という言葉が、まるで「めんどくさい正義感」みたいに扱われてしまうのです。

でもそれは、ただ怠惰だからではありません。人は本能的に、わからないことや、答えの出ない問題に直面すると、不安になるものです。不確実性や曖昧さにじっと耐えるというのは、実はとても難しく、そして苦痛や痛みを伴う行為です。

だからこそ今、必要なのが「ネガティブ・ケイパビリティ(Negative Capability)」――答えが出ない状態に耐え、急がず、じっくりと考え抜く力なのです。

「考えない方が得」な社会のしくみ。学校では「正解を早く出せる子」が優秀とされ、会社では「上司の顔色を察する人」が評価される。意見よりも空気を読むことが求められ、議論は「生意気」とみなされる。反論は「KY(空気読めない)」の烙印。

これでは、思考力よりも“沈黙力”ばかりが鍛えられます。そしてみんなが無難な正解に乗っかることで、社会全体が「考えないこと」を前提に動いていくのです。

それはまるで、ハンドルもブレーキもない満員バスが、全員沈黙のまま高速道路を走っているようなもの。行き先は不明、でも空気が静かなら安心。それがこの国のリアルです。

専門家は煙たがられ、正論は嫌われる!勉強のできる人よりも、「うまくやってる人」が好かれる社会。専門家の発言は「偉そう」、分析は「上から目線」。一部の人にとっては、「知識」とは“階級”であり、気に入らない存在です。

SNSでは断片的な情報が感情の燃料に変わり、誰かの丁寧な説明は5秒で切り捨てられます。ゼロか100か、敵か味方か。その二極化の中で、「曖昧なグレーに留まる思考」など、評価されるわけもありません。

でも本当は――簡単に割り切れない“もやもや”の中にこそ、私たちが向き合うべき真実があるのではないでしょうか。

ネガティブ・ケイパビリティを捨てた代償!すぐに解りやすい安直な答えを求め、結論を急ぎ、不確実さに耐えられない。その結果、私たちは「考え抜く」ことを放棄してきました。

「原発再稼働? なんとなく仕方ないでしょ」
「少子化? 若い人がだらしないだけ」
「円安? 世界のせいだからしかたないよ」
「借金!何とかなるでしょ?」
「老後!年金減少!生活費?何とかなるでしょ!」

――こうした“思考の省略””目の前の欲!第一優先”が、日常会話のように飛び交う。でも本当は、そんなに単純な話ではない。ただ、その複雑さに直面すると、私たちは疲れてしまう。解ろうとすればするほど、自分の限界や不安にも直面するからです。

でも、それでもなお。その“不快な曖昧さ”の中に居続けること――それが本当の思考であり、社会を守る知性なのです。

空気に逆らう、それが最大の勇気!!!「みんなそうしてるから」「前例がないから」「空気が読めない人とは関わりたくない」――そんな言葉が、議論の芽を摘んでいく。やがて誰もが口を閉ざし、「空気だけが判断する国」になる。

でも今、この社会に本当に必要なのは、「わからないけれど、考え続ける」という姿勢です。勇気を持って黙りこまず、不安と共に生きる覚悟。これこそが、崩れゆく時代の中で、私たちが身につけるべき力です。

最後に、小さな一歩を!ネガティブ・ケイパビリティとは、弱さではありません。「答えが出ない問いに耐え続ける力」であり、「わからないことと共に考え続けて生きる勇気」です。

だからこそ、今日この瞬間にできることは、たったひとつ。

「それって、本当にそうなの?」

と、問い直してみること。エビデンス度の高い論文や書籍等をなるべく多くの考察を深堀して学びぬく事!

それは空気にささやかに逆らう行為かもしれません。でも、その一言こそ!勇気こそ!忍耐こそ!が、私たちの未来を守る“知性という防波堤”の第一歩になるのです。