貴方は本当に人間ですか?真の人間力退化して居ませんか?
「AIに職を奪われ、正論に居場所を奪われる若者たち」
世界のトップ企業のCEOたちが、口をそろえて言います。「AIが仕事をするから、人はいらない」と。
Amazonのジャシー氏は「AIエージェントが管理部門の作業を自動化する」と発言し、Metaのザッカーバーグ氏は「2026年にはコードを書く仕事の半分がAIに置き換わる」と宣言。Googleのピチャイ氏も「その分、より高度な業務に挑む」と言いますが、これは超人エリートに向けた話です。
Anthropicのアモデイ氏に至っては、「5年以内に入門レベルのホワイトカラーの半分が消える」と警告。失業率は20%になる可能性がある、と。もはやこれは警報ではなく、未来の仕様書でしょう。
その一方、日本では――「AI?まぁ、そのうち誰かがなんとかしてくれるだろう」といった空気感が漂っています。変化を見て見ぬふりすることで精神の安定を保つ、これぞ島国の伝統芸。
その中で、新卒社員はどうしているかといえば、2か月で「話が違う」と約1/3の若者が退職。退職代行なんて仕事が出来た!こんなの使う人間はもう人間として価値ゼロ以下ですね!企業は「すぐ辞める」と嘆き、若者は「育ててもらえない」と嘆く。双方が正論を言い合って、何も前に進まない社会がそこにあります。
でも、ここで忘れてはならないのは、いまの若者は「真剣に人生と向き合う機会」をほとんど与えられてこなかったということ。
学校教育では「答えのある問題」ばかりを解かされ、選択肢の中から正解を選ぶトレーニングには長けていても、「答えの出ない問いに耐える胆力」ネガティブケイパビリティ―力はまるで育っていません。
注:ネガティブケイパビリティ―⇒容易に答えの出ない事態に延々と考え続け苦痛に耐えうる能力
「なぜ働くのか」「どんな社会で生きたいのか」「自分にとっての幸せとは何か」――そうした根源的な問いに向き合う時間も場所も奪われ、「志望動機」と「自己PR」のフォーマットに自分を押し込めることが“努力”とされてきました。
そして社会の側も、そういう若者に「主体性がない」と文句を言う。子どもを泳がせずに育てておいて、いきなり海に放り投げて「なぜ泳げない」と叱るようなものです。
一方、テック企業のCEOたちはシビアです。Shopifyのリュトケ氏はこう言います。「その仕事がAIにできない理由を説明せよ」。つまり、「人間である必然性」がなければ、人はもう不要になるのです。
これは何も技術者の話ではありません。企画職も、事務職も、管理職も、「AIでは無理な理由」を自ら語れないと、生き残れない――それが現実です。
にもかかわらず、日本の企業文化は未だに「新卒は3年我慢」「人間関係が大事」といった精神論が幅をきかせ、採用は学歴でふるいにかける旧式の方式のまま。ジョブ型雇用への転換も、掛け声だけが虚しく空を切ります。
こうして若者たちは、「何がしたいのか」を問われる前に、「何ができるのか」と詰問され、結局は答えられずに逃げる――ではなく、逃げざるを得ない構造に追い込まれているのです。
AI時代において問われるのは、「自分だけの問いを持ち、それに耐え続ける力」です。なのに私たちの教育も社会も、「その苦しさ」に価値を与えようとはしてこなかった。
だからこそ今、日本社会が本当に考えるべきは、「人間をAIと区別する能力を、どう育てるか」ということです。それはテクニックでも資格でもなく、「問いを抱え続ける力」にほかなりません。
このまま、答えのある世界に閉じこもっていれば、若者はAIに職を奪われ、正論に心を削られ、自分の人生にすら居場所を見失うでしょう。
そして社会全体が、その責任を誰にも取らせずに、「なんとなく違う空気」の中で静かに沈んでいく…。
最後に残るのは、やはりこの一言かもしれません。「話が違う」――それは、若者の叫びであり、日本社会全体の告白です。延々と「話が違う」を言い続ける日本社会の未来は如何なってしまうのでしょうかね?
貴方はどう思いますか?