「想定外・禁止法」は日本の破綻を防ぐ唯一の法律
「”想定外・禁止法”のすすめ」
世の中には「想定外」という便利な言葉がある。地震が起きれば「想定外の規模でした」、大雨が降れば「想定外の降水量でした」、国の予算が膨れ上がっても「想定外のコストがかかりました」とくる。どうやら、この国では「想定外」と言えば、あらゆる失敗が帳消しになる不思議な文化があるらしい。
日本のトップリーダー層は過去30年余、「想定外の連呼=免罪符」を繰り返してきた。今の今の大阪アホ博でも「想定外」の連呼が止まらない。これを見て私は思ったのだ——日本には今こそ「想定外・禁止法」が必要ではないか、と。
もちろん、法律の名前は少々ブラックユーモアが過ぎるかもしれない。だが、この法律があれば計画を立てる人々も、事前に「想定外」を仕込まず、もう少し真剣に考えるだろう。役人たちも、政治家も、頭の中で「どうせ失敗しても想定外と言えばいいや」なんて思っているなら、それはもう逃げ道を塞いでしまおうというわけだ。
どんな計画でも「想定外」は言い訳として認められず、もし発生したら、計画した人々全員が責任を取る。それも、ただの謝罪ではなく、全財産没収の上、市中引き回しの刑。東京駅の前広場で公開ムチ打ち30発、さらに公民権停止のおまけ付きだ。
想像してほしい。高級スーツを着た役人が東京駅の真ん前でムチ打たれる光景を——いや、これが実現したら真面目に計画を練る人が増えるだろう。「あの役人、想定外をやらかして今頃東京駅でムチ打たれてるらしいよ」なんて噂が広がれば、二度と「想定外」なんて言葉は使わなくなるかもしれない。
「中学生が電卓を叩けば分かることを、東大卒のエリートが分からないはずがない」。これは真実だろう。計画段階で見えているリスクを意図的に無視し、都合の良いシナリオばかり描いているのだ。「自分たちの村だけ栄えればいい」と目先の利益に目がくらんでいるのは明白だ。大阪万博にしても、村社会のみが潤う愚行に同じことが言える。13兆円と云う巨大な予算が投入されているが、「想定外の費用でした」で済まされる未来が透けて見える。
これは役所だけの話ではない。民間企業も同じことを繰り返している。日産自動車がその典型だ。2025年3月期の決算は驚愕の▼7500億円の赤字、さらに▼9000人の人員削減を▼2万人に増やすというニュースが飛び込んできた。だが、私は半年前のセミナーで言っていた。「売上が▼4割減って何年も経過し年々減少して居るなら、▼4割の人員削減が必要だ」と。計算は単純だ。従業員13万人の4割、つまり▼5万2000人の削減が不可欠だったのだ。
実際、日産の工場稼働率はアメリカで57.7%、中国で45.3%、日本で56.7%と悲惨な状況だ。自動車業界の損益分岐点は80%と言われているのに、この有様だ。半分しか動いていない工場で利益が出るはずもない。それにトランプ関税も重なる。どう考えても、▼2万人のリストラでは足りない。さらに最低でも▼3万2000人は削減が必要だろう。
原理原則は単純だ。「伸びきったものは一度縮む」。そこから余力を蓄えて再び伸びるのが自然の摂理だ。余力がなければ復活は難しい。もし、日産がどこかに買収されたなら、リストラは容赦なく行われるだろう。「想定外」を連呼する暇もなく、半減どころか大規模な整理が行われるに違いない。
この状況下で、従業員たちは賃上げ闘争を続けている。これには驚かざるを得ない。溺れる船の上で「もっと豪華な食事をよこせ」と叫んでいるようなものだ。経営陣もまた、事前に予定通りの「想定外」を言い訳にバンザイする未来が見えてしまう。
だからこそ、私は言いたい。「想定外」を許してはならないと。中学生でも電卓を叩けば分かる計算を、「想定外」という免罪符で済ませてはいけないのだ。
「想定外・禁止法」、意外と悪くないと思いませんか?
出来ない事を出来る様にする唯一の方法は仕組み(法律)にする事⇒原理原則当たり前の事である。