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浦島太郎民族

「知性皆無のゆりかごで夢を見続ける国」

「日本人は空気を読む民族だ」とよく言われる。空気が読めなければ村八分、空気を壊せば釘抜き刑。だが最近では、その「空気」自体がずいぶん薄く、酸素濃度が足りていない、PM2.5が充満しているのではないかと思う瞬間が増えた。どうもこの国の空気は、二酸化炭素とデマと同調圧力で構成されているらしい。・・・金魚の水面、パクパク状態の様である。

たとえば最近の選挙を見てみよう。SNSで「バズった」候補が勝つ。演説の中身より、リール動画の再生数。もはや民主主義とは「ポスト真実ゲーム」であり、有権者はそのプレイヤーだ。兵庫県知事選では、45%の票で勝利した現職知事が再選された。残りの55%?まあ、いつものことだ。日本の民主主義は、過半数が黙っていることを「民意」と呼ぶことにしている。

それにしても、「ノブレス・オブリージュ」なんてフランス語を覚える前に、漢字の読み方を学んだほうがいいのではないか?「義務」を「ギィ〜ム」と読み間違え、その意味を「先送り」と解釈した政治家がいたとしても、ニュースにはならない。なぜなら義務を果たす気のない者が、真の義務の意味を知っているはずがないからだ。

地位の高い者に責任を求める文化「ノブレス・オブリージュ」がない国では、バラエティ番組で「上級国民」が自慢話を垂れ流すのが日常風景になる。フジテレビをはじめとする大手メディアでは、視聴率と引き換えに倫理や女子社員のエロスを売却中。コネ採用のパレードを「多様性」と呼び、報道番組の顔ぶれはほぼ「芸能人の親族同窓会」。ここまでくると、テレビは現代の歌舞伎だ。庶民は拍手を送り、座布団を投げる。

教育も負けてはいない。かつての日本では「読み・書き・そろばん」が重視されたが、今や「読めない・書けない・考えない」が新三種の神器だ。前川喜平氏のように警鐘を鳴らす人がいても、その声はアルゴリズムに埋もれる。だって、スマホがあれば調べ物はできるし、考えなくても誰かが答えを教えてくれる。正解を求めて思考停止、それが今の「賢さ」なのだ。

なぜこんな国になってしまったのか?答えは簡単。「考えることは疲れるから」だ。日本人の多くは、すでに30年以上、知的な省エネモードで生きている。脳のカロリー消費を抑え、反射で生きる。「みんながそうしてるから」「ネットに書いてあったから」。それが思考停止社会の魔法の呪文だ。

そもそも、日本は90年前にも「みんなが言ってたから」で戦争を始めた実績がある。相手は戦力80倍のアメリカ。じゃんけんでグーしか出さないやつが、あいこ狙いでパーの達人に挑んだようなものだ。そして当然のように負けた。理由は明白。考えるべき人が考えず、考えない人が数で押し切ったから。

それでも人々(日本人)は懲りない。今もメディアに踊らされ、SNSの流行に乗って、自分で考えた気になっている。だがそれは、回転寿司の皿を自分で選んだからといって「料理した」と勘違いするようなものだ。

「NHKから国民を守る党」なる団体も、何を守っているのかよくわからないが、選挙のたびに話題になる。あの党首の姿は、現代日本の象徴なのかもしれない。つまり「中身がなくても目立てばいい」「政策よりエンタメ」「結果より注目」。まるでTikTokが憲法になったような政治空間だ。

未来の日本はどうなるのか。おそらく「実力主義」と称して、声が大きく、金を持っていて、見た目が派手な者が勝つ社会になるだろう。そして、それを止める手段は我々には残されていない。なぜなら、それを「選んだ」のは私たち自身だからだ。

最後に一つだけ提案したい。日本の選挙には、投票用紙に「棄権したい」と書ける欄を追加してはどうか?白票より誠実な意思表示だし、何より「考えるのが面倒」という国民性を正直に反映できる。

まあ、そんな欄ができても、空欄のまま出す人が大多数だろうけど。