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いろいろな試練の克服

生きるとは・・・日々いろいろな事が起きます。良いことも・・・そして悪いことも・・・特にこの悪いことは望まないのに勝手に向こうから来る場合が多いと思います。

なぜ?望まないのに来てしまうか???普通に生きて普通に暮らせるだけで良いのになぜか?苦難が向こうから勝手に押しかけて来ます。

順風満帆な人生なんて誰一人有りません。

むしろ、人間の”欲”がこの試練を呼び寄せるのかも知れません。もちろん、欲を達成する事により良いことや、楽しい事、楽しい心の状態を創り出すことは可能です。

人はこの”楽しい心の状態”これを求める事、=生きる事(目的)  なのかも知れません。

長く生きて、そしてアクティブに生きれば生きるほど・・・慶びも沢山、沢山、経験をすることが出来ますが、その反対に苦難もそれなりに多くを経験します。そしてそれを大なり小なり克服するからこそ、年老いた”今”があるのかも知れません・・・

人は40才になったら自分の顔に責任を持て・・・アメリカの大統領リンカーンの言葉です。

顔に歴史が出てしまう現実・・・なんとも、なんとも・・・です。

この顔の存在感と申しましょうか?幸福感?と申しましょうか?俗に云う”いい顔”これが難しいのです。心の有りようが、今までの経験が全て顔に出てしまいます。

この顔を・・・別の表現をすると”人格”と云う言葉で表現する事も有ります。どこかの大会社のボンボンの様に100億円もバクチですってしまうアホタレ・・・この顔を見れば深みのある厚みの有る重厚な深さを感じる顔はしていないような気がします。

どこかの85才にもなって・・・老害をまき散らしている某大会社の会長さん、揉める内容のレベルの低さたるや・・・この人はどんな試練を乗り越えて来たのか?たまたま今までご先祖様の遺産たる運のみで生きてこれたのか?なんて思ってしまいます。

あとちょことしか生きる事が出来ないのですから少しでもご自分が生きてきた証を大切にされたらよいのになぁ〜なんて他人事ながら心配しちゃいます。

今の若い人はお気の毒です。本当にお気の毒です。戦後教育の大欠陥(マッカーサーの狙い通り)で真の自然社会の摂理を教育さて居ません。自分自身で進歩出来る、進歩していると思い込みがちです。自分は自分、他人は他人、他人がどれだけ自分よりすぐれていてもそのすぐれたる所を見習おう、教えを請おう・・・と思わないようです。

人間と云う生き物は書物では磨くことなど絶対に出来ません。人は・・・否、人の魂は自分より数倍、数百倍すぐれた人格を持つ他人の魂によってしか磨かれないのです。つまり、自分の”師”を見つけ出す能力これが致命的に欠落しています。歴史上の偉大なる人物にはどなたにも必ず”師”が居ます。師により磨かれてさらに輝ける魂の光が大きな社会貢献なり、自己実現なりを実現させて居るようです。

これが人生の一番大切な”運”です。師との出会いの運、・・・・・これが幸運ゲートのまさに入り口です。

お陰様で私にも32才で師と仰ぐ人との出会いが有りました。ありがたい事です。本当にありがたい事です。32才からの10年間は死にものぐるいで師の教えに沿うべく猛烈に勉強をしました。まさに”おっ師匠様”ハハハハァ〜〜〜〜〜”自然と頭(コウベ)が下がります。

良い悪いは別にして戦前は縦社会が今より遙かにきつかったですから”師”との出会いのチャンスも多かったかも知れません。縦社会が強ければ強いほどこの傾向は強い様に思います。

現在は損得、貧富・・・こんな価値観が社会の構成要因としてとても強いモノを発揮していますので・・・みんな勘違い人生(人格形成の怠慢)をおくってしまう・・・そんな世の中の様な気がします。(金さえ有れば皆どんな薄っぺらい人間にも頭を下げる世の中?本質を見いだせる能力が欠落?感性微弱)

あなたには慈愛を奥底に包含した”試練”を与えてくれる”師”は居ますか?