”自動車”と云う呼称は間違って居た?!やっとモノが名前と同じになる
私たちは、いつから「遅れていること」に、ここまで慣れてしまったのだろう。しかもそれを、どこか誇らしげに、あるいは諦め顔で受け入れるようになったのは、いつからだったのか。
トヨタの世界販売が過去最高の世界1位と・・誇らしげな二ユースが飛び交う!!!
そんな、販売台数には目もくれずに世界の勝ち組AI企業は、いまや年間10〜20兆円という天文学的な金額をAI開発に投じている。しかもそれは「余った利益の再投資」などという生易しい話ではない。年間利益の何倍もの金額を、未来に賭けて突っ込む覚悟だ。
勝つために、勝つことだけに集中する。そこには「今年は厳しいから来年にしよう」などという、日本的に優しい判断は存在しない。
一方で私たちの社会はどうだろう。「前例がない」「関係者の合意が必要」「今売れているのだから、このママで良いだろう」「慎重に検討を重ねる必要がある」「劇変は混乱し株価が下がる」――この5点セットを唱えているうちに、技術も市場も、気がつけば視界の彼方へ消えている。まるで、出発時間を過ぎた新幹線のホームで、丁寧に時刻表を読み直しているようなものだ。
AIの進化がもたらしているのは、単なる性能向上ではない。社会全体の価値が短時間で急速にガラガラポンと新次元に変化する事である。当然ビジネスモデルの寿命そのものが、恐ろしい速度で短くなっているという現実だ。
自動車会社が「何台売ったか」を競う時代は、すでに過去のものになりつつある。にもかかわらず、日本ではいまだに「台数」「シェア」「前年同期比」が魔法の言葉のように使われている。
勝ち組企業の多くが、垂直統合型へと舵を切った理由は明快だ。スピードとコスト、そして意思決定の速さ。これらをすべて満たすには、「誰に相談するか」よりも「誰が責任を取るか」を先に決める必要がある。
しかし、日本が誇る系列分散・多重下請け構造は、その真逆を行く。責任は分散され、意思決定は希釈され、スピードは会議資料の厚さに比例して遅くなる。
「ハードからソフトの時代へ」と言われて、すでに20年以上が経った。その間、日本は何をしてきたのだろうか。丁寧にハードを磨き続け、世界がソフトで稼ぐ姿を、礼儀正しく眺めてきた――そんな表現が一番しっくりくる。
移動の世界も、いま大きく形を変えようとしている。従来の自動車の移動コストの1/3〜1/5以下で動くAIビークルの時代が、現実味を帯びて迫っている。これは夢物語ではない。
テスラの車載AIは、現在のHW4で720TOPS。そして2027年には、すでに開発が終わっているとされ2027年にはAI5(HW5)へ進化する。この次世代AIは、単なる性能アップではない。かつてのスパコン並みの性能である。
演算能力は現在のHW4の約10倍(7,200〜8,000TOPS)。しかし本質はそこではない。推論能力は約40倍。
同じ計算量でも、40倍賢く、40倍速く判断する。人間が運転すると云う概念そのものが喪失する。
これは「エンジンが強くなった」という話ではなく、「頭の回転が別次元になった」という話だ。この進化を前に、時代の最先端を行くテスラは静かに、そして急速に、しかも大胆に方向転換を進めている。もはや目標は「車を売ること」ではない。世界最大の自律走行ネットワーク(移動の激安インフラ化)を築くこと。
車は、そのための器にすぎない。考えてみれば、自家用車という存在は不思議だ。人生で二番目に高い買い物と言われては居るが、生涯を通算すれば生涯で一番高額なお金を使う、でも1日の95%は駐車場で眠っている。稼働率5%の高級な鉄の塊。それをありがたがって年収並み〜年収の数倍の金額を出し所有し、ローンを払い、保険料を払い、高額な税金を取られ続ける。投資的にみたらとんでもない不良債権である。
冷静に見れば、なかなかのブラックジョークだ。AIロボタクシーは、この前提を根こそぎひっくり返す。稼働率が50〜70%になれば、1台が生む経済価値は自家用車の10倍以上。ここで重要なのは、台数ではなく「稼働時間」だ。
さらに恐ろしい事は、構造が単純なAI-BEVは激安製造がドンドン進み、寿命は平気でICE車の3倍〜5倍の耐用年数が可能となる。つまり、単純計算で言えば、移動媒体のクルマは現在と同じ事をする前提では1/30〜1/70の台数でも問題なく世の中は動く!
さらに恐ろしいのは、利益構造の変化である。製造業の利益率は、どれだけ頑張っても15〜25%が限界だ。
しかしソフトウェアは違う。一度作れば、2台目以降のコストはほぼゼロ。利益率80%超も現実的になる。
テスラは、車を売る会社から、「移動という行為そのものから手数料を取り続ける会社」へ変わろうとしている。その先には、車内エンタメ、広告、データ活用、さらには人型ロボットOptimusへの展開が見えている。
車もロボットも、彼らにとっては「形の違うAIエージェント」にすぎない。ここまで来ると、問いは一つだ。日本は、この変化を「知っていながら、なぜ先送りするのか」。答えはおそらく単純で、そして厳しい。危険に慣れてしまったからだ。問題が今日すぐ爆発しない限り、「まあ何とかなる」と思ってしまう。そして気づいた時には、選択肢そのものが消えている。これは悲観論ではない。ただの現実だ。
しかし、現実を直視しない楽観ほど、危険なものはない。丁寧で、真面目で、我慢強い。それは日本社会の美徳だった。だが、変化の速度が10倍、40倍になる世界では、その美徳は時に足かせになる。このまま問題先送りが状態化したまま進めば、「日本は慎重だった」のではなく、「日本は変わる勇気を持たなかった」と、静かに記録されるだけだろう。
日本国全体のさらなるド衰退を防ぐのは、もう100%無理だろう!それでもまだ、気付けし者!真の賢者には選択肢は残っている。気づいた今なら、まだ。――その「今」を、即時代に合わせて行動変容すれば、の話だが。
さて、さて、どうなるか?3年後を見てみよう・・・