「エンジン車は永遠です」と叫びながら劣後がドンドン進む
BMWはBEV車とICE車の、製造時から解体時迄の環境負荷性能に最近結論を出した、BMWによれば、欧州のエネルギーミックスで充電した場合、『iX3 50 xドライブ』のCO2換算排出量はわずか1万3360マイル(約2万1500km)の走行で同等の内燃機関車を下回るという。再生可能エネルギー由来の電力のみを使用した場合、その距離は1万875マイル(約1万7500km)になるとされている。
2〜3年前にはこの逆転値が7万q前後と言われていた事を勘案すれば、BEVの環境性能は凄い勢いで進化している!!方やICE車の燃費向上は殆どしていない現実がある。
それでも地球を破壊する「ガソリン車は永遠です」と言える勇気――環境に最悪の大排気量エンジン車を開発し、堂々と発表し2027年に発売予定と宣言する時代感の無さ、それを称賛する日本社会のほうが、もっと恐ろしい!そんな”アホボン”リーダーが日本では大絶賛されている!ふぅ〜〜〜
AI時代の到来は誰もが否定できない程に世の中に浸透しはじめている。AI時代に全く整合性の無い、ガソリン車やHV車は、機構が複雑で制御変数が多くAI自動運転とは最も相性が悪い動力システムである。
日本の大企業リーダーの発言を注意深く聞いていると、ときどき時間の流れが止まったような錯覚に陥る。
「ガソリン車はまだまだ続く」「電動化は多様な選択肢が重要だ」「我々はマルチプッツンウェーで行く」「電気自動車など(何処まで行っても)3割以上増えない」。2021年9月、この“便利な魔法の言葉”が掲げられてから、すでに4年半が経過した。
2025年6月には下請け集めて「エンジン車は永遠です」エンジン車部品開発にドンドン投資しろ“決起集会”までやってしまう不思議すぎる感性!・・以下その記事
https://newswitch.jp/p/46751
しかし、現実はどうだろう。多様な道を進むはずのマルチプッツンウェーは、いつの間にかHV一本足打法に収斂している。EVは「様子見」、ソフトウェアは「外注」、自動運転は「実証止まり」⇒「中国製の激安品を装備」。残ったのは、既存の多重下請け構造を壊さず、誰も痛みを負わないための“言葉としての戦略”だった。
Q1〜Q2論文が繰り返し示しているのは、産業転換期における最大のリスクは技術不足ではなく、組織の自己正当化だという点だ。とくに既存資産が巨大であればあるほど、人は「変わらない理由」を高度化させる。
日本の自動車産業は、その典型例になりつつある。
約29年前に発売されたHVは優れた技術だ。それ自体を否定する必要はない。しかし、それは平成時代の話である。問題は、それを「永続的な主役」と誤認した瞬間に起きる。本来は過渡期の橋であるはずの技術が、いつの間にか終点扱いされる。橋の上に家を建て、「ここが目的地です」と胸を張るようなものだ。
さらに深刻なのは、こうした時代無視のリーダーが、日本ではなぜか賞賛されてしまうことである。「現実的だ」「雇用を守っている」「日本らしい堅実さだ」。そうした評価が、変化を拒む姿勢を“徳”に変えてしまう。
ブラックジョークを言えば、日本では未来を語る人より、過去を守る人のほうが「安心できる」。過去と今を守れば未来は確実に破壊されるエビデンスが山ほど存在しているにも関わらずである。
だがAI時代において、その安心感は極めて危険だ。AGIや自動運転、ロボティクスは、忖度なく構造を壊す。多重下請けで責任を分散し、意思決定を遅らせ、全員で「検討中」に逃げるモデルは、AIにとって最も置き換えやすい。
にもかかわらず、日本のリーダーたちは言う。「急激な変化は望ましくない」。558万人の生活を守る!下請けも守る、全部守る!!!まるで変化の速度を”王たる自分”が選べる立場にいるかのように。
だが、時代は選択肢を与えてくれない。選ばないという選択は、最も確実に“負ける道”を選ぶ行為だからだ。本当に恐ろしいのは、時代を無視するリーダーそのものではない。それを「よくやっている」「現実的だ」と拍手してしまう、私たち社会の側である。
問題先送りに慣れ、悪に慣れ、違和感を感じなくなった日本。この“悪慣れ”こそが、AI時代における最大の国民的リスクなのだ。変わらないことが美徳だった時代は、もう終わった。それでもなお、「ガソリン車は永遠です」と言える勇気を称賛するなら、その代償を支払うのは、次の世代ではなく、今を生きる私たち自身なのである。
マルチプッツンウェーは、今現在それを必要としている市場でのリープフロッグが起きる事が確実である。いきなり需要が”プッツン”と消える現実を理解して居ない。近代史は、このリープフロッグが多発している現実を無視している。
さらに恐ろしいのはこのマルチプッツンウェー戦略はもっと大事な時代価値を失う可能性が高いと云う目の前の現実である。つまりAI-BEV開発はAIヒューマノイド開発と同じ線状(ほぼ同じ技術)に並んでいる革新的な技術で有る事実を無視している事だからである。
AI自動運転のBEVロボタクシーの頭脳は、そのまま人型ロボットに転用できる。問題は「AIが怖いこと」ではない問題は「分かっているのに、何もしない私たち」である
AIの進化は、もはや直線ではない。2026年末にはエマージェント・アビリティ(想定外の能力の自発的発現)を越え、2027〜28年にAGI、2030年前後にはASIという言葉が、研究室ではなく日常会話に登場する可能性が高い――これはSFではなく、Q1論文が淡々と示す「確率論的な未来」だ。
そう考えれば、自動車という「ハードの価値」が主役でいられる時間は、あと5〜10年もない。ぼんぼん語で言えば、”クルマ屋”の寿命はあと5〜10年もない。冷静に考えれば分かる話なのに、日本ではなぜかこの話題になると空気が重くなる。まるで「聞かなかったこと」にすれば、時が止り未来が延期されると信じているかのようだ。
AI自動運転のロボタクシーの頭脳は、そのまま人型ロボットに転用できる。実際、これは理論ではなく実装の話である。視覚認識、空間把握、行動計画、自己修正――四輪か二足かの違いは、論文的には「出力形式の差」にすぎない。
2026年中頃より、AIロボタクシーやサイバーキャブの販売に向けた量産が始まる。そして同じ年、テスラの人型ロボット「オプティマス」は、ぎこちないデモ用人形から、「普通に働く存在」へと進化する。時速8kmで歩き、小走りし、会話し、人並みの指先で作業をこなす。中国企業もまた、驚くほど静かに、安価で高性能な人型ロボットを量産し始め、既に製造現場に実装されている。
バンク・オブ・アメリカは、2060年の人型ロボット保有台数を30億台と推計した。これは人類一人あたり0.3台。ちなみに現在の乗用車は約0.2台である。つまり将来、「クルマよりロボットのほうが身近」になるという、ごく控えめな予測だ。
当然の事だが2030〜2035年頃のAI自動運転のロボタクシーの稼働率は、5%しか無い現在のクルマの10〜15倍程度迄高まる可能性が高いし、インフラ化して、製造革命も起き激安化もするだろう!広告媒体と組めば無料化も実現可能である。・・その時の人類一人あたりロボタクシーは0.02台でも全く問題ない社会が実現する。クルマ産業は人型ロボット産業の1/15程度迄縮小する事になる。
当然の事だが物流もAI自動運転のロボトラック(大)とラストワンマイルの小型ロボカー(小)になる事も間違いない!この大から小への積み替えも自動化される。なぜか?コスト効率は人件費が一番高いからである。この実現は2035年前後には実現しているだろう。
ここで日本人の本当の問題が浮かび上がる。それはAIでもロボットでもない。日本社会の最大のリスクは、「分かっているのに、動かないこと」だ。
AIが仕事を奪う、という話は何年も前からされてきた。自動運転で物流が変わる、ホワイトカラーが減る、介護や製造が置き換わる――全部知っている。それでも私たちは、「前例がない」「責任が重い」「まずは検討」という呪文を唱え続けてきた。
その結果、日本は「何もしないことに最適化された社会」になった。問題を先送りする能力だけが、異様に高い国になった。ブラックジョークを言えば、日本では「真実を語り危機感を持つ人」が空気を乱すと、嫌われ「何もしない人」が大人として評価される。
しかしAI時代は、その優しさを許してくれない。ロボットは忖度しないし、AGIは空気を読まない。ただ淡々と、効率の悪い構造を置き換えていく。
このまま問題先送りが“状態化”した日本では、正直に言って、危険すぎる。それは誰かに奪われる未来ではない。私たち自身が、「まあいいか」と言い続けた末に、静かに差し出す未来だ。
怖いのはAIではない。怖いのは、「変わらないことに慣れてしまった私たち自身」なのですね・・貴方はどう感じ、どう未来をイメージしますか?。