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日本のオールドメディアは日本を、また破壊に導く!

メディア別の広告費のシェア変遷が語る、日本の新聞・テレビ・雑誌と云うオールドメディアの「自滅史」は、「日本民族の自滅史」と重なる!

1985年から2024年までの広告費の推移を眺めていると、日本のメディア史はとても愚かだな、と思わされます。そこには陰謀も、急激な革命もありません。ただ、「誰を見て仕事をしてきたのか」という問いへの答えが、静かに数字になっているだけです。まさに、メディア当事者の自滅の道が現れているダケです。

同様に「誰を見て仕事(政治)をしてきたのか」
同様に「誰を見て仕事(経営)をしてきたのか」・・と云う日本人の不思議行動が浮かび上がります。

かつてテレビは王様でした。1980年代後半から90年代にかけて、テレビ広告費は右肩上がりで伸び続け、2000年前後には約2兆円規模に達します。情報も娯楽も価値観も、夜のリビングに置かれた四角い箱から全国一律に配信されていました。

広告主にとって、これほど都合の良い装置はありません。内容が多少薄くても、「みんなが見ている」という安心感が何よりの価値だったのです。幼稚な広告も何度も何度も垂れ流す事で、これまた幼稚な国民は簡単に洗脳可能でしした。この洗脳と云う常識を作り、アホ国民から簡単に人生全てを上級国民は搾取出来たのです。

ところが2000年代半ばを境に、その王様は静かに老いていきます。広告費は、じわじわと下がり続け、2024年には1.6兆円前後(2割減)。この“ゆっくりした衰退”こそが象徴的です。そして、それを2割減を維持するために低劣な広告の数をドンドン増やし続けて、今は広告の間に番組があるかの様な状態です。テレビは突然嫌われたのではありません。視聴者も広告主も、何も言わずに、価値の無いモノに、そっと距離を取っただけなのです。

私自身もテレビの発明や普及と共に成長してきた人生ですが・・今はテレビの価値はほぼゼロであり、弊害の方が遥かに大きいと感じています。

新聞も似た道を歩きました。1990年代初頭に約1.3兆円あった新聞広告費は、今や3,000〜4,000億円規模。紙面の半分近くが広告やタイアップ記事で埋まり、まるで有料チラシの状態です。極少の記事の多くはネットニュースの焼き直し。独自取材や検証記事は、希少動物のような存在になりました。

さらに、データーが古すぎる事も鼻に尽きます。2年前、3年前のデーターを示して論説する事も有ります。いくら何でもネット時代、半年ひと昔の時代にはやってはならない事です。また、明らか過ぎる誤報も時折見かけます。私がわざわざ電話をして本社担当に指摘をすると、正誤を検証する暇もなく・・「嫌ならやめろ」・・と通告されました。

親切心を「嫌ならやめろ」の言葉で返す記事担当者は「誰を見て仕事をしてきたのか」の答えがこの言葉に明確に現れています。

かつて「最も信頼される情報源」だった新聞は、ネット時代に「昨日の情報を、今日の朝に紙で読む」という行為の意味を問い直すことより、部数維持と既存読者への配慮を優先しました。その結果、新聞は「読む人のためのメディア」ではなく、「読まれなくなっていく過程を記録するメディア」になってしまったのです。

雑誌はさらに正直でした。1990年代後半に5,000億円弱あった広告費は、ネット普及とともに急減。紙であること、編集に時間がかかること、即時性がないこと。弱点がそのまま数字に反映されました。雑誌が最初に沈んだのは、市場が冷酷だったからではありません。時代が変わったことを、誰よりも早く突きつけられただけでした。

ラジオは今も細く長く生きています。広告費は約1,000億円前後で安定。特定層には深く刺さるものの、社会全体を動かす力は持たない。数字は感情を挟まず、淡々とその立ち位置を示しています。

そして、すべてを吸い込んだのがインターネットでした。2005年以降、広告費は急増し、2024年には3.5兆円超。そしてこの広告費の利益の殆どは外資に帰属します。これは単なる新技術の勝利ではありません。広告主が求めたのは、効果が測れ、ターゲットを絞れ、何より「忖度しなくていい場所」でした。

それぞれのメディアの広告費の変化が示しているのは、「ネットが強くなった物語」ではありません。「旧来メディアが、信頼を失っていった過程」です。スポンサーに遠慮し、忖度しまくり、権力におもねり、近づき、真に価値ある真実を伝えずに、視聴者を置き去りにし、説明責任を後回しにした。その積み重ねが、広告費として返ってきただけでした。

本来、放送法は広告主のために書かれていません。顧客は、視聴する国民であり、購読する公民です。ところがいつの間にか、日本のメディアは顧客を取り違えました。言うべきことを言わなくなり、「中立」という名の沈黙を選ぶようになったのです。

著書『メディアは日本を戦争に導いた』が教えるのは、メディアは命令よりも「空気」に弱い、という事実でした。今の日本の空気は、「面倒なことを言わないこと」が善とされる空気です。そして私たちもまた、それをどこかで歓迎してきました。

メディアの劣化は、社会の劣化でもあります。それを許してきたのは、他ならぬ私たち自身です。そろそろ、その事実を直視する時期に来ているのですが、日本人は日本人自ら過ちを正した歴史が全く存在していないのです。

もちろん、個人、個人では反省もしたり、過ちを正す事は有るでしょうが、集団となるとその過ちを自ら正した歴史は日本民族には、ただの1度も無いのですね。

貴方は「誰を見て仕事(多くの行動)をしてきたのか」今一度、ご自身で考えて見てくださいね!

そして、貴方自身も日本の近代史をしっかりと検証して見てくださいね・・私の論説が理解出来ると思いますよ!

まぁ〜今の所は、パレスチナ人やウクライナ人、ロシア人に生まれなかったダケでも良しとしましょうかね!100年前に生まれた日本人はパレスチナ人やロシア人より過酷だった訳ですから・・まぁ〜ラッキーとしましょう。この先は下り坂(自滅の坂)しか有りませんが・・・ふぅ〜〜〜