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原理原則・正しいデーター、第一原理思考⇒正しい未来が見える!

間違いを認めない国で、私たちは何に慣れてしまったのか

――アベノミクス理論撤退が照らした、日本社会の静かな危険――

日本という国は、どうやら「間違え続ける才能」だけは世界トップクラスらしい。しかも厄介なことに、その間違いを間違いだと認めない能力までセットで備えている。これはもはや文化であり、制度であり、私たち自身の生活習慣病のようなものだ。

アベノミクスは、その象徴だった。・・この証明に複雑なデーターや解析など必要ない!目の前を見るダケで証明できる。

その帰結が、国民の6割超が生活苦を訴える社会である。これは偶然ではない。アホノミクスの間違いとの因果関係は極めて明瞭だ。

誤った理論 → 誤った政策 → 世界で唯一!実体経済の弱体化 → 国民生活の圧迫

大胆な金融緩和、機動的な財政政策、成長戦略――聞こえは勇ましく、スローガンは簡潔、説明はいつも「理論的・数学的に証明されている」。だが、Q1〜Q2の実証研究が一貫して示してきたのは、先進国における大規模金融緩和が、実体経済や賃金、持続的なインフレに与える影響は極めて限定的だという冷たい現実だった。

過ったアホノミクスに経済的正当性を与えてしまった浜田氏は、理論と現実の距離を強引に無視し、政治に深くコミットした。そして、その危うさに最も早く気づいていたのが、皮肉にも浜田氏自身の教え子たちだった。

浜田氏の弟子たちは、師が学者として越えてはならない一線――「理論を、政治権力の正当化装置に変えてしまうこと」を踏み越えつつあることを理解し必死に浜田氏を諫めようと努力していた。

そしてついに、明らか過ぎる目の前の現実に、浜田宏一氏自身が「デフレは単なるマネタリーな現象ではなかった」と認める局面が訪れた。学者として誤りを認めること自体は、本来ならば賞賛されるべき行為である。科学とは、訂正され続ける営みだからだ。・・・

しかし、日本は再生不能状態にまで、中身は衰退し、痛み、モラルは破壊された。1人の学者の間違いの付けは・・日本経済を破壊する程に巨大だった!そして、今後数千万人の若者と、生まれ来るであろ数千万人の幼子の未来を破壊した。

だが、日本の最も深刻な問題はそこから先にある。政治は一切、訂正しない。

理論が崩れても、政策は止まらない。日銀は膨大な国債を抱え込み、正常化に向かう為に金利を適正化すれば、日銀は抱え込んだ日本国債が暴落し債務超過となり、現状を維持しようとしても、円安物価高となりA本国民の生活苦はさらに増す。右翼おばさんのジャブジャブバラマキにすれば・・日本の財政不安で格付けが下がり、債券は売り込まれて、金利高騰、不景気のスタグフレーションの危機が増す。

進も地獄、戻るも地獄、現状維持もやがて確実に地獄となる。八方ふさがり状態が今の日本の正しい健康診断の評価である。

数字ダケを見れば、年金資産はリスク資産へと大きく舵を切り、株価は上がった。確かに「数字」は美しかった。だが、その副作用――将来世代へのリスク移転、財政と金融の癒着、出口なき政策依存――について、誰が説明し、誰が責任を取っただろうか。

答えは簡単だ。
誰も取らない。

・政治家は言う。「当時としては最善だった」
・学者は言う。 「外的要因が想定外だった」
・官僚は言う。 「決定権は政治にある」
・マスコミは言う「評価は専門家に委ねたい」

こうして責任は霧散し、残るのは莫大な通常返済は不可能な負債だけ。ハイパーインフレでしか返済(借金価値の激減)は不能である。しかもその負債を背負うのは、政策決定に関与していない若い世代である。これは経済政策というより、時間差で行われる生活破壊が現実となるド深刻な課税に近い。

数理モデルは美しい。だが現実は、いつも泥臭い。Q1論文が繰り返し指摘するように、経済は非線形で、制度・文化・期待・人口動態に強く依存する。にもかかわらず、日本の政策現場では「モデルで証明された」という言葉が、思考停止の免罪符として使われ続けてきた。

そして、もう一つ深刻なのは、私たち国民の側である。間違いが訂正されなくても、抗議しない。
検証がなくても、忘れる。昨日と同じ説明を、今日も聞いて安心する。

いつの間にか私たちは、
・「おかしいけど仕方ない」
・「難しい話だから任せる」
・「どうせ変わらない」
という言葉に慣れてしまった。

だが、Q2レベルの政治経済学が警告するのはここだ。誤りを修正しない社会は、必ず同じ失敗を拡大再生産する。それは突然の崩壊ではない。ゆっくりと、静かに、しかし確実に進む劣化である。

この国が本当に危険なのは、失敗したことではない。
・失敗を検証しないこと。
・失敗を語らないこと。
・そして失敗に慣れてしまったことだ。

アベノミクスの理論撤退は、単なる経済政策の一章ではない。それは、「間違いを認めない政治」と「それを許容してきた社会」への、最後の警告かもしれない。

問題を先送りし、悪に慣れ、責任をぼかす。この心地よい無責任のぬるま湯から出ない限り、日本はまた、同じ間違いを、より大きな規模で繰り返すだろう。

そしてその請求書は、いつも未来に回される。

――私たちが、その未来でないと、誰が言えるだろうか。今の日本国、日本社会はギリギリで借金を積み上げながら維持出来て居る。少しの外的、内的要因で簡単に崩れ落ちる事など明確に基礎データー数値が示している。

あなたもご自身せ検証しましょう!正しい立ち位置を獲得しないと未来など見えるハズは有りませんからね!