世界最大の見本市「CES 2026」に出せる技術が無い!
世界最大の見本市に、出せるものがない国・・・恐ろしい程に技術力が劣化した日本!
世界最大の見本市「CES 2026」。そこに、日本の自動車メーカーの名前は一社もありません。日本を代表する様な大企業名は「ソニー・ホンダ」ダケ、しかもこの技術(商品力)は恥ずかしい程時代遅れ。日本企業の欠席はボイコットでも、謙虚さでもなく、もっと静かで、もっと深刻な理由による欠席です。「出せる技術がない」――それだけです。
CESはもはや「クルマを並べる場所」ではありません。Q1〜Q2論文でも繰り返し示されてきたように、産業の価値の重心は「モノ」から「知能」へ、「製造」から「学習」へと移動しました。車体は沈黙し、ソフトウェアが語り、AIが意思決定を行う。CESとは、その”知能たちの社交場”です。
時代に価値有る「知能」を持てていない日本の大企業は恥ずかしくて参加など出来ない状態なのです。
BMW、現代自動車、ソニー・ホンダ。彼らが展示しているのはEVではありますが、主役は車(ハード)ではありません。AI、ロボティクス、空間制御、都市OS。クルマはもはや「応用例のひとつ」に過ぎず、企業の価値は“何を作るか”ではなく“何を考えられるか”で測られているのです。
一方、日本の自動車メーカーはどうでしょう。収益の中心はいまだに「何台売ったか」。電子技術やソフトウェアは、車体の中にきれいに折り畳まれ、「独立事業」にはなっていません。CESに出たところで語るべき未来像がなく、投資対効果を計算すると電卓が黙り込む。結果、最も合理的な判断として“不参加”が選ばれる――実に日本的です。
半導体やソフトウェア分野の利益率が平均6%前後を維持している理由も、論文では明快です。差別化は「工程」ではなく「知識」に宿るから。かつて部品を買い叩いていた完成車メーカーは、今や「その技を持つ企業に選んでもらう側」へと立場が逆転しました。値下げ交渉の名人だったはずが、気づけば“お願い係”です。
問題は企業だけではありません。私たち日本社会全体が、この変化に「悪慣れ」してしまったことです。先送り、現状維持、前例踏襲。危機が来ても「まあ、すぐには困らない」で済ませる集団的安心感。Q1論文が指摘する「組織的学習の停止状態」に、私たちはぴったり当てはまります。
世界では、クルマ(ビークル)はデータを生み、学習し、価値を更新し続ける存在になりました。一方、日本ではいまだに「いいクルマを作れば売れるはずだ」という、昭和の呪文が効力を保っています。効いているのは、現実ではなく、心に、ですが。
CESへの出展とは、技術自慢ではありません。「私たちは社会で何者なのか」を示す行為です。出せないという事実は、その問いにまだ答えを持っていないという告白に等しい。
このまま問題先送りが常態化し、悪を許容し、変わらないことに安堵する日本であっていいのでしょうか。世界最大の見本市に立てないという現実は、実は私たち自身が、未来社会への出展資格を失いつつあることの写し鏡なのかもしれません。
AI-E2E自動運転技術と同じ延長戦上に有る人型AIロボが歩き回るCESと、立ち尽くす日本人
CESの会場を見てみると、少し不思議な感覚に襲われるとの事。人型ロボが歩き、殴り、運び、考え始めているのに、肝心の人間――とくに日本人の姿が、どこか見えないのだ。
Northホールでは中国製の人型ロボが文字通り“群れ”を成していた。1体300万円前後という価格で高度な姿勢制御を実現し、殴られても立ち上がる。遠隔操作であれ、動作がパターン化されていようと、重要なのはそこではない。「まず作る」「まず並べる」「まず量を出す」。
Q1論文で繰り返し示されてきたAI進化は“学習データ量と実機反復が性能を決める”という当たり前の事実を、中国は疑わずに実行しているだけだ。
一方、日本はどうか。ロボット大国と呼ばれ、二足歩行の先駆者だったはずなのに、CESではほぼ姿がない。まるで「完成度が高まるまで出さない」という美徳が、そのまま蒸発してしまったかのようだ。
論文では“遅延は指数関数的に不利になる”と何度も警告されているのに、現実の日本社会は「もう少し様子を見よう」という会議を、今日も完璧にこなしている。
韓国は違った。LGは家庭内フィジカルAIを真正面から描き、Neura Roboticsは産業と家庭の両立を見据え、HyundaiはBoston Dynamicsという“本物”を抱え込んだ。Atlasの動きは、人間の模倣を超え、「人間にはできない効率」を堂々と見せつける。
これはQ1論文で語られてきた“human-likeからpost-human motionへ”という流れを、実機で証明した瞬間だった。
対して、日本はどうだろう。人型ロボの社会実装が語られるたびに、「安全性」「倫理」「前例」が前に出る。もちろん大切だ。だが、その議論をしている間に、世界は何万回ものシミュレーションを回し、何百体もの実機を壊しながら学習している。
問題は技術ではない。問題は「先送りが常態化した社会構造」そのものだ。失敗しないことが美徳になり、失敗を許さない空気が、結果として最大の失敗を量産している。これはロボットの話ではない。人間社会の話だ。
AI型人型ロボットが日本に根付かない理由は単純だ。日本社会そのものが、すでに“ルーチン作業しか出来ない役立たずのロボット”になっているからだ。決められた手順だけを守り、想定外にはフリーズし、責任が来そうになると電源が落ちる。しかも本人たちは、それを「安定稼働」と信じている。
Q2論文では、技術競争において最も危険なのは「能力不足」ではなく「現状肯定」だと繰り返し指摘されている。悪に慣れ、無駄に慣れ、非合理を許容する社会は、外から見るととても“静かに崩れている”。
人型ロボは、労働力の代替ではない。それは「社会が変われるかどうか」を映す鏡だ。CESの会場で歩いていたのはAI人型ロボットだったが、立ち止まり思考停止していたのは、私たち”日本は凄い”教に洗脳された日本人自身だったのかもしれない。
”トヨトミは凄い”教に洗脳され”右翼おばさんは凄い”に洗脳され、カルト教団旧統一教会に洗脳された世界で唯一の民族!日本人ダケの事は有りますね!
このまま問題を先送りし続ければ、日本はロボットに仕事を奪われる前に、未来そのものを置き去りにされる。それは決してSFではない。すでに、静かに始まっている現実なのだ。
貴方は目の前の現実を認める能力は有りますか?そしてエビデンスに基づいて考える脳力は有りますか?