自工会が掲げた以下の「新7つの課題」と時代認識の乖離
2026年1月、自工会が掲げた以下の「新7つの課題」は、一見するととても立派です。
日本車の生存をかけた「新7つの課題」
@重要資源・部品の安全保障:災害や地政学リスクを前提としたBCP構築
Aマルチパスウェイの社会実装:2050年CN(カーボンニュートラル)に向け、BEV・CN燃料車・FCEVを併走
注:マルチパスウェイの社会実装では、2050年CN(カーボンニュートラル)には100%実現不可能!
BCE(循環型経済):電池・樹脂を回し切る資源循環モデル
C人材基盤強化:開発・生産・販売を支える人材の継続確保
D自動運転前提の交通社会:車・人・インフラの三位一体設計
E自動車税制改革:簡素で納得感ある負担体系へ
Fサプライチェーン競争力:電動化・知能化に耐える再構築
BCP、サプライチェーン、国際連携、税制改革。どれも大切で、どれも正しい。まるで健康診断の結果表のように、「ごもっとも」な項目が美しく並んでいます。
ただ、その診断書をよく読むと、なぜか一番重い病名が書かれていない。世界の論文が十年以上前から「産業の勝敗を分ける」と警告してきた、フィジカルAIによる大変化、AIロボタクシー、AI実装のヒューマノイド、BEVの環境性能競争、蓄電池技術─世界の勝ち組ではこれらが急速に拡大している!─それらが、ほとんど言葉として「新7つの課題」には登場しないのです。
Q1論文では繰り返し示されています。「技術転換はS字カーブで進み、立ち上がりに遅れた産業は、努力とは無関係に市場を失う」。別の論文ではこう言います。「制度設計の遅延は、技術開発の失敗よりも高くつく」。
それでも日本は、今日も真面目に会議を重ねます。“自動運転を前提とした交通社会”という言葉はあるのに、AIがどう学習し、誰がデータを持ち、どこで走らせるのかは、やさしく霧の中。まるで「泳げる社会をつくります」と言いながら、プールの水を入れる話を誰もしないようなものです。
ロボタクシーについても同じです。海外では「運転手不足の解決」「高齢者の移動手段」「都市効率化」を同時に解く存在として、すでに社会実装フェーズに入っています。一方日本では、「安全性の議論が必要」「社会受容性が大切」と、正論を盾に、今日も時間だけが丁寧に消費されます。
Q2論文が皮肉を込めて指摘しています。「社会受容性とは、成功例が十分に示された後で、突然高まる性質を持つ」。つまり、やってみない国ほど、“受容されない”と言い続けるのです。
BEVと蓄電池も同様です。世界では電池が“部品”から“産業の心臓”に変わりました。環境性能、コスト、供給安定性、すべてが電池で決まる時代です。それなのに私たちは、「マルチパスウェイ」という便利な言葉で、選ばない自由を選び続けています。
これは多様性ではなく、決断回避の高度化です。論文用語で言えば「組織的先送りバイアス」。
日本語に訳すと、「そのうち誰かが何とかする症候群」。
そして最も厄介なのは、この状態に私たち自身が、もう慣れてしまっていることです。危機は常に「将来」にあり、責任は常に「前例」にある。悪いことが起きない限り、悪くないと判断してしまう。これをQ1論文は、静かに、しかし冷酷にこう呼びます。「緩慢な失敗」。
自工会の「新7つの課題」は、確実に変化する未来を無視すばの前提では決して間違っていません。しかし、日本社会の時代に劣後して変わる事を拒絶する者には、優しさと誠実さが凝縮されています。人類の過去の歴史上最もドラスティックに激変不可避の時代だからこそ、危うい。優しさだけでは、AIは走らず、ロボタクシーは動かず、蓄電池は育たない。
問題先送りが“文化”になり、悪慣れが“安定”と誤解される国で、世界だけが次のフェーズへ進んでいく。
このエッセイが、「また難しいことを言っているな」で終わらず、「もしかして、もう危ないのでは」と、
ほんの少し胸に残るなら──それだけでも、先送りの歯車を、ほんの1ミリだけ、止められるかもしれません。
日本は、真面目で、我慢強く、そして遅い。でも、遅さに慣れてしまった瞬間、それは美徳ではなく、リスクになります。
貴方は2026年1月、自工会が掲げた以下の「新7つの課題」は正しいと思いますか?