自滅政治屋ばかりの悲しき衰退国
税金60兆円ぶち込んでも消えゆく農山漁村——「立派な日本の伝統」に抱きつくだけの私たちの物語
「人間にとって最も大切なものは何か?」哲学者も詩人も長年考えてきましたが、彼らが忘れがちな答えがあります。哲学者も詩人も挙げる言葉は美しいですが、現実はもっとシンプルです。いのちを支えるのは”食べ物”です。
人間は@食う A寝る B遊ぶ・・この3つが不可欠な生き物なのですね!
日本は農地に恵まれ、海に囲まれ、山と川が豊かな国です。なのに、食料の自給力は長年低迷。2023年度のカロリーベース食料自給率は38%で、国民が必要とする食料のうち約60%を輸入に頼っています。 米だけはほぼ100%自給ですが、小麦は自給率8%、豆類は 8%以下 といった有様。
つまり、私たちが日々口にする多くの食材が海外なしには成立しない国に、いつの間にかなっているのです。
衣食住のうち、一番先に困るのは「食」。命の根幹を支えるインフラ。それなのに、日本はこの基本インフラに、まるでエンタメ番組の演出予算のように、巨大な政治的ドラマと予算投入を重ねてきました。
過去30年で日本政府は農業・農村政策に巨額の税金を注ぎ込みました。それは額にすると数十兆円にのぼると専門家も試算しています。いわく、「農業を守り、国の食料安全保障を確立するための不可欠な投資だ」と。しかし現実はどうでしょう?
農業従事者は激減し、平均年齢は70歳近く。新規就農のハードルは高く、青年が農業を夢見る姿は、まるでブリを食べながら「魚ってどうやって泳ぐんですか?」と聞くようなものです。
農業に費やされた税金は、どこかのファンタジー映画の特殊効果予算のように、「出てきた! でもこれは幻か?」という状態です。OECDの分析によれば、日本の農業支援は20年前の総収入の60%から32%まで減少したとはいえ、依然として高い保護率で市場価格より高い価格が維持されています。にもかかわらず、農業生産量は伸び悩み、国内供給力は低迷したままです。農業は産業どころか”業”としても成立しないのです。
一体、なぜでしょうか。原因は単一ではありませんが、制度疲労、補助金の不適切なインセンティブ設計、農地利用の制約、そして政治の優先順位のミスマッチが重なっています。農家を保護する補助金が逆に新規参入を阻み、効率化や市場志向を妨げているという指摘すらあります。
60兆円という巨費を投じても、農業の体質は変わらず、農地は減少し、農業者は高齢化し、食料自給率も横ばいか低下。この現象は、まるで「栄養ドリンクを飲み続けても、寝ずに仕事すれば体力が回復しない」ことと同じです。薬を飲むだけで病気が治るなら、病院は空っぽでしょう。
そして漁業。漁業もまた、日本の「豊かな海と文化」の象徴として政治的に守られてきました。漁業者には漁業権が与えられ、補助金も投入されてきましたが、産業としては衰退の一途をたどっています。
世界の漁業生産が過去最多を更新する一方で、日本の漁業はジリ貧状態。ただ、天然魚介類の生産は、内外ともに決して好調というわけではない。FAOの近年の報告によれば、世界の水産資源の35%が過剰に漁獲されており、持続可能な漁業資源の利用が求められている。
2024年度の水産物自給率は過去最低の52%。「魚の国」と自称しながら、魚を輸入に頼る割合は増えるばかりです。このギャップは、世界で養殖が伸び続ける一方で、日本では天然志向と飼料・流通コストの壁に阻まれていることを反映しています。これは世界的な潮流に逆らい、過去の成功体験を引きずるという、文化的にも政策的にも痛い事実です。(※背景として、世界全体の漁業・養殖生産は増加傾向にありますが、日本だけがその恩恵に乗り遅れている現実があります。)
こうした失敗の根底には、世襲政治の「現状安定優先主義」があります。日本の政治は長く特定地域の票田に依存し、議員家系が代々引き継がれています。この仕組みは、短期的な選挙対策には強いですが、長期的な戦略を設計するには極めて弱い。補助金を維持すること自体が目的化し、政策の効果や成果よりも、
「票が来る・来ない」という観点で判断されがちです。
たとえば、米の減反(生産抑制)政策は、農家への支援策として始まりましたが、転作補助金とセットで長年続いた結果、農業の供給責任を果たさないまま制度疲労を招き、食料自給率を下げる結果となったという分析すらあります。まさに、「良かれと思って続けてきた政策が、逆に本来の目的を蝕んでいる」という皮肉です。
そして最も痛いのは、こうした愚かな政策を支持し続ける社会の在り方そのものです。「安心感を与えてくれるから」という理由で、結果を出していない政治家や政策を支持し続ける。まるで体重を減らしたいのに、同じダイエット本を何冊も買い続けるようなものです。
なぜ私たちはこの負のループから抜け出せないのでしょうか?理由は”日本人の思考停止”です。変化は不安です。選択には責任が伴います。票を失うことを恐れる政治家は、既得権益を守る方向に逃げ、変化を恐れる有権者は、目の前の安心を手放せず流れに身を任せる。
しかし、その「安心」はいつか消えます。そして気づいたときには、強烈な不安となり気が付いた時には備えが全く間に合わない。
この国は、「食べもの」すらも政治ショーの小道具にしてしまうほど、優先順位を見失っています。60兆円という数字は、単なる会計上の数字ではありません。私たちの未来への投資には全くならず、未来を放棄する愚かすぎる莫大なコストでもあります。
いまこそ問われています。未来を向く覚悟があるのか。変化しないと云う安心感という麻薬から目を覚ますのか。そして、世襲政治の呪縛を解くのか。
さもなければ、日本という豊かな国が、食べ物にすら困るようになった「奇妙な先進国」という歴史の不名誉な脚注として語られる日が来るかもしれませんね。当然ですが貴方のこれかと、貴方の子供さんの未来は過酷すぎる事に成ります。当然の帰結ですよ!
日本人は本当に有能なリーダーを選ぶ事が不得手な民族ですね!