何を言っているかには意味は無い!何をやって居るかに意味がある!
「リーフの呪い」と、生みっぱなしの国――リーフの呪い。そう呼ばれる出来事がありました。
2010年12月、日産が誇らしげに発売した初代リーフ。「世界初の量産電気普通自動車」として注目を浴びました。搭載されたバッテリーは、LMO――リチウム・マンガン酸化物。安全性には優れ、リーフは13年間で火災ゼロという記録まで残しましたが・・ただそれだけ。
1.★LMO(リチウムマンガン酸化物)バッテリー・・リーフの呪いを生んだ”最悪のバッテリー”
しかし、その裏で起きていたのは静かな悲劇です。わずか2年、3年でバッテリーが急速に劣化。新車時に228キロ走れたはずが、100キロも走れなくなる個体が続出しました。つまり「1時間走って、1時間充電」という悪夢。高速道路では、まるでマラソン大会の給水所を探すようなドライブです。
当然、下取り価格は暴落しました。中には新車価格の10分の1以下になった例もありました。こうして「安すぎて乗り換えられない」という奇妙な呪縛「リーフの呪い」が生まれたのです。仕方なく、皆がリーフに乗り続ける。それを、メーカーも社会も「まあ電気自動車だから」と放置した。この国の“問題先送り体質”が、ここにも顔を出しています。
けれども、本当の問題はその後でした。日産は「生んだ子」を育てなかった。充電ステーションの整備はディーラー任せ、充電性能の改良も停滞。まさに目的(安全安心な交通手段の提供)と手段(金儲け)の取り違えがここでも起きて居ます。売ってしまえば後は知らん!生みっぱなしでも後は知らん・・が今の日本の大企業の本質です。だから今の今!当然のごとく、経営危機!
結果、「電気自動車=使えない」という誤った印象が、日本人の心に15年経った今も根を張っています。自分で生んだ未来技術を、自分の怠慢で潰してしまったのです。
その後リーフも蓄電池をNMC系(ニッケル・マンガン・コバルト酸リチウム)に変更しましたが性能はイマイチ!価格はバカ高でした。その間にも中国メーカーは途轍もない進化を各種バッテリーで成し遂げて居ます。
2. NMC(ニッケル・マンガン・コバルト)バッテリー(現在は高密度に優れるので高馬車力用)
3. テスラは独自のNCA(ニッケル・コバルト・アルミニウム)バッテリー⇒現在は4680型(ニッケル、コバルト、マンガン、シリコン)
でも、生みっぱなしはリーフだけの話ではありません。日本社会そのものが、そうなのです。
子どもを「生む」ことには力を注ぐ。でも、「育てる」ことになると、急に他人事になる。親は生活に追われ、教師は書類と人間関係に追われる。教育は「村化」し、外の風を嫌う。子どもを育てるどころか、自分を守ることに精一杯の教育者が増えてしまった。もはや「教育村」は社会の寄生虫になりつつある――そんな皮肉すら聞こえてきます。
昔は違いました。地域や企業が「人を育てる場」だった。叱る人がいて、励ます人がいた。今はどうでしょう。人を叱れば「パワハラ」、関心を持てば「セクハラ」。誰も関わらなくなった結果、「思考力のある若者がいない」と大人が嘆く。けれど、それは若者の責任ではありません。育て方を忘れた大人の責任です。
一方で、中国は着々と「育てる国」になっています。2021年以降、LFP――リン酸鉄系バッテリーが主流となり、30万キロ走行保証は当たり前。20万キロ保証は標準で、低額課金で30万キロ保証。さらに一部メーカーは「初代オーナーは走行距離無制限保証」と宣言しました。中には「耐久性100万キロ」を掲げる企業まで現れています。
4. LFPバッテリー(現在は価格と安全性と充電性能に優れるが低密度なので普及車タイプに多用)
しかも資源も圧倒的です。レアアースの産出量は世界の68.5%を中国が占め、精錬シェアは91%。つまり、世界中が中国に依存している。それを理解したうえで、中国は国家戦略としてAI開発と蓄電池産業を官民一体で推進しています。もはや「高性能電池は中国なしでは作れない時代」です。
中国では、今では充電性能でも「油電同速」5分充電で400〜500Kmも走れます。そして激安価格です。もう全個体電池など不要とも云える様な状態です。さらなる次世代の電池研究も爆速で進んで居ます。
5. ナトリュームイオン電池(エネルギー密度が低い問題が未解決)
一方の日本。今も内燃機関――つまりガソリン車の新型開発に全力。もはや時代遅れというより、時代に“害”をなす存在になりつつあるのに、です。日本企業はマスコミに便宜を図り、「日本スゴイ」の嘘記事を日本ダケに拡散して自己満足。(まさにステマ)
まるで84年前の戦時報道の再現です。鬼畜米英恐るるに足らず」「勝った!勝った!また勝った!」―国民の多くが飢えて―敗戦の足音が聞こえても、耳をふさぎ、見て見ぬふりをしたあの頃と同じ。
【リーフの呪い】とは、バッテリーの劣化問題ではなく、「育てる力を失った社会の劣化」なのかもしれません。問題を見ても「まあ、仕方ない」で済ませる。それが「リーフの呪い」から15年、いや何十年と積み重なって、日本社会全体が鈍くなり衰退国となった。
“悪慣れ”とは恐ろしいものです。不合理にも慣れ、無責任にも寛容になる。そして誰も責任を取らない。だから、この国は何度でも同じ原因での同じ呪われた過ちを繰り返しているのです。
今日も私たちは言うのです。「まあ、充電できたから大丈夫」でも、心のバッテリーはどうでしょう。気づかぬうちに、もう容量ゼロ(電欠状態=思考停止)になっているのかもしれません。この国を“再生”させるには、まず――生みっぱなしの社会を、育て直す勇気が必要なのです。