多くの助かる命や助かる人生を・・助けない人って?
幼稚な(偽)専門家と許されすぎる悪習 ・日本が未来を見失う理由・エビデンス無き日本企業賞賛の愚
日本には「専門家」と呼ばれながら、実際には幼稚園レベルの知識しか持たない人が少なくない。とくに自動車評論家の世界は、まるでオールドエコノミー企業に寄生する“永遠の昭和少年”コバンザメの集まりだ。彼らは今日も「技術の日産が未来を切り拓く!」「トヨタは世界最高の企業」などと大声で叫ぶ!
本来のジャーナリズムは・・”批判”して社会を良くする、企業を鍛え直し真の成長させる仕事である。
よくよく調べれば日産の次世代運転支援技術「ProPILOT(プロパイロット)」技術は英国スタートアップWayveが作ったもので、日産が生んだわけではない。トヨタのADASは Momenta(中国)創業2016年 — 主に Level 2〜L2+ の運転支援(ADAS)機能 技術力:Flywheelモデル、強化学習/エンドツーエンド学習投資者の借り物技術である。
つまり「出来の良いよその子を自分の子と紹介して自慢する親」と同じである。これを専門家と呼ぶのは、さすがに日本社会の寛容さが度を越している。
本来なら自動運転は既に現実のものだ。アメリカや中国では無人のロボタクシーが多くの街を普通に走り、スマホで呼べば静かに迎えに来る。だが日本では「もし事故が起きたら誰を逮捕するのか?」という議論で立ち往生。警察は“犯人”がいないと納得できず、メーカーは「社長が捕まるのは困る」、国交省は「認可した自分たちが責められるのも嫌だ」と腰が引ける。
結果、「じゃあ〜やらない方が(自分ダケは)安全」となる!まさに御身大事の村社会、国家全体、国民の命や人生の事などどうでも良い!といつも通りの先送り主義。これは、”▼世界一高い成功率を誇るH2ロケット▼”ですら人や犬を乗せない理由と同じだと某偽物モーターチャーナリストは発言⇒しかしこれも下記のエビデンスベースでは怪しい。日本の強さは技術ではなく“妄想盛り盛りの自己美化と自己保身”にあるのだろう。そこらの”SNS映え狂い”の自己顕示欲だけが生きがいの、頭軽石姉ちゃんと同じである。
日本の H-II / H-IIA 系列ロケットは、打ち上げ 50 回前後、成功率にして約 97〜98 % 程度というデータが定説化しています。しかし、これはありきたりの技術!それでも失敗する。
SpaceX は Falcon 系を中心に 300回台〜500回台の打ち上げ実績を持ち、成功率としては 98〜99 % 程度と広くみなされています。技術的には圧倒的にSpaceXが上回る。現在は世界のロケット打ち上げ年間回数200回超のうち、半分以上がスペースXによるものだ。スペースXの失敗は世界で誰も成し遂げて居ない巨大な火星用の移住ロケットの実験的打ち上げでの失敗である。
したがって、「日本のロケットの成功率が世界一高い」という断言は、少なくとも単純比較では正確とは言えません!打ち上げミッションの難易度のレベルが天と地ほどの差がある。日本の H-II / H-IIAは単純+幼稚!レベルの半年ひと昔と言われる現代では大昔の技術ですね!
日本の寄生虫評論家たちは、日本の技術を過大評価して、正確なデーターや背景を一切無視し、「次世代プロパイロットは人間より安全!事故率を10分の1に!」と誇らしげに書く。しかし現実は、技術は借り物、さも自分の会社の技術の様に広報する企業哲学や倫理には疑問符が付く。
それでも事故率を下げる仕組みを作りながら「責任問題」で実用化できないのが日本の姿である。まるで「宿題の答えは隣の東大生兄ちゃんに聞いて分かっているけど、先生に質問されたら怖いし、怒られるから提出しない」と駄々をこねる小学生そのものだ。
さらに滑稽なのは、価格予想を某偽物モーターチャーナリストは、自動運転レベルと性能を無視して「将来は10万円で手に入るかもしれない!」と語るところだ。まるで中古車雑誌の願望コラムのようで、冷静な分析ではない。世界ではすでに量産化が進み、中国DJIなど既に10万円〜15万円で外販しコストは急落している。日本だけが「10年後にようやく10万円」などと夢想している間に、他国!特に中国では標準装備が当たり前になってしまうだろう。
では、なぜこうした“幼稚な専門家”がのさばり続けるのか。理由は簡単だ。彼らの言葉を必要としている大企業や広告主がいるからだ。批判すればスポンサーが離れる。だから「世界の潮流」を正しく語るよりも、日本の大企業が世界に劣後するのは日本の官僚や政治屋が悪いと云うストーリーをでっち上げ「日本は(大企業)慎重で正しい」「自動運転などレベル2で十分だ!それ以上必要ない」という物語を語る方が”日本人ナルシスト”の読者が増えて都合がいい。
こうして評論家もメーカーも省庁も、「問題を先送りしている自分たちは安全だ」という幻想に酔い続ける。結局は全員が“寄生虫”として互いに甘やかし合う構図になっているのだ。
私たち国民も無関係ではない。ロボタクシーが走らないのは「責任追及が怖い」からだと分かっていながら、「まあ日本らしい」と笑って済ませてしまう。笑っている間に、世界の交通はドンドン進化し日本ダケが取り残される。
その事例はウーバー等のライドシェアである。先進国でライドシェアのウーバーが真に許可されていないのは日本ダケである。そもそも論としてライドシェアと日本交通等のタクシー会社はライバル会社のハズである。利益相反関係にあるにも関わらず・・日本のタクシー村を忖度する官僚と政治屋はエセライドシェアをこのタクシー会社の営業方法の一部として取り込ませた!・・・普及する事などあり得ない事を知りながら、この騙しを行う。
高齢者が運転ミスで事故を起こすたびに「仕方ない」とニュースを見送りながら、本当は技術で防げる事故に命を落としている人がいる。これは、私たち自身が“悪慣れ”してしまった証拠ではないだろうか。
要するに日本社会は、技術の未熟さではなく、心の未熟さに縛られている。「責任を問わない文化」「チャレンジする人を引き吊り下す文化」があるアメリカや中国は、事故を“次の改善の材料”とする。日本は事故を“犯人捜しの材料”にする。その差が未来を左右する。評論家の空疎な賛辞や、企業の言い訳、官庁の責任逃れを放置している限り、日本は世界のモビリティー革命から取り残されるだろう。
本当に怖いのは、幼稚な評論家を生きのびさせ、それを許し続ける私たちの無関心だ。幼稚な専門家は一人では生きられない。彼らを食わせているのは、批判せず、笑って見逃す社会全体の空気である。結局のところ、「未来のクルマ」が日本で実現しない最大の理由は、技術の不足ではなく、私たち自身の精神の貧しさなのかもしれない。
そして気づけば、世界はハンドルもペダルも無い自動運転車で動き、物流も無人、日本だけが「慎重な国民性」という言い訳のもと、昭和のままの運転支援やモノも人が運搬する事をありがたがっている。笑うべきか泣くべきか、それすら判断できないのが、いまの私たちの姿なのだろう。
クズが重宝され、真に優秀な人は排除される、日本人の99%が持つ不思議な負のDNA!!!何時も気象学でノーベル賞を受賞した真鍋叔郎さんの言葉が日本を象徴している。
「私はまわりと協調(”はい”と”いいえ”の意味が場合により真逆となる⇒悪に染まる)して生きることができない。それが日本に帰りたくない理由の一つです」
日本人にとっては憲法さえも、法律さえも、場合、場合で、”はい”と”いいえ”の意味が真逆になる。その大きな理由の一つが村社会第一優先と、それが醸し出す恐ろしき・「空気感」・である。
だから理解不能な日本国(人)には世界の投資は全く来ない!北朝鮮以下となってしまうのである。以下サイト参照!「日本は北朝鮮より下の196位」政府が取り繕ってもごまかせない“日本の不都合な真実”
https://toyokeizai.net/articles/-/881683?display=b