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電気自動車は13年前の同じ価格で約5倍の性能になり、後5年で10倍の性能となりそうだ!

「バッテリーに映る日本人の悪慣れと、地球沸騰時代の危うさ」一口にバッテリーと言いますが色々な種類と特性が有りますから・・正しい知識が無いと・・”電気自動?あんなもの使いモノに成らない”・・なんて13年前の知識で、正しい判断が出来なくなります(圧倒的多くの日本人の今の現実)。

かつて「リーフの呪い」と呼ばれた現象をご存じでしょうか。2010年代初頭、日産が誇らしげに世に送り出した初代リーフには、LMOというマンガン系のバッテリーが積まれていました。安全性には優れていたものの、劣化があまりに早く、新車からわずか2〜3年で航続距離が半減する個体が続出。

カタログに書かれた「228km」は、いつの間にか「100km以下」の現実に変わり、下取り価格も暴落。充電時間と走行時間が同じ!長距離は実質的に使えない!故にオーナーは“呪われたクルマ”を手放すことすらできなくなりました。

そして、その悪夢が13年経った今も「電気自動車は寿命が短い」「使えない」という誤解として社会に残っているのです。日本人は経験に学ぶことはあっても、誤解を解きほぐす努力にはどうも消極的。「一度ついたレッテルは半永久保証」という、ある意味で最強の“日本製バッテリーへの恐怖の呪い”がここにあります。

それが故に先進国では日本は唯一EV普及率世界ぶっぎ切り最低!世界平均の1/20以下、欧州の1/20、中国の1/55以下、北欧諸国の1/80以下、タイやインドネシアやスペインのおおよそ1/10以下となっているのです。しかし世界のBEV普及平均は20%を超えて今はキャズムの谷を越えた様ですね!

「リーフの呪い」後!世界のEVは全く違う性能に進化しました。NMC(ニッケル・マンガン・コバルト)、NCA(ニッケル・コバルト・アルミ)、そして最新のLFP(リン酸鉄)へ。とりわけ中国勢のBYDやCATLが開発したLFPは革命的で、30万kmは当たり前、40万km走っても劣化はわずか10%。しかも「1秒で2km分充電、5分で400km分走れる」という“油電同速”の世界へ突入しています。もう、バッテリー寿命と車両寿命がほぼ同じという時代です。

ところが日本ではどうでしょう。充電インフラは村社会の縄張り争いで遅れに遅れ、性能も世界最先端の1/3〜1/8。中国の最新EVが中国の高速道路のSAで「5分休憩=400km分チャージ」としている横で、日本車は「充電30分粘っても150km分…しかも次の充電器は故障中」というありさまです。これでは「EVは使えない」と思う人が増えるのも当然です。しかし本当は「日本の仕組みが使えない」だけなのです。

この構造、日本社会そのものに似ていませんか。官僚制、縦割り、前例主義。村社会温存、問題が見えていても「次世代に先送り」という魔法の呪文で封印し、やがて「それが当たり前」として定着する。気がつけば、悪慣れが文化に昇華してしまうのです。リーフ初期型の失敗も、本来なら「改善と啓蒙」で払拭できたはずが、社会全体の「説明不足」と「誤解放置」が重なって、日本人の頭の中に“呪い”を残しました。

もっと皮肉なことに、日本は「火を出さない安全なバッテリー」を作った国でありながら、結局は「“呪い”の恐怖に熱くなりすぎて自滅する国」になりかけています。世界は地球沸騰化と呼ばれる危機の中で、再生可能エネルギーとEVへの移行を猛スピードで進めているのに、日本は「まだHV(ハイブリッド)で十分」と言い訳を続けています。もはや“温暖化対応”どころか茹でガエルを飛び越し“燻製ガエル実験”に参加している気分です。

そして我々日本人は、この現実をどこかで知りながら「仕方ない」「今まで通り」で済ませてしまう。悪慣れに慣れ、矛盾を抱えたまま「和」を重んじる。気候変動への対応も同じで、「いつか誰かが助けてくれる」と信じて行動を先送りする。けれど、バッテリーは待ってくれません。自己放電するように、環境も確実に悪化していきます。

本当は答えはシンプルです。EVバッテリーの管理と同じで「満充電にせず、空にもせず、ちょうどいいところで維持する」。社会も同じで、極端を避け、次世代を思ってバランスを取ればいいだけ。ところが我々は、「満充電にし続けて過労死」「空っぽのまま放置して人口減」と、最悪の運用を選んでしまっている。これでは寿命が縮むのも当然です。

世界のEVは今や「数分で環境未来へ加速」しているのに、日本は「数十年かけてガラパゴス化」している。そんな国が地球沸騰時代を生き抜けるでしょうか。バッテリーの劣化よりも、日本人の思考停止の「日本製至上主義」方が深刻に見えてなりません。

結局のところ、EVの本当の課題は「技術」ではなく「私たち自身」なのかもしれません。悪慣れを許容する心の旧型のバッテリーを交換しない限り、日本はこの先も「走れるはずの未来」をみすみす逃してしまうでしょう。