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ノスタルジーオブジェは経済的価値を生まない!

私の青春時代は・・車は憧れであり、成功者のステイタスであり、歓びの源泉でもあり、生きる目的と化して居た(高級車に乗るために必死に働く的な・・・高級車はステイタスの証的な・・・)

しかし、それから50年・・・もうクルマは不必要なモノとなった。何事も時代に逆らい繁栄したモノは無い!!!我が家では、若いころのあこがれがノスタルジーを感じるオブジェとなっている⇒壮大な無駄

日本人程、目的と手段を取り違える民族は地球上に存在しないとつくづく思う事がある。”幸せになろとお金を使いなぜか?結果は大不幸になる”アホくさい事が山ほど平気で起きている。

大規模地震の時に日頃稼働率5%のクルマの稼働率が爆上がりして10倍程度に増えると、道路と云う道路は全て車で埋め尽くされて全く身動き取れなくなる現象⇒トラフィックロックが100%起き、低地では津波に全部持っていかれてしまう⇒2011年の東日本大震災で現実に起きた事である。

クルマの主目的の”移動の価値”は新車のクルマの1%程度しか無いのに99%の本来移動には不必要な部分に高額なコストを支払い続け、生涯クルマコストは約6000万円前後にもなる。端的に言えば本来60万円で移動価値をもたらす道具を100倍の6000万円で買う事を何の不思議とも思わない民が存在すると云う事である。以下に示す土地迄入れたら・・7000万円の人生の無駄(社会の無駄)

さらに、クルマの存在による土地の占有の不効率である。普通の家庭では各人1代、両親と子で合計3台所有なんて当たり前になっている、この3台に使われる土地が1台当たり5坪×3台=15坪、そして出先でも同様の土地が駐車の為に必要となる。つまり1世帯当たり車の為に30坪(1台当たり10坪)の土地を確保しなければならないと云う事である⇒壮大な社会コストの無駄!!!

2022年の日本の自動車保有車両数は82,660,138台×10坪=826,601,380坪・・・仮に1軒の住宅の土地の広さを50坪とすると・・・1653万2027.6軒分の土地が車の為に使われていると言う事になる。(日本の輸送用の業務自動車の割合は全体の7%程度です⇒それでも駐車場は不可欠)大型店舗でも店舗建築面積の数倍の駐車場なんて当たり前に存在して居ます。

50年前ならともかく今の今は・・人間のクルマでの移動を極力減らしても全く困らない社会になっているのですから、この車を使うと云う壮大な無駄は人を幸せにする貢献度は殆ど無くなったと言っても良いでしょう⇒車社会は人を不幸にしていると言っても過言ではありません⇒時代が進歩し新しい技術が生まれ車の真の価値はマイナス価値となったと言う事です。

120年前とは確実に違う時代、ニューノーマルのニューエコノミー時代が到来していて移動する事の90%以上は無用になっている時代なのに・・・人々はなぜか?壮大過ぎる無駄な移動をやめない。

実に我が家では車の使用頻度は激減しています。直近の2週間では複数台所有する車は1度も動いていません。直近1年でも温泉や健康診断、ワクチン等の目的移動は10回程度で合計500キロ程度の走行距離です。昭和のクルマの黎明期に車の価値観を刷り込まれた私は、今の今、ノスタルジーとの離別の真っ最中です。

車があって当たり前の時代に育った30歳以下の若者は、もうクルマ離れをしていますしMaaSの時代が来れば車など見向きもしなくなる事は明らかな事⇒車産業に永続性は無いと言う事です。

クルマ移動をやめない日本人⇒地方圏の交通事業者の3社に2社が経営危機、債務の返済が困難と回答⇒長年の道路整備と自家用車の普及で、公共交通の利用者は減少し続けている。

2019年度の時点で74%の乗り合いバス事業者は赤字。黒字の事業者も、高速バスなどの利益で赤字路線の経費を賄う内部補助、JRも、大都市圏や新幹線の利益で地方路線を維持。利益が見込める路線は限られ、事業者も内部補助を続ける余裕は無し。

「政府の失敗」日本では2000年代初頭に鉄道やバスの需給調整が緩和され、価格規制も上限価格規制に移行⇒赤字路線多発⇒田舎では多くの赤字の行政がコミュニティーバスを運行、公共サービスとして公的資金を用いて提供⇒赤字の増大

欧州の場合、地域公共交通は公共財に準じる扱いで、基本的に公共サービスと位置付けられる。

さらに日本では交通設備も老朽化、国土交通省によると、地域鉄道事業者95社の車両の23%は、車齢51年以上のもの。公共交通は利用者が減るだけではなく交通事業からの離職者も増加。人手不足から減便を余儀なくされるバス路線多発⇒民間事業者としての力が発揮できないまま衰退。

内燃機関自家用車は環境の悪化の主因。運輸部門は日本の二酸化炭素(CO2)排出量の18%を占め、その46%は自家用車が排出(2020年度)。電気自動車への置き換えに時間がかかし、単なる置き換えでは電力消費が増加。

さらに交通事故死者数は2022年の死者数は2610人です。日本の場合、死者のうち歩行者の割合が3分の1を超え、欧米に比べて圧倒的に高い特徴。

空間利用の非効率性、1人で自家用車通勤すると、公共交通の何十倍もの都市空間を必要とします。渋滞が発生して駐車場も不足するため、さらなる道路と駐車場が必要になります。これは自動運転車が普及しても同じ。

さらに空間利用の非効率性は都市のスプロール化と財政の悪化を加速させ道路から下水道、消防サービス、ごみ収集まで、郊外化が進むと行政経費が増加。

自家用車に乗るとき、ガソリン代は計算しても、上記のような問題を自身のコストとして意識しない「市場の失敗」のケースのうち、「外部不経済」と呼ぶ。

さらに、自家用車を利用できない人の社会的排除も、公平性という観点で問題です。移動手段次第で就業や教育の機会が限られます。「買い物弱者」も生まれ、引きこもってしまえば心身の健康を害し、医療費や介護費の増加にもつながります。健康という点では、100メートル先のコンビニに自家用車で行くというライフスタイルも問題です。

持続可能な社会の構築⇒自家用車への過度な依存を減らす事が不可避。

自動車依存の「外部不経済」最重要課題は渋滞問題⇒解消するために取られてきた施策が道路建設です。経済対策という面からも、道路の供給量を増やす公共投資が行われてきた⇒渋滞は減るどころか増大。
2つの地点を移動する手段として鉄道と道路がある場合、道路の拡幅工事を行うと、むしろ渋滞が悪化し、社会全体のコストが増えるという経済学の考え方⇒ダウンズ・トムソンのパラドックス。

注:ダウンズ・トムソンのパラドックス⇒公共交通と自動車が共存する交通体系では、道路整備によって公共交通の利用者が自動車へ流れ、その結果道路交通・公共交通の両方ともサービス水準が下がったところで均衡するという理論

鉄道は線路などインフラ部分の固定費が高いため、利用者が増えれば、通常、1人当たりの平均費用は低下します。これに対し、道路を走る自動車の場合、利用者が一定水準を超えると、渋滞が発生して、時間的なコストも含めた平均費用は増加。

渋滞解消の道路工事⇒渋滞解消で便利⇒鉄道から自動車に移動手段を変更する人が増加⇒鉄道側は利用者が減少⇒売り上げ減⇒その分が鉄道運賃に上乗せされたり、費用削減のために列車本数が減少⇒鉄道の魅力は低下⇒さらなる鉄道から自動車への移行⇒渋滞というコスト増加⇒渋滞解消道路工事は負の投資となる。

現に40年前は伊良湖岬まで豊橋から車で45分程度で行けた、今は90分、朝の大渋滞時は150分(2時間半)を見込まないと到達出来ない。3倍もかかるのである。これは明らかに不便、後退以外の何物でもない。

自動車産業の発展は社会に不便と負荷をもたらす業界と云う事になる。

鉄道サービスを改善せずに渋滞解消を名目に道路拡幅投資を行うと、投資前よりもさらに渋滞が激しくなる⇒鉄道移動も自動車移動もコストが爆増⇒ド不便になる⇒これはファクトである。

コストがかけられないのなら知恵を使えば解決は可能⇒公共交通機関の大問題はラスト2マイル問題である。都市計画の見直しと共にラスト2マイル問題を解決すれば公共交通機関は衰退する事は無い⇒コンパクトな安全な高台への町内都市計画を見直し町内循環マイクロバスと鉄道をリンクさせる等⇒道路が渋滞する事も無い。

例えば駅に電車が30分毎に到着するのであれば電車の到着3分後発の30分で町内を循環出来るマイクロバスとリンクさせる事である。町が大きくなれば30分巡回のバスを地域を別にして増やせば良いだけの事である。

このコストを道路拡張工事をやめたコストや自動車購入の各種補助金をやめたコストで捻出する事は可能な事である。

日本の少子高齢化と云うバカ政治の負の現実は・・・持続可能なコンパクト都市計画への変更は不可避である。それが出来なければ日本全体が機能不全となり不幸を振りまく社会となる。

原理原則をキチンと考え抜き正しい思考をし正しい判断をする、そんな簡単な事さえ出来ない日本人、本当に悲しい現実である。ふー

★シンプルに、考え抜きて、行動し・・・世の常識の、呪縛解きされ   シンプルイズベスト

★アホの民、わが身追い込む、困窮に・・・時代移ろい、価値霧散なり  新しい時代には新しい価値の創造が不可欠