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多様性、客観性を無視する不思議な生き物・・・全体主義

世界一特殊な民族・・それが日本人、強烈に冷酷な負のDNAを内在する民族、それが日本人

書籍『利己的な遺伝子』の中で、「利他的であることは利己的であることの延長にある」と述べられている。

つまり、順番が明確、生まれたばかりの赤ちゃんに親が徹底的に苦しめられるのは、赤ちゃんが利己的な存在(親の事など一ミリも考えない生き物)、それゆえ可愛く出来ている個体の生存戦略上、当然のこと。利己が満足されてその延長に利他心が芽生える。

成長し生存が保証されると、自分以外に目が向き環境の最適化⇒協調が始まります。大人になっても協調性の希薄な利己的な人というのは、「自分の生存の可能性が担保されていない/自分の存在が否定されている」といった不安な心の状態の人、又は精神が成長しきれていない人。

同じ環境でも利己的な部分で大満足⇒利他心の発揮できる人と、出来ない人の差は何か?それは真なる教育の差・・つまり知足の差、人格の差、感謝の差・・なのでしょう。我欲が強い人に利他心の発揮など出来ないし人間的成長も無理と思います。

成長しても人は3種類の人に分化する、ギバー(25%我欲弱い人)、テイカー(19%我欲強い人)、マッチャー(56%バランスを取る人)とは、アダム・グラント氏が提唱した人間の思考と行動を3タイプに分類

日本人はテイカーの割合がこの分類より2〜3割程度多いような気がします!!!そしてギバーの中にも二通りのギバーが居ます自己犠牲型ギバー(真の利他心にはなり得ない)、他者思考型ギバー(利他心を発揮しやすい人)

きしくも76年前にマッカーサーが日本人に向けて、「こいつら全部中学生だ!」と言った有名な言葉が有る。それは日本人は人として成長しきれていない生き物である。と宣言をしている。それは、日本人のやる事成す事を俯瞰して見ると今も全く同じ様に私は感じている。

自分が3つ(正確には4つの分類)の分類のどの区分に属するか?自分の有人や周りの人がどの区分に属するか???その人の言葉では無く行動を見て判断する事も人間関係ではとても大事です。

その他の特性でも、新しい可能性を模索する人と、逆に保守的で変化を嫌う人の2つのタイプが存在し、それは民族によりとても顕著な割合の差持っています。残念ながら日本人は世界最高の保守的割合の多い民族

同様にストレス耐性の差も千差万別です。「ストレス耐性が強い=優れている」とは限りません。個々人の差も大きいですが男女のストレス差もとても違います。男性は短期的なストレスには強いですが・・逆に長期的なストレスにはとても弱い特性を持っています。女性は概ねその真逆です。

どんな生き物や組織でも成長期の数は指数関数的に伸びますが、S字曲線をたどり、やがて定常状態に達します。会社に関しても一つの事業が永久に成長し続けることはありません。長く成長する会社は必ずアップデートを繰り返し成長をしています。

人間の生き物としての基本的な能力は遺伝子に組み込まれ、遺伝子に刻み込むよりも速いスピードで時代の変遷が起き教育の内容が変化していくので、教育内容も時代に合わせてアップデートが不可欠。

現在の日本の学校のシステムは、どうも明治時代に、イギリスフランス等から都合が良い所だけ輸入した教育システムに、今でも変化なく由来している。当時の教育目的は富国強兵、工場での働く部品と云う労働力を促成栽培したり、兵隊養成のための教育。今の今も日本の根本教育理念は明治維新と同じ、日本の今が衰退してる根本原因、そしてこの先、為政者も産業界も教育界も変化させるつもりは微塵も感じられないので・・・将来日本は、不都合をごまかしながら限界点まで衰退を続ける事は容易に推定できる。

真なる学びの大切さ、そして自分の廻りに置く人間の質(格)がとても大事になります。この人間の質は、今までの選別型の高学歴とは全くリンクして居ません。むしろ、高学歴者ほど人間性に問題がある人(無謬性の獲得)の割合が増加してしまうという日本の教育の不幸があります。

このような今までの日本の常識と云う擦りこまれた立脚点で物事を判断すると多くの場合で失敗したり効果が出ない場合が多発します。正しい立脚点に立つために真なる学びを通しての、新たなる気付きが不可欠です。言ってみれば全てをゼロにリセットして正しい新たなる知見を積み上げる作業が不可欠です。それが正しい立脚点となり正しい結果をもたらします。

いくら真なる学びを積み重ねたとしても、今までの既存の価値観(間違い)に引きずられて元に戻ってしまう人が殆どです。悲しい現実です。この差は・・”素直さ”・・の差で有るかも知れませんね。

素直こそ、人の心の、価値成りて・・・時代にひねくれ、価値を見つけず