山は自分の決意(哲学)と努力と自分の足で登るモノ
若い人には、自分をより高みに見せたくなる衝動が確実にあります。若い=未熟・・・当然の事なのですが・・・これ(真実)を認めたくはないのですね・・・
若い時お金も地位も無いのに・・・高級時計や高級車、ブランド小物が欲しくなるのは自分をデカく偉くリッチに見せたいマウンティング心理です。未熟な精神性の発露ですね・・・ふー
それなりの地位やそれなりの経済力やそれなりの人格向上が備わってから上記の事をする事は・・・実に美しい事に見えると思います。山はモノ(高級品や金)で登るモノでは無く、自分の努力と自分の足で登るモノです。
山を自分の足と努力で必死に怠る事無くもくもくと登り続けると・・やがて自分が真に登頂を目指すべき大きな山が見えてきます。それが天命です。残念ながらこの天命山は全ての人に見えてくる訳ではありません。利他的な努力の度合いで見える見えないが決まる様です。自分の事だけを考えて登り続けても見えてはこない様です。
貴方はどうですか???私も若い頃は背伸びを必死にしていた苦い経験があります。まさに、マウンティング競争
しかし、30代後半からそんな事アホらしくなり・・足るを知りたいと思い始めました。40代の頃は60代の友人から何時も・・お前さん、”枯れる”には早すぎると何時も言われたモノです。
人には、持って生まれた親や人生の師から引き継いだ哲学や努力して創り上げた器と云うモノがある。リーダーたるもの自分の器を自覚出来ないと・・・人はついては来ない。そして自分の器が理解できない人は他者の器もあまり正確には理解できないのですね
自分の努力で自分の器がそれなりに理解できる様になると他者の器(自分の師)の器の偉大さに気付く事が出来て・・・初めてわが師と呼べる相手の出現が認知出来、師事する事が出来るのです。
注:「師事」は「(その人)の弟子となって、師として尊敬する人の教えを受ける」ことを意味
肩書だけで人は真剣に服従するモノでもないし、命令を実行するモノでもない。当然尊敬など微塵もされない。
まさに類は友を呼ぶのである、ちんまいショボクレオヤジを始め先の右翼ボンボンもそうだが廻りには面従腹背のバカばかりしか居ない。
注:めんじゅう-ふくはい【面従腹背】うわべだけ上の者に従うふりをしているが、内心では従わないこと。「面従」は人の面前でだけ従うこと。「腹」は心の中のこと。「背」は背くこと
会見の場でもチラチラ左右に目を泳がせながら幽鬼のように笑う。キョロキョロ、オドオドと目線が左右する、『キョドった』状態・・自分の半分以下の年齢の若造に緊張してどうするの?イライラしてどうするの???⇒器の小ささがバレバレ
この御仁の72年は裏で暗躍してのし上がった人生!・・右翼ボンボンが飽きて放り投げたモノが丁度その時のポジションが良いだけで転がり込んできた。・・・まさに今の地位は本人にも想定外
もともと・・・政治家は金儲けやマウンティングが目的の人だから・・哲学も理念もないのだろう。
だから政治信条(無いモノ)を問われて、焦って意味違いな・・・防災用語・・をとっさに使ってしまったのだろう。・・自助、共助、公助・・こんなの政治理念でも何でもない。
人前では眩しすぎて、見え過ぎて・・悪を善と、みせようとするのだが上手く行かないのであろう。72年染みついたモノはそう簡単に糊塗は出来ない様である。
この御仁は国民に向かい伝えるという事の意味すら理解できていない様である。
自分が思った事を思ったまま伝えれば・・原稿など要らないし、言葉にもパッションや真心が自然にこもる。
思った事(国民には都合が悪い事=悪事)を伝えられないから官僚(他人)の書いた美辞麗句、あたりさわりのない空疎な文章が並ぶ!!!
思っても居ない事なので2日間も必死に練習をしても・・結果読み違え、ヒンシュクを買う。⇒小学生の学芸会レベル以下である。
哀れなり、我を知らざる、ショボクレが・・欲の神輿の、藁の人形