残念な人(若者)だらけの日本⇒どう生きるか?⇒超難題
勉強しろ!!!幼い頃から親に耳にタコが出来る程言われ続けて来た言葉!勉強しろ!!!しかし、よく考えれば・・・”勉強しろ”は意味不明
親はテストの点を沢山取れ・・・成績の数字を上げろ!!!=勉強しろ!
だったような気がします。しかし、それはやる必要性を感じない、理解できない子供に取っては苦痛以外の何物でも有りませんね。私も学生時代殆ど勉強などしませんでした。
実は学ぶ事の面白さや楽しさを子供には気付かせないと・・・全く意味が有りません。
しかし世の中に出て・・・私は幸運にも真の学びに気付き多くを学ぶ必要性を感じました。
貴方はどうでしたか???親の言うままに点取り虫にまい進した素直過ぎる子供でしたか?それとも・・・適当にいなした方でしたか???
時代が変わり「これからの世代は、どんなスキルが必要なのか?」「何を学ぶべきか?」「将来どうなっちゃうんだろか?」なんて疑問だらけですよね!
私は学ぶ事は生きる事そのものだと思っています。「人生を通して学びなさい。学び続けなさい」と云う事なのでしょう。
学び、創造し、イメージし、レイアー的な思考をしともに発想する同志をもつこと。同志をもつことは、どんなスキルよりもはるかに大切です、生きる事は学ぶ事の原理原則から言えば年齢など関係有りません。死ぬまで学び続ける事が重要です。
誰にでも個性がある様に学ぶペースがあります。食べる速さ、走る速さ、話す速さ、それは一人ひとり異なって当然のことであり、学ぶ速さについても同じことです。
誰もが速く学ばなければいけないわけでもないということ。自分のペースで学べばいいのです
山登りも基本楽しみながら登る事が肝要です、気楽な近場の山にしろ、本格的な登山に挑戦するにしろ、山登りは競争ではありません。
学ぶことは山登りと同じで、大切なのは登る過程を楽しむことです。競技会でも無ければ競争しながら山頂を目指しても意味が有りません、疲れ果てるだけで楽しむことはできない。
生涯にわたって大切なのは、「学び続けよう」という思いを学ぶこと。「では、具体的に何を学べばいいのか?」それは自分自身で考えて決めるしか満足行く人生には成りません。
常識など過去のモノです。殆ど未来には価値を持ちません。人類文明の歴史では常識など次々に書き換えられて来た事実があります。
私たちは機械の中の歯車のひとつになるのではなく、「人生を通して学ぶ」という本質を実行し自分自身の人生を自分の足で歩む事が肝要です。産業革命以降、人が産業のパーツ「歯車」になって、まだ200年程度しか経過していないのです。
時代は刻々と変化をしています。200年に1度と云われるその激烈な変化が今の今です。確実に歴史年表に記載される時代の大転換のまっただ中を貴方も私も生かされています。
そして学ぶ事で一番大事な事は・・・学びを利他に生かすと云う事です。それをしなければ学んだ意味そのものが無いのです。
多くの若者と出会い学びの本質に気付いてもらいたいと日々啓発をしていますが・・・真なる気付きを得られる若者は・・・とても少ない現実が有ります。
我欲に溺れ学びを自分の我欲のさらなる充足に使ってしまう可哀そうな若もがとても多いような気がします。残念な現実です。とても残念な現実です。
この残念な若者の顔が私の脳裏に多数浮かんできます。しかし、どうする事も出来ません。それがその若者の運命の様な気がしているからです。
多くの若者に同じように真心こめて心血を注いで学びを提供しても・・・気付きを得る人は本当に少ないのです。
まさに・・・
仏のおっしゃる・・・縁なき衆生・・・ですね。
人は何も持たずに裸一貫でこの世に生み出され・・・そして生まれたときと同じように裸一貫で消えて行く・・・まさに色即是空、空即是色ですね!!!
注:色即是空(しきそくぜくう)とは、『般若心経』等にある言葉で、仏教の根本教理といわれる。 この世のすべてのものは恒常な実体はなく縁起によって存在する、という仏教の基本的な教義。 空即是色と対をなす
人は3000年前から殆ど進化をしていない生き物の様です。